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◆地上兵力
ロシアFAQ目次

右から4番目がプーチン

(うそ)

 【link】

CRS@空挺軍 in mixi(2008年10月14日)◆≪Бастион≫ на берегу Клязьмы
 モスクワ軍管区軍の演習風景.
 新型迷彩を着てインタビューに答えているのが,Бакин Владимир Юрьевич将軍です.

CRS@空挺軍 in mixi(2010年10月20日)◆
Военные из Карачаево-Черкессии участвуют в маневрах ≪Индра-2010≫
Состоялись соревнования в рамках учений ≪Индра-2010≫
 インド-ロシア軍の山岳合同演習≪Индра-2010≫ のニュース

CRS@空挺軍 in mixi(2010年10月22日)◆
"Индра-2010". Часть 6. Засада
Российские и индийские военные борются с условными террористами
 インド&ロシア軍による合同山岳演習

CRS@空挺軍 in mixi(2010年10月22日)◆Войска ОДКБ готовятся к учениям ≪Взаимодействие-2010≫
 集団緊急展開軍(ODKB合同軍)の合同演習が始まりました

「IISS」:17 Aug 2009 - - BBC News - Problems beset Russia army reform

「OSINTSUM」:ロシア軍の製パン能力,製パン車について On Russian field bakery capability

Russian Military Commercial
http://www.youtube.com/watch?v=hSKgKHp2igk
http://www.youtube.com/watch?v=T2axLAag1zM
http://www.youtube.com/watch?v=pdFWpW3yd4o
http://www.youtube.com/watch?v=tHmiqmfNLhE

The Russian Battlefield

「Togetter」◆(2010/11/21)ソ連補給体制の問題点

「VOR」◆(2012/03/30)ロシア 演習で部下の命を救った隊長が死亡(3/29)
> 演習中,誤って落下した手榴弾の上に通信大隊のソルネチニコフ少尉が覆いかぶさる.
> 少尉は直ちに病院に搬送され救命処置が行われたが死亡.
> 露東軍管区は今回の事件を調査する特別委員会を設置.
> また司令部は少尉の家族への支援を表明し,与党統一ロシアは少尉へのロシア英雄の称号の授与を提案.

朝目新聞」●ロシアの軍隊格闘術「システマ」  (of SWFBLOG)

朝目新聞」●ロシアのサバゲーマニアの皆さん  (of エルエル)

「くろいあめ,あかいほし」★(2011/04/08)ロシア陸軍の現況と将来 ポストニコフ総司令官発言まとめ

「ザイーガ」:【MOVIE】防犯カメラが捕らえた,ロシアのスーパーマーケット内の客と警備員の乱闘シーン

「ザイーガ」:【MOVIE】ロシアのホラー映画は,カメが陸軍を襲うとかいう・・・

『写真集 ソ連地上軍』(『軍事研究』編集部編,ジャパン・ミリタリー・レビュー,1989.3)

 80年代のソ連兵器の写真集なのですが,後半記事がイズビー「ソ連地上軍」の簡略版みたいになっています.
 特に戦術の特色と,各レベルの編成は図表も多く,イズビーより見易いかもしれません.
 入門には吉かも.
 イズビー「ソ連地上軍」が価格高騰している現在,とりあえずこっちを買ってイズビーの値下がりを待つのもいいかも(笑)

 でも一見ムックのようなのに,中途半端にハードカバーの体裁してるくせに薄い表紙とか…
 目に痛いくらいの真っ赤な背表紙と裏表紙とか…
 デザインセンスもなければ高級感も皆無な本ですな…

――――――Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板

『ソ連地上軍』(デービッド・C・イズビー著,原書房,1987.1)

 まぁ一言で言ってしまえば,良くも悪くも「冷戦当時の本」だわな.
 そのため第7章以下の兵器解説の内容が,今日の視点から見て陳腐化してることは否めない.

 あまつさえ訳にも問題が有る.
 第15章のAKの解説の項で,それ以前の小銃として出てくるのが「ムワジン・ヌーガン」.
 まぁ「Moisin-Nugant」と綴る例も有るようだし
(http://www.wilnat.com/mcclurepp.htm#nogo
それを無理やりフランス語(つかワロン語)っぽく読めば,そうも読めるかも知れんが,にしてもこれは無かろうよ(笑)

 で,その解説の内容たるや,冒頭で「ディスインフォメーションや偏見に惑わされない」事の大切さをといているにも拘らず,同じくAKの解説では今だに「AKはMP43/44を模倣」とか書いてある.
 まぁ,アングロサクソンらしい予断と偏見っちゃーそれまでだが,これだと本書のキモである第6章までの戦略や戦術・ドクトリンの解説に,その種の偏見の反映が含まれている可能性を否定できない気がするのだが…

 結局この頃のソ連軍の戦術面での実相は,グラスノスチ以降出てるであろう各種ПУ(野戦教範)の訳や解説を待つしかないのかも.
 「詳解独ソ戦」でグランツが触れている所を見ると,少なくとも'50年代位のは西側関係者も閲覧可能なようだし,
 あるいは自衛隊の内部研究資料や,米軍辺りの類似の資料は既に有るのかも.
 ただ件の「ムワジン・ヌーガン」の訳者経歴を見たら,現役(当時)自衛官だった…Orz
 大丈夫か自衛隊?(笑)

 ソ連崩壊後に明らかになった情報を加えた本が出ないかな?
 過去の軍隊の話で,時事性・話題性はないだろうから,出にくいだろうけど.

――――――軍事板,2009/07/01(水)

「ワレYouTube発見セリ」:Russian army

「ワレYouTube発見セリ」:Russian army Ghostbusters

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Army in Dagestan

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Army ''The Return''

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Soldier___Ρусскому Cолдату (05/22)

「ワレYouTube発見セリ」:Soldat (ロシアの兵士)

「ワレYouTube発見セリ」:The Soviet Army (1987)


 【質問】
 なぜロシア陸軍は「地上軍」とも呼ばれるのですか?

 【回答】
 "Сухопутные-войска"を直訳すれば「陸(の)軍」「地上軍」ということになるが,英語のArmyに相当するАрмияとは明らかに別系統の語.
 英語じゃなく,「ロシア語で考えるんだ」

 ロシア語でАрмияは陸上兵力全て.
 具体的には地上軍,空軍,防空軍,戦略ロケット軍を包括する概念で,海軍はふくまれてはいない.
 その証拠に旧ソ連時代の共産党の軍事統括機関,陸海軍総局のロシア語名は
Glavnoe politicheskoe upravlenie Sovetskoj Armii i Voenno-Morskogo Flota
(キリル文字拾うのめんどくさいから英アルファベット化するね)


 ただし,以下のような意見もある.
 ウィキペディアの「ロシア地上軍」ノートより.

[quote]

改名提案
 「Cухопутные войска」の日本語訳は「陸軍」である.
 普通に日本で市販されている辞書を引けばそう書いてあるし,実際,普通はそう訳される.
 しかし,誰かがいう「ロシア語で考えるんだ!」はまさにそうだが,それ以前の問題として日本語の辞書を引くべきである.
 日本語では普通,「地上の軍隊」のことを「陸軍」という.
 「地上軍」というのは自衛隊用語だそうだが,ウィキペディアでは日本語の一般名詞より自衛隊用語を優先するのだろうか?
 なぜ東側の軍隊には「地上軍」なる「専門用語」を用いなければならないのか合理的な理由がない.
 NATOに加盟すると「地上軍」から「陸軍」に「格上げ」になるのだろうか?
 では,「人民解放軍地上軍」とは呼ばなくていいのだろうか?

 この「地上軍」なる名称で立てられているページに関し,すべて「陸軍」へ改名することを提案する.

[/quote]

軍事板

▼ ところで,ロシア「陸軍」Сухопутные-войскаですが,日本では「地上軍」と表記される事が多い.

 しかしロシア語には,「地上軍」に該当する"Наземные войска"という言葉が別に有ります.
 形容詞"Сухопутный"(スホープイトニィ)には,「陸の」という意味は有っても,「地上の」という意味は無い.
 「地上の」という意味の形容詞は"Земной"(ゼムノイ)或いは"Наземный"です.

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/8/5(火) 午後 9:18


 【質問】
 冷戦中のソ連地上軍の編制について興味があって調べてるけど,当時出版された資料だと,なかなか全容がわからない.
 まぁ,当時どう評価されていたかがわかって面白いけど.

 【回答】
・ソ連地上軍(原書房)
・当時のミリタリーバランス

 この2点があれば,旧ソ連軍の編制は大抵は事足りると思います.

 他には,当時の防衛白書などの広報資料にも,米軍やソ連の師団編制図などの資料がありましたが…
 NATO兵科記号で書いてあって見やすかったのに…
 最近はそういうの全然載せてくれないなぁ(笑)

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 別スレッド
「赤軍の戦車跨乗兵と随伴歩兵と自動車化歩兵と機械化歩兵とはそれぞれ別物だよ」
という風に言ってたけど,ここら辺を理解するのに良い本有る?(二次大戦前頃から戦争終了までで)

 【回答】
 この辺りは本によっても微妙に記述が違っていたり混乱しているものも多いのですが,
「ソヴィエト赤軍攻防史II」
「歴群アーカイヴ Vol.2 戦術入門」
(この2冊ではある意味相反した見解ですが,両方しっかりとした資料を基にしているので,どちらかが大きく間違っているとは考え難い)

 これと「赤軍臨時野外令1936」や,各種ソ連系戦記や「詳解 独ソ戦全史」あたりの記述を参考に考察する形になるかと.

 そして記述全般と戦術から考察すると,デサントは結局2種類.
 作戦レベルの戦車跨乗(輸送力不足解消としての自動車化狙撃兵の延長)と,戦術上の戦車跨乗(突撃随伴歩兵の敵塹壕への流し込み)が存在しうると,わたしは考えています.

 で,戦術レベルのデサントは戦史資料にはあっても,実際の歩兵や戦車兵の記述が少ないという話も聞きますが,それは…俗に言う寿命1週間歩兵…が全てを物語っているのではないかと…

 作戦レベルのデサント部隊は生き残りもそこそこで,記述も残るよね…ではないかと.

 で,ソ連の自動車化や機械化歩兵ですが,そこは編制などから判読するのと,戦車だけじゃ運べない(デサントの輸送も限界があるでしょJK)という事から推察しています.
(オスプレイのM3ハーフトラックのレンドリース記述も参考にしてます)

 ただ現場でも,ソ連の事ですから併用/混用も行われていたと思いますし(現場はあるもので戦う),それが現在の前線での事実詳解の判読困難を招いているとも思います.

 あと,知人に書いてもらった原稿に,ソ連の編制も載せてもらったんだけど,戦車旅団や戦車連隊に属する自動車化狙撃兵大隊の編制とかも重要と思います.
 たぶん,これらは
「図解・ソ連戦車軍団」斎木伸生
「The Red Army Order of Battle in the Great Patriotic War」Robert G.Poirier/Albert Z.Conner(Presidio)
「HANDBOOK ON U.S.S.R MILITRY FORCES」WAR DEPARTMENT
あたりを参考にしてると思われ.

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 赤軍の無停止前進システムって,本当に無停止?

 【回答】
 正しくは超越前進優先,再補給は後回しシステムです.
 ちなみに,身軽にした分,部隊の継戦能力も限定されるので,作戦単位数の数を必要としますけど.

 で,再補給は,上級組織の補給部隊にお任せ.

 ちなみに必要な損害も「前向きに許容(笑)」するので,再補給は実質大規模な再編成となり,よけいに進撃ペースの維持に,超越用の作戦単位を必要としていくのでしたぁ…

 あ,ソ連の短い2年間徴兵は,サイクルを短くする事で,大量の予備役育成を考慮した動員込みのシステムなのでヨロシク.
 これで戦時の部隊充足を狙ってましたので.

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分

「止めれるもんなら止めてみやがれ!」


 【質問】
 RMA的要点打撃で本当に,赤軍式無停止攻撃を止められるのでしょうか?

 【回答】
 赤軍式無停止攻撃は,補給を携えひたすら水が低い方に流れるがごとく半ば自動的に進撃するものです.
 その作戦指導は作戦開始前にほぼ固まっており,各級指揮官はその命ずるままに邁進するのみです.

 さて,ここに打撃すべき精密要点があるのでしょうか?
 多少指揮組織を潰した所で,ある意味指揮の委譲は済んでおり,驚異のマニュアル定常的行動を各級部隊は続けるだけです.
 これらはそもそも赤軍の戦術が,基本的に核戦争下という分断されやすい状況をも考慮したところから始まっていると思います.
 つまりある程度の指揮阻害程度では,全体の行動は停止せず,その質量の惰性のままに進んでしまうのです.

 結局,赤軍式無停止攻撃を止めるには,確かに後方に対する阻止攻撃も重要ではありますが,まずは第1梯団を止められねばなりません.
 いくら後方や指揮結節を叩いたとして,その鉄砲水のごとく質量をもってなだれ込む戦力自体を減少させなければ,その衝撃力により押し切られてしまう可能性があるのではないでしょうか?

 まだエアランドバトルでは,敵戦力の破砕を志向していた部分も多々あります.
 しかし,敵第2梯団戦力の破砕だけではなく,敵第1梯団への対処も根本にもっていました.
 つまり極端に分散小型化した部隊による火力誘導のみでは,その敵脳髄を破砕できても,質量もった敵戦力の惰性による突進に蹴散らかさせる恐れがあるのではないかと言うことです.

 巨大なクマの突進に対し,麻酔薬で神経をマヒさせても,その惰性で突き進む突進は狩人を跳ね飛ばし, 彼の家に体当たりして家自体を崩壊させてしまうのではないか?
やはりストッピングパワーとしての戦力の集中は必要ではないのか?

 ま,最終的にはやってみないと分からないですが.
 ただし,これは赤軍が攻勢に出た場合のみに言える話であり,赤軍が防御でいる場合は極めて有効に機能すると思います.
 これは攻撃が我の意思で一方的に行う事が出来るのに対し,防御はあくまでの相手の出方に対応する部分が大だからです.
 つまり対応できねば,防御は成立しないと言うことです.

 で…,赤軍そして,その流れを組むロシアは基本攻撃型の軍隊なんですよね.
 湾岸やイラクでは赤軍型軍隊が防御に回った場合しか参考にならないのにも,注意だと思ったりおしています.

 主導権うらー

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 うらー(挨拶

 むむ,RMA的要点打撃の欠点というか仕様上どうしても対処できない相手,というか限界ということですね.
 暴走しているダンプカーの運転手を射殺しても,ダンプカー自体の『勢い』は止まらない,と.
 一方,止まっているダンプの運転手を射殺すれば暴走自体が起こらない,と.

 冷戦期,NATO各国を恐怖のどん底に陥れていたOMGや梯団攻撃には,意外とRMA的要点打撃は弱い,と.防勢時だと要点打撃しても,相手側は要点への比重が西側ほど置かれていないのもあって,止めきれない,という意見は慧眼モノダターリ.

 結果,あれ(OMGとか梯団攻撃)止める為には防勢時だとエアランドバトルドクトリン系が最良.攻勢時(相手が動いていない先手時)だと要点打撃だけでガッツリ喰えそう.
 ……ってところかしらん?

邪夢@蛸神教 in mixi,2009年04月12日01:26


 【質問】
 ソ連地上軍では食糧補給は,どのように行われるのですか?

 【回答】
 『ザ・ソ連軍』は軍ヲタ必携の書だから,お前ら読めよ.

 ソ連軍は戦闘に際して,1週間分の食料と弾薬を兵に持たせて戦闘に投入.
 戦闘が継続している間は,弾薬と水のみを補給して,食料は補給しない.
 食糧現地調達とかのんびりした話は,戦闘が起きていない間にだけ成立するんだ.
 で,戦闘が2週間継続した部隊は後方に下げ,新たな部隊が投入される.

 ちなみにこれは中国・北朝鮮を含む,旧ソ連圏各国の軍に共通した戦術だ.
 毛沢東語録のどっかにも,同様な趣旨の文があったりする.

軍事板,2010/08/03(火)
青文字:加筆改修部分


(画像掲示板より引用)


 【質問】
 2010.1.11のロシア陸軍幹部の人事移動の内容は?

 【回答】
 ロシア軍事情報ブログ『★くろいあめ,あかいほし』でも取り上げられていますが,ロシア連邦大統領は,2010年1月11日付でロシア陸軍幹部の大規模な人事異動を発令しました.

 以下,ロシア連邦国防省公式サイトより.

[陸軍総司令官にアレクサンドル・パストニコフ大将(1957年生まれ)任命]
 シベリア軍管区司令官から就任.

 前任者ウラジーミル・ボルドゥイレフ上級大将(1949年生まれ)は定年退職.

[ロシア連邦軍参謀本部作戦局長にアンドレイ・トレチャク中将(1959年生まれ)任命]
 レニングラード軍管区司令官第一代理から就任.

 前任者セルゲイ・スロヴィキン少将は,沿ヴォルガ・ウラル軍管区参謀長に転出.

[北カフカース軍管区司令官にアレクサンドル・ガルキン中将(1958年生まれ)任命]
 シベリア軍管区司令官第一代理から就任.

[シベリア軍管区司令官にウラジーミル・チルキン中将(1955年生まれ)任命]
 沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官第一代理から就任.

 前任者アレクサンドル・パストニコフ大将は,陸軍総司令官に転出.

[レニングラード軍管区司令官第一代理にイワン・ブワリツェフ少将(1958年生まれ)任命]
 ロシア連邦軍参謀本部総長第一代理・部隊勤務軍事訓練局長から就任.

 前任者アンドレイ・トレチャク中将は,ロシア連邦軍参謀本部作戦局長に転出.

[沿ウラル・ヴォルガ軍管区参謀長・司令官第一代理にセルゲイ・スロヴィキン少将(1966年生まれ)任命]
 ロシア連邦軍参謀本部作戦局長から就任.

 前任者ウラジーミル・チルキン中将は,シベリア軍管区司令官に転出.

 新任のロシア陸軍総司令官アレクサンドル・パストニコフ大将は1957年2月23日生まれ.
 来月で53歳の誕生日を迎えます.
 前任者より12歳も若い陸軍総司令官です.

 ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキー大将(1954年8月18日生まれ)より3歳年下です.

 今回の人事異動で,ロシア陸軍には,現役の上級大将が居なくなりました.
 というか,ロシア連邦軍の現役の上級大将は,連邦軍参謀本部総長ニコライ・マカロフ(1949年生まれ)ただ一人になりました.

 その他の軍管区司令官なども若返りました.

 前の北カフカース軍管区司令官セルゲイ・マカロフ大将は,まだ定年(60歳)を迎えていませんが(現在57歳),陸軍の将軍では高齢(ボルドゥイレフ上級大将に次ぐ古参将軍)の為か,定年前に引退する事になりました.

 更に,今回の人事異動で,モスクワ軍管区と極東軍管区以外の軍管区司令官は,中将になりました.

 大将の軍管区司令官は,この2人だけです.
 2人とも,総司令官パストニコフ大将の先輩です.

モスクワ軍管区司令官ワレリー・ゲラシモフ大将(1955年9月8日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/1365/1362/1891/index.shtml
 昨年(2009年)2月5日に就任.

極東軍管区司令官オレグ・サリョーコフ大将(1955年5月21日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/1365/1368/8828/index.shtml
 昨年(2009年)1月に就任.

 さすがに,54歳の将軍を引退させるのは早すぎるでしょう.
(加えて,昨年に就任したばかりだし)

 この他,今回は異動しなかった中将の軍管区司令官2人.
 総司令官パストニコフ大将と同年代です.

レニングラード軍管区司令官ニコライ・ボグダノフスキー中将(1957年1月17日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/1365/1363/1919/index.shtml
 昨年(2009年)4月に就任.

沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官アルカージー・バヒン中将(1956年5月8日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/1365/1364/2029/index.shtml
2008年12月3日に就任.

 アナトーリー・セルジュコフ国防相としては,いずれ軍管区司令官も全て中将にするつもりでしょう.
 上記のゲラシモフ大将,サリョーコフ大将の後任には,中将が充てられる事になるでしょう.

 今までは,総司令官が上級大将,軍管区司令官が大将というのが慣例でしたが,今後は総司令官が大将,軍管区司令官は中将という形になるでしょう.

 新任の陸軍総司令官を補佐する総司令部の将軍.
 こちらは,今回は異動していません.

陸軍総司令官第一代理・総参謀長セルゲイ・スコーコフ中将(1960年1月1日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/20726/21187/index.shtml
 昨年(2009年)5月に就任.

陸軍総司令官代理アレクサンドル・ストゥデニキー中将(1955年2月16日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/20726/20953/index.shtml
 昨年(2009年)7月7日に就任.

陸軍総司令官代理・兵器局長ヴィクトル・リズヴィンスキー少将(1959年11月8日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/20726/20739/index.shtml
 昨年(2009年)6月30日に就任.

陸軍総司令官代理・訓練局長ヴィクトル・バトマゾフ少将(1955年4月8日生まれ)
http://www.mil.ru/848/1045/1272/20726/20743/index.shtml
 2006年12月に就任.

パストニコフ大将

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2010/1/16(土) 午後 2:33


▼ 【質問】
 ロシア陸軍総司令官は?
 ボルドゥイレフ上級大将について教えられたし.▲

 【回答】
 2008/8/4,ロシア陸軍(Сухопутными Войсками России)総司令官が交代しました.
ウラジーミル・ボルドゥイレフ上級大将は,ロシア陸軍総司令官のポストに割り当てられる
モスクワ,8月4日(イタルタス)


 ロシア陸軍総司令官は,アレクセイ・フョードロヴィッチ・マスロフ上級大将
(1953年9月23日生まれ,現在54歳)
Алексей Федорович Маслов
から,
沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官ウラジーミル・アナトリーヴィッチ・ボルドゥイレフ上級大将
(Владимир Анатольевич Болдырев)
に交代しました.

 ボルドゥイレフは,1949年1月5日,ヴォルゴグラード州クラスノヤルスク生まれの59歳.
1971年,モスクワ高等諸兵科共通指揮学校を卒業.
1978年,M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業.
1992年,連邦軍参謀本部軍事アカデミーを「優秀な成績」で卒業.
2001年5月,シベリア軍管区司令官に任命.
2002年12月18日,北カフカーズ軍管区司令官に任命.
2003年12月12日,上級大将に昇進.
2004年7月から沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官を務めていました.

 彼と同じ1971年にモスクワ高等諸兵科共通指揮学校を卒業した将軍には,ついこの前,ロシア連邦軍参謀総長に任命されたニコライ・マカロフ上級大将が居ます.
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/32189951.html
 つまり,マカロフ参謀総長とボルドゥイレフ上級大将は,士官学校の「同期生」というわけです.
 M.V.フルンゼ名称軍事アカデミー卒業と,連邦軍参謀本部軍事アカデミー卒業という点も同様ですが,こちらは,両方ともボルドゥイレフ氏がマカロフ氏よりも1年先輩です.

 上級大将に昇進したのも,ボルドゥイレフ氏が早い.
(マカロフ氏は2005年5月8日)

 先にマカロフ氏を参謀総長に任命したのも,今回,ボルドゥイレフ氏を陸軍総司令官に任命したのも,ドミトリー・メドベージェフ大統領とアナトリー・セルジュコフ国防相です.
 最近,セルジュコフ国防相とロシア軍部の対立が取り沙汰されていますが,「同期生コンビ」で,軍部(というか参謀本部と陸軍)の不満分子を押さえ込もうというのでしょうか.

マスロフ上級大将


ボルドゥイレフ上級大将

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/8/5(火) 午後 9:18

▼ その後の2010.1.11,アレクサンドル・パストニコフ大将が陸軍総司令官に任命され,ボルドゥイレフ上級大将は定年退職しました.▲


 【質問】
 セルゲイ・マカロフ将軍とは?

 【回答】
 北カフカーズ軍管区司令官.大将.
 同氏は1952年9月19日生まれで,もうすぐ57歳になります.
 彼は,1974年に高等指揮戦車学校を卒業した戦車乗りです.

 マカロフ将軍は,2008年3月26日に北カフカーズ軍管区司令官第一代理兼参謀長に任命され,2008年5月26日,北カフカーズ軍管区司令官に昇格しました.

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2009/9/3(木) 午後 10:49


 【質問】
 レニングラード軍管区の陸軍兵力を教えてください.

 【回答】
 レニングラード軍管区には,旅団クラスの部隊しか配置されていません.
 「自動車化狙撃師団」も「戦車師団」も有りません.
http://warfare.ru/?linkid=2225&catid=321

第200独立自動車化歩兵旅団
第138独立自動車化歩兵旅団(チェチェン紛争に参加)
第2独立特殊任務(スペツナズ)旅団(一部は2008年8月のロシア・グルジア戦争に参加)
第9砲兵旅団
第268砲兵旅団
第26ロケット砲旅団
第380ロケット砲連隊
第1148対戦車砲連隊
第133対空ミサイル旅団
第18対空ミサイル旅団
第271対空ミサイル旅団
第14対空ミサイル旅団
第25独立自動車化歩兵旅団(予備部隊,基幹要員のみ)

 「主力」の自動車化歩兵は,実質的に2個旅団のみです.

 バルト三国やフィンランドと国境を接する地域に,あえて「弱小」兵力しか置いていないわけです.

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2009/11/22(日) 午前 8:53


 【質問】
 アナトリー・V・レーベチ中佐って

 【回答】
Лебедь, Анатолий Вячеславович

 第45独立親衛特殊任務連隊所属*1 階級 中佐

 アフガーン紛争に従軍したのち94年に軍を辞める.
 しかし99年,イスラム過激派の筆頭であるバサエフによるダゲスタン侵攻のさいには,義勇兵として参戦し,その後モスクワへ飛び再び軍人となる.

 2003年山地の戦線にて地雷を踏み,片足切断という重傷を負うものの生還し,義足をつけて戦闘に復帰した,
 手榴弾による負傷も経験し,体中に傷があるが,今日でも指揮を執り続けている.

 2005年4月6日には大統領令によるロシア連邦英雄が与えられた.
 2008年に勃発した南オセチア紛争にも従軍し,功績が認められ聖ゲオルギー勲章4級を受勲した.

 南オセチア紛争での功績を認められ,聖ゲオルギー勲章4級を叙勲した中佐についての記事.
President Dmitry Medvedev during ceremony of giving awards to 56 servicemen who distinguished themselves during peace-enforcement operation in Georgia
と,昔に書きましたが,この人だったのですね

*1 英版 露版wikiでは「アレクサンドル・ネフスキー」と書かれていますが
45th Independent Guards Reconnaissance Order of Alexander Nevsky Regiment of Special Forces
45-го отдельного гвардейского ордена Александра Невского разведывательного полка специального назначения.

どう訳せばいいんでしょうね?
 第45独立親衛アレクサンドル・ネフスキー特殊任務連隊??

南オセチア紛争でのレーベチ中佐と,愛用のアサルトベスト


CRS@空挺軍 in mixi, 2009年05月19日21:33
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ウラーってなんですか?

 【回答】
 「万歳!」を意味する叫び声.
 以下引用.

 Ура!(ウラー!)は,ロシア兵が突撃する時に叫ぶ言葉として有名です.
 邦書では「万歳〜」,あるいはそのまま「ウラー」と 訳されます.

 ドイツ語ではHurra!(フラー!)となります.パウル・カレルの著書では,この言葉を用いています(ただし,ドイツ兵がHurra!と叫ぶことはなく,ロシア兵の叫びを表現したものです).
 邦書で「フラー」と訳されることのあるのは,ドイツ語からの翻訳だと思います.

 ちなみに英語にはHurray(フレー)という単語があります .運動会などで「フレー!フレー!白組!」などと言いますよね.このフレーです.
 ロシア語のура,ドイツ語のHurra,英語のhurray,これらは同じ語源のようです(それぞれの言語の辞書において,いずれも「万歳」と書かれています).

「戦争映画の中の外国語(5)」

「ウラー!」の使用例
(小林源文『黒騎士物語』より)


◆◆コサック


 【質問】
 今,新聞見てるんですが,南オセチア自治州での戦闘で自治州軍側に加わっていたコサック兵八人が死亡って書いてあるんですけど,コサック兵って何ですか?

 【回答】
 コサック兵といっても時代・場所によって様々な意味を持ちますが,かつてのロシアかその近辺の土地の(貴族ではなく農民の)騎兵を指していうことが多いようです.

 コサックとはタタール語で「群れを離れた者たち」という意味で,自由の民や放浪者という意味があります.
 起原はポーランドやロシアの圧制に苦しんだ農民が脱走し,自治集団を作り上げたものであり,民族より生活様式の意味合いが強い呼称です.

▼ 何故農民が脱走するはめになったというと,それには「農奴制」というのが深く関わってくる.
 この制度下では農民は過酷な税や領主の仕打ちに耐えかねて逃亡する農民が相次ぐようになり,自由を求めて南の天地を目指す者がいた.
 南の土地(現ドン川付近)はロシアの公権力が及ばなかっただけでなく,国家が異民族の侵入阻止や新しい入植の動きを黙認していたのもあったが.逃亡したのは農民だけでなく,犯罪者もこの自由の天地を目指した.

 ただしこの南の土地は確かに自由で法律もなく比較的豊かなステップ地帯だったが,凶暴な敵対的な遊牧民の襲撃の危険もあったため,彼らは生き残るために徒党を組んで武装し,しだいに大規模な武装集団を形成することになった.

 こうして15世紀から16世紀のはじめに,ロシアの南方のドン川・ヴォルガ川・ドプニプル川ヤイク川(後にウラル川と改名)の流域に,戦闘的な集団が自然に形成されたのであった.
 彼らはいずれも川の流域に定着したので川の名にちなんで,それぞれドン・コサック・ヴォルガ・コサックなど呼ばれるようになった.

 ロシア南部の河川流域に沿って自然発生的に成立したコサック集団の中でも,成立時期が古く規模も最大であったのは,ドン川に住み着いたドン・コサックである.

 詳しくは『コサックのロシア』(植田樹著,中央公論新社,2000.3)を参照されたし.

 彼らは自らを守るため,騎馬・操船などの軍事に長けていたので,東ヨーロッパでは傭兵として重用されるようになりました.
 転じて東ヨーロッパでは傭兵を「コサックス」と呼ぶようになったのです.

 16世紀後半のロシアやポーランドは兵力補強の為に彼らを利用しました.
 逆に彼らが彼らの立場を強化するためにどこかの国につくという事もあったようで.
 更に度々反乱を起こしています.
 ステンカ=ラージンの乱とプガチョフの乱が有名です.

 またシベリア開拓の尖兵になったのも彼らです.
 しかし一次大戦後の革命期にレーニンの命によりコサックは抹殺されることになります.
 共産党独裁体制に自由奔放なコサックの生き方は危険だと考えられたからです.
 ソヴィエトが崩壊しエリツィンの命によりコサックの復活が許可されました.

軍事板,2004/08/21
& CRS@空挺軍 in mixi,2008年05月20日17:51(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分

▼ 以下引用.

--------------------------
 ソビエト連邦が崩壊すると,抑圧された諸民族の回復の一環として,コサックも復活を果たした.
 当時のエリツィン大統領は,辺境の防人如く,コサックを分離主義者と戦う戦力と位置づけ,コサックに対して無利子貸し付けや住居の格安支給など,数々の優遇策を打ち出した.
 ソビエト時代には禁止されていた国境警備隊の軍務につく権利や自前の軍事組織である,コサック軍の復活も認めた.ロシア中で,
 帝政時代の遺物とみなされたものが相次いで蘇った.

 〔略〕

 コサックは,ロシア以外に暮らすスラヴ勢力を支援している.
 グルジアやモルドバ国内でロシアへの帰順を求める勢力に食料支援を行ってるし,ユーゴ内戦時には同じロシア正教を信じるセルビア側に立って義勇兵を派遣した.
 チェチェン紛争では,コサック軍が街道での検問やパトロールを行い,正規軍を側面から支援した.
 コサックには,チェチェンの独立勢力の対して強硬姿勢を貫くプーチン政権の熱烈な信奉者が多い.

------------------------------『新シルクロード激動の大地をゆく』上(NHK「新シルクロード」プロジェクト編著,日本放送出版協会,2007.7),p.252

 そして今彼らは傭兵として各地の紛争に参加しています.
 そしてこれは各国の非難するところともなっているようです.

 なお,その凶暴さと極寒に耐える頑健さとを象徴する名称ですので,本来関係がないのに義勇兵がそう自称している可能性もあります.

 もっとも,現在のコサックと昔のコサックは別物だそうな.
 以下引用.

------------
 全体として,ソビエト体制がロシアの過子を消し去り,ロシア人のアイデンティティーの伝統的な源を破壊するために,いかに努力したかは覚えておく必要がある.

 ソビエト体制によってはじめて追放された集団は,ドンおよびクバンのコサック,言い替えれば内戦時に殆どが白衛軍についたロシア人であった.
 その後の数十年間には,他の非ロシア民族の多くがコサックと同等か,それ以上に情け容赦なく追放された.
 その典型例はチェチェン人とクリミア・タタール人だが,多くの場合,追放とその恐怖は,民族のアイデンティティーや連帯感を高めた.
 対照的に,コサック独自のアイデンティティーは事実上弱められた.
 というのも,もともと住んでいた村落から追放され,スターリン主義的な都市や宿営地で他のスラブ的な要素と交じり合ったことで,ロシア語を話すコサックは,ムスリムのチェチェン人あるいはタタール人と比べて,ソビエト化に抵抗する文化的な防衛手段を殆ど持たなかったからである.

 もっとも,第2次大戦中とそれ以降,ソビエト体制がコサックの伝統,ダンス隊,軍部隊まで人為的に作り上げたのは確かだ.
 それらは本物のコサック社会と,ある程度似た繋がりを持っていたが,それは,あたかもタータンチェックの服を着たビクトリア女王のドイツ人配偶者<アルバート公>と,クローデンで突撃した氏族(クラン)との繋がりほどのものだった.※2
 ソ連崩壊に際して,本物のコサック隊やその伝統が再び歴史の表舞台に登場できなかった事は,本物のコサックのアイデンティティーが失われてしまったことを際立たせている.22
〔訳注〕

 ※ クバンはロシア連邦南西部の川.1916年にはコサックの11の軍団,兵員数28万5000人がいて,その3分の2はドンとクバンの軍団が占めた.

 ※2 タータンは,様々の色糸を使った大柄の格子模様の毛織物.スコットランドでは10〜11世紀にかけて,独特のクラン制度が確立し,それぞれのクラン・タータンが生まれた.
 ジャコバイトと呼ばれたその氏族達は,名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の子孫を正統な君主として支持していたが,1746年にはスコットランド北部のクローデンの荒野で,イングランド国王軍によって壊滅させられ,また,翌年にはタータン禁止法が施行された.
 ここでは,1746年当時のスコットランド氏族とアルバート公の関係と同じく,革命前のコサックと戦後のコサックは,外見は似ていても殆ど無関係だったことを指す.

〔原注〕

 22 この部分の殆どは,兄アナトール・リーベンから借用したものである.
 Anatol Lieven, Chechnya, Tombstone of Russian Power, Yale University Press, New Haven, 1998, ch.6を参照.
------------Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)下巻,p.175-176

軍事板,2004/08/21
& CRS@空挺軍 in mixi,2008年02月02日21:14(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分

▼ 付け加えると,治安当局や共産党に反体制勢力とみなされ,絶え間ない監視と弾圧にあったことも指摘しておく,
 また,自分がコサックの子孫であることを公言したり,その復活を主張することは固く禁じられており,人々の記憶の中からでも抹殺されていったのであった.

 【参考文献】
『コサックのロシア』(植田樹著,中央公論新社,2000.3)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年06月27日00:12

 【関連リンク】
「歴史の整理」:コサック(cossak)(簡単なコサックまとめ)


 【質問】
 コサックの社会構造は?

 【回答】
 酒井裕によれば,全体集会や狩猟の選挙制を特徴とする原始民主制社会.
 最小単位はフートル(部落),それが集まりスターニッツァ(村)となり,複数のスターニッツァがオークルク(郡)を形成,そして最後がボイスコ(軍管区)となるという.
 コサックの首領はアタマン(行政職担当アタマンと軍事アタマンとが並立して存在)と呼ばれ,カザチ・クルーク(全体集会)で選出されるという.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.25を参照されたし.


 【質問】
 なぜコサックは軍服を着るのか?

 【回答】
 ドン・コサックのアタマン(首領),ワシリー・イワノビッチ・カレージンによれば,コサックの礼装であるからであり,軍服はコサックであることの目印であり,同胞を識別するための目安なのだという.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.29を参照されたし.

 確かにコサックとは民族ではなく,血統に過ぎないので,軍服を着ていないと,それ以外のロシア人とは区別できない.


 【質問】
 コサックの始まりは?

 【回答】
 そもそもは,元からそこに住んでいた半遊牧民に逃亡農民(つまり逃げ出した農奴など)といったアウトローがじゃんじゃん加わり,巨大化していったもの.

---------------
 ドン川流域からトランシルバニア地方とドナウ川流域までのステップ地帯に「プロトニキ」(放浪者)と呼ばれた人びとが遊牧・半遊牧民の間に住んでいた.
 これはステップ地帯に住んだロシア人で,後の「コサック」の祖先であった.
---------------
マヴロージン「ロシア民族の起源」p170

-------------
 彼らはいわゆる民族ではなく,ロシア人やウクライナ人がほかの種族を同化して生まれた集団である.税や農奴制をのがれ,自由を求めて逃亡したギリシャ正教徒の農民の子孫が主体であった.
------------
川端香男里「ロシア その民族とこころ」p201

 〔略〕
 なお,歴史の表舞台に登場するのはイヴァン4世のシベリア遠征から.
 酒井裕「コサックの旅路」では,コサックの歴史は500年だそうで.
(この本は,ロシアを旅してコサックさんと仲良しになった人の旅行日記みたいなもの)

むーちゃ in mixi,2008年08月05日03:25


 【質問】
 カルムイク・コサックのルーツは?

 【回答】
 酒井裕によれば17世紀初頭,モンゴル北西部ジュンガリ地方に住んでいたモンゴル人が,清との国境紛争を避け,南ロシアに辿りついたのが始まり.
 当時ロシアは,対ポーランドや対オスマン帝国との戦争により,兵力不足に悩んでいたため,彼らをコサックとして扱い,国境警備の任に就かせたという.
 アタマン・プラートフはナポレオン戦争の際,カルムイク4千人をドン・コサックに編入,裸体に異様な装飾品を着け,馬を巧みに操るカルムイクに,敵は恐れをなしたという.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.21-23を参照されたし.


 【質問】
 初期のコサックの暮らしは?

 【回答】
 初期のコサックは,生活に便利な川の近くに住み着いていた.
 その暮らしぶりは,葦の屋根をかけただけの,雨露をしのぐのがやっとという粗末な半地下式の掘っ立て小屋に集団で暮らしており,家族を捨ててやって来た独身の男だけで構成されていた.
 足手でまといになるになる女性や子供を伴う者は,仲間に入ることが許されずにいた.
 それが戦場での後顧の憂いない働きをもたらし,命知らずで勇敢果敢なコサック気質を育んだ.

 またこの当時は掟によって,戦いと略奪がコサックの本業とされ,農業や漁業などの平和な手段で生計をたてるのは長く禁じられていた.
 この掟を破り農耕に従事した者は,仲間からの制裁を受け,コサック集団から追放されるという大変厳しいものであった.
 こうしてこの掟によって,彼らは周辺の異民族との戦闘での戦利品や,ペルシャやトルコの隊商や町を襲い,金銀・衣類・食料・武器などを略奪し生計をたてていた.

 したがいコサックの服装や武装も全て敵から掠め取った鹵獲品だったので,服装に統一感がないのは当たり前であった.
 ある者はロシア風のルパシカと呼ばれるシャツにフェルトた皮製の丈の長い上着をつけ,その上に戦利品の冑などの甲冑をまとい,様々な色のフェルト製や皮製の長靴を履いた.
 またタタール人の遊牧民のような先の尖った皮の帽子を被る者もいた.
 武器も長剣や短剣・弓矢・長槍・投げ槍などバラバラであったという.

 【参考文献】
『コサックのロシア』(植田樹著,中央公論新社,2000.3)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年06月07日20:18


 【質問】
 コサックはどのようにして,騎馬民族と融合していったのか?

 【回答】
 「タタールの頸木」によって,ロシア人とタタール人その他のアジア系遊牧民族との交流が深まり,血の同化が進み,温和で保守的な農民であったロシア人は,こうした大草原を馬自由奔放に疾走する世代を重ねるうちに,勇敢果敢な戦士へと変貌を遂げていった.
 常に戦時態勢の生活習慣や服装まで,周囲の遊牧民と同化していった.
 事実キプチャク汗国の本営サライを訪れたヨーロッパ諸国の使節は,旅の途中,ロシア人が遊牧民の生活や習慣に順応して,まるでタタール人のように暮らしていると報告している.
 タタール人の中で暮らすロシア人は,あらゆる面でタタール化が進んでいった.

 15世紀になると強大な力を誇っていたキプチャク汗国が分裂し,シベリア・カザン・クリミヤ・アストラハン汗国に分かれてしまった.
 キプチャク汗国分裂後,タタール人のかなりの部分がコサックに同化した.
 コサックはかつてのモンゴル軍の遠征ルートに沿った宿場駅のあった場所に,自分達の集落を築いたので,タタール系の兵士や住民が居残って,そのままコサックの仲間に加わることが多かった.
 そのためコサックの初期の頃の記録文書の中には,コサック指導者の名前として多くのタタール式の名前があったが,時代が変化するにつれて全てロシア式になった.
 彼らタタール人の子孫達は完全にコサックに同化してしまい,名前もロシア式に改名したと結果だと考えられている.
 さらに時代が経つとロシア政府によって,遊牧民族のカルムイク人やチェルケス人が大勢,コサックに強制的に編入させられた.

 もっともコサックはロシア人などを代表とするスラヴ人が主体ではあったが,初期から後期にあたるまでかなりの程度で,タタール系遊牧民族との混血が進んでいた.

 【参考文献】
『コサックのロシア』(植田樹著,中央公論新社,2000.3)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年06月07日20:18

▼ ただし,コサックの始まりをキプチャク汗国の時代まで遡らせる説明は,数あるコサック起源論の中でも特異なものであって,資料的裏づけは全くない,とする指摘もある.▲


 【質問】
 なぜコサックは,ロシアから離れた存在にはならなかったのか?

 【回答】
 コサックとロシアを結び付けていたもの,それは宗教に他ならない.
 ロシア人達はキエフ・ルーシ公国時代にビザンチンの東方キリスト教を国教として受け入れた
 そしてロシア人達の言語・儀式を取り込んだ民族宗教となりロシア正教と言われるようになった.

 後にロシアを侵略したキプチャク汗国は週休に関しては寛大であり,本国から連行されてきたロシア人信者のために,1261年に本営サライにロシア正教の教会を建てることを許可し,またサライを中心に汗国に住むロシア系住民のためにサライ・ドン主教区が開設,汗の領土の各地に大小の教会が建てられた.
 そしてこの汗の領土に建てられた教会においてもコンスタンティノープルやモスクワからの聖職者が往来し教会の文献も送られてきた.
 ロシア本土でも教会は税を優遇され,宗教を冒涜することは汗によって固く禁じられていた

 「タタールの頸木」の下では,教会は世俗の諸侯よりも優遇されており,社会的立場も教会が上位にあった.
 世俗の権力が地に堕ちた中では,ロシア正教会だけが本土であっても汗国にあっても,ロシア人達の唯一の精神的拠り所となった.
 サライの主教は汗とロシア本土の諸侯の間を取り持ち,ロシア人に関する政策について助言するなど,政治的にも重要な役割を演じるようになった.
 本国から遠く離れた異国の地で暮らすロシア人とっては,教会こそが自分がロシア人であるということを自覚できる場所であり,本国とのかすかな繋がりを残すものであった.
 彼らにとってロシア正教との繋がりは,細いものではあるが民族精神の埋み火ようなものであったと言える

 各地に点在していたコサックはロシア正教の教会区分の中では,キプチャク汗国の首都サライの地に開かれた主教区の属していた.
 汗国の衰退後はサライの主教区がモスクワに移った後も,南の国境外で暮らすコサック達はモスクワの旧サライ(クルチツキー)主教区の信者として留まった.
 その主教はロシア正教会の頂点の全ロシア府主教(後の総主教)の管轄下にあったことから,コサックはモスクワ府(総)主教の下にあったことになる.

 コサック達はモスクワの主教区から聖書や儀式の文献,祭式具を届けて貰い,時には主教が派遣した聖職者を迎えることもあった.
 コサック達は教会との結びつきを通じて,モスクワ大公国との文化的交流を維持することが出来たので,遠く離れていたのにも関わらず,コサックは常にロシア語の言語や筆記法でもロシアとの一体性を失うことは無かった.
 タタール人ら遊牧の異民族も,コサックの仲間に入る際には必ずロシア正教に改宗して同化するのが常であった.

 ロシア正教への熱烈な帰依は,ロシア愛国主義とともにコサックの精神精神生活の骨格を成していたのであった.

 【参考文献】
『コサックのロシア』(植田樹著,中央公論新社,2000.3)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年06月27日00:12


 【質問】
 コサック弾圧を始めたのは誰だったのか?

 【回答】
 レーニン.
 コサックの首脳部と知識人層は銃殺,他のコサックも党指導部の厳重監視下に置き,不穏な動きがあれば即時拘束して銃殺・追放せよと命じた.
 また,博物館に納められていた歴史資料は,全て焼却されたという.
 自由奔放な存在形態が,社会主義革命にとって今後は危険な存在になりうるとレーニンは考えたのだろう,と酒井は推測する.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.20を参照されたし.


 【質問】
 ソ連時代に「コサックの歴史」はどう扱われたのか?

 【回答】
 酒井裕によれば,共産主義の世の中では,コサックという言葉は絶対のタブーだったという.
 エルマークがコサックだということすら,歴史の授業では教えられなかったという.
 その結果,コサック本人たちですら自らの歴史を知らないという状態になったという.

以下引用.

--------------------------
 ロシアの友人と話をしていて,彼がコサックの歴史について,ほとんど何も知らないのに驚いた.
「歴史の時間に習わなかったの」
と尋ねると,
「ソ連時代の教科書はまったく共産党のプロパガンダばかりで,エルマークについても,シベリア最初の征服者とだけ書かれていただけで,彼がコサックだとは思ってもいなかった.
 ましてデジニョフやハバーロフのことなど知る由もない」
 友人ばかりではなく,自らの歴史を知らないという意味では,コサック本人たちも同様であった.

 ロストフにあったコサック本部の一階には,コサック関連の書籍が売られているコーナーがあって,人々が興味深げに手に取っていたのを思い出す.
 ロシア語に翻訳されていたそれらの本は,ほとんどがカナダやアメリカ,ヨーロッパで出版されたものであった. 革命後にこれらの国々に亡命したコサックたちが書いた歴史書である.

 私はさっそく買い求め,これらが本書を書く上での貴重な資料となったのだが,歴史の勉強のやり直しという意味では,私もコサックたちも似たようなものであった.
 古い歴史的スターニッツァが点在する南ロシアのドン地方でさえ,多くの親はコサックの血と歴史について子供たちに伝えることを恐れた,と言われる.
 共産主義の世の中では,コサックという言葉は絶対のタブーであったのだ.
 復活したコサックが,己を知らず,戸惑い,手探りと試行錯誤を何度も繰り返すのも,無理はないのかもしれない.
------------------------酒井裕『コサックの旅路』(朝日新聞社,1994.12),p156より

むーちゃ in mixi,2008年08月07日 01:35


 【質問】
 コサックに関するウカース(大統領令)に署名した,エリツィンの意図は?

 【回答】
 酒井裕によれば,コーカサス地方が不穏な情勢にあることを鑑み,もともと同地と縁の深いコサックによる部隊を設立し,これを国防軍に汲み入れてコーカサス問題対策に当てようと考えたものだという.
 コーカサス諸民族と同地のロシア人との間では,誘拐・殺人を含む様々な事件が頻発しており,ロシアでも最危険地帯の一つだという.
 また,復活しつつあるコサック社会を容認することにより,エリツィン自らの支持基盤を固めようとしたものだ,と酒井は述べている.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.13-19を参照されたし.


 【質問】
 現代のコサック学校について教えられたし.

 【回答】
 ソ連崩壊後にできたもので,民族教育と軍事教練とを行う,事実上の軍学校.
 男女共学.
 生徒には旧労働者階級出身の子供達が多いという.

 以下,詳細.

引用開始--------------------------

*ドン川のほとり 

「皇帝陛下に頂いた土地を守ることがそんなに悪いことかね?」
――チェチェンに義勇軍を派遣したコサック軍の参謀本部長

(略)

 1702年コサックによって開拓された,ヴァーリャ・カリトワ村にあった.
 近くにはドン川流れている.ドン川はショーロフの「静かなるドン」で描かれているように,コサックにとって故郷,あるいは聖地とされる川である

 学校の正面で,ユーリ・イバノビッチ校長が出迎えてくれた.
 近世の騎兵が被るような黒いフサフサ帽昔風の軍服を着ている.
 その格好にも驚いたが,生徒の格好にも驚かされた.皆,迷彩服を着ているのである.
 この学校では迷彩服が制服だったのだ.

「この学校はカディットと呼ばれた帝政期の軍事学校を模して作りました.
 名前はプラートフ・コサック学校.
 プラートフとはナポレオンが攻めてきた時にロシアを守ったコサックの偉大な将軍です.
 彼は命より名誉が大切だと言いました.
 つまり故郷.祖国の繁栄のために命を投げ打って戦ったのです.
 私はその精神を信じます.
 だから彼の名をもらい,構内に銅像を造りました.
 生徒達には銅像の前では敬礼するように指導しています.
 学校方針を一言で言うと,善良で勇敢な愛国者に子供達を育て上げることです.」

 ユーリ氏は300年以上続くコサック一家の出身だ.祖父はロシア革命で処刑されている.
 ソビエト時代には職業軍人を務め,連邦崩壊後にコサックの復活運動に参加.
 1996年に持ち前の政治力と行動力で地方政府やコサックの資産家と掛け合って資金を確保し,コサックの子女の教育を目的とするコサック学校を設立した.

 廊下にはユーリ氏が考えたという教育理念が掲げられていた

・コサックの精神は他の者とは違うことを自覚せよ
・恐怖や痛みを克服せよ
・弱い人間のために強い人間となれ
・我々は決して裏切らない
・我々は偉大なロシアの将来を担っている

 プラートフ・コサック学校では通常の授業を行っているが,学校を特色付けているのは民族教育と軍事教練である.
 例えば民族教育では帝政期のコサックの質素な暮らしを学び,籠や棚などの民芸品を作る.
 この授業のとき,男子は軍服のままだが女生徒はコサック伝統の衣装を着る
(引用者注 メイド服みたいな衣装.ただし強制ではないらしく迷彩服姿の女生徒もいる)
 一方の軍事教練では,サンボやボクシングなどの格闘技,カラシニコフ小銃の組み立て,ロープで建物の側面を上り下りする市街地戦実習,ナイフ投げ,サーベル,乗馬,寒中水泳などを学ぶ.
 また夏冬の長期休暇には,実弾演習やパラシュート降下などの特別授業を行っている.

 一日に四回あるという全校生徒出席の校長講話を聞いた.

「先日の祭りについて話したい.
 祭りの時,セルビアの大使が来て感謝の言葉を述べた.
 コーカサスの代表も来た.
 なぜだかわかるか?
 我々コサックはあらゆる民族に対し素晴らしい関わり方をしているからだ.
 助けを求めてきた正教徒に対し,惜しみない援助を続けてきたからだ.
 諸君は彼ら同胞の感謝の言葉に胸を打たれなかったか?
 我々は,同じスラヴ民族が危機に喘いでるとき,仲間を決して見捨てない.
 何かあったらすぐに駆けつける.
 我々は偉大なロシアの将来を担っている.
 そのことを忘れるな」

 〔略〕

 プラートフ・コサック学校には女子生徒50名を含む300人の少年少女が学んでいる.
 彼らに将来の夢を聞いた.

「卒業したら特殊部隊に入りたい」
「祖父も父も軍人だからそこ志を継ぎたい」
「コサックは祖国を守った.自分もその伝統を守りたい」
「ロシアは偉大なる先進国になるべきだ.
 そのために自分はロシアを守る.
 発展する祖国のために国土を守る」
 生徒の殆どが軍人志望でだった.彼らは野球の選手になりたいというとでも言うように,にこやかに自らの夢を語った.

(略)

 帝政期のコサック学校は地主などの富裕層や爵位を持つ特権階級の子女が殆どであったが,現在のコサック学校は決して裕福とは言えない旧労働者階級出身の子供達が多い.

(略)

 プラートフ・コサック学校の教訓を借りて言えば,質素勤勉に生き,自己犠牲を厭わずに,偉大なロシアのみたいに貢献することが,彼らの生きる意味なのだ.

 カリトワ村の入り口には馬と十字架の碑があり,そこにはこう記されていた.

 「コサックよ!ロシアを守れ!ロシア正教を守れ!」

引用終了------------------------------
―――『新シルクロード激動の大地をゆく』上(NHK「新シルクロード」プロジェクト編著,日本放送出版協会,2007.7),p.

CRS@空挺軍 in mixi,2008年02月02日21:14

『NHKスペシャル 新シルクロード 激動の大地をゆく 特別編 第4集 荒野に響く声 祖国へ』
を買ってきまして早速プラートフ・コサック学校の映像を見ましたが

どこをどう見ても 軍 学 校 です本当にありがとうございました

<memo>

 プラートフ・コサック学校は全寮制.
 午前5時起床 夜10時完全就寝.
 週末に外出許可が出るが,学校の成績や生活態度が悪ければ取り消し.
 厳しい校則が故に親には人気があり,年々入校希望者が増えている.
 女子生徒には良妻賢母教育を重視,取材班に対してカチューシャを歌ってくれた.
 スペツナズ少年も確認,本当にスペツナズを連呼していた(笑)
 彼は卒業した後スペツナズの一員になれただろうか?
 コサックというのは名誉称号であり,誇りでもあることは間違いない.
 孫がコサック学校にいることに対して祖父は
「資本主義になっても経営者にはなって欲しくないな,
 コサックとしてロシア国民の模範となって欲しい」
と願っている.
 祖母も
「コサックの名を汚さないようにね」
と孫に言った.

<雑感>

 しかしこのDVDを見ると,改めて「祖国」という言葉を考えざるをえない.
 カザフスタンで牧畜を営むチェチェン人家族の父親は漏らした言葉,
「私たち(チェチェン人)は厄介者なのか?」
という言葉には何も言うことは出来ない・・・
 題名通り「荒野に響く声 祖国へ」というのはこの章に相応しいタイトルであり,一種の無力感を際立たせる・・・
 祖国がある・帰れるというのはどんなものなんだろうか.
 私には想像がつかない,
 何故なら私には祖国があり,ここに住んでいるからだ.

CRS@空挺軍 in mixi,2008年03月21日20:01



CRS@空挺軍 in mixi,2008年02月02日21:14


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