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◆◆科学技術
<◆総記
ロシアFAQ目次


 【link】

「Fukuma's Daily Record」:ソユーズ宇宙船のモニター画面解説

「Strategy Page」◆(2013/04/12) RUSSIA: Take Your Space Port And Shove It

「Strategy Page」◆(2013/07/30) SPACE: Another Shake Up Of The Russian Space Agency

「VOR」◆(2012/04/03)ロシア 5年後に宇宙飛行用の原子力エンジンを製造

「VOR」◆(2012/05/15)宇宙船のための新型燃料,発明される

「VOR」◆(2012/05/15)ロシア バイコヌール宇宙船発射基地の再建を計画

「VOR」◆(2012/05/15)日本の小型衛星「WNISAT-1」をロシアのヤースヌイ宇宙基地より打ち上げ

「VOR」◆(2012/05/24)ロシアの月面有人基地,25年には完成

「VOR」◆(2012/05/27)ロシア 今年バイコヌール基地からの打上げ記録更新は無理か!?

「VOR」◆(2012/07/29)貨物船「プログレス」 国際宇宙ステーションに2回目でドッキング

「VOR」◆(2012/08/02)プログレスが国際宇宙ステーションと高速ドッキング

「VOR」◆(2012/08/14)ロシア 2015年間までに 宇宙開発に6500億ルーブルを拠出

「VOR」◆(2012/08/30)火星探査機「キュリオシティ」はソ連のプルトニウムで動く

「VOR」◆(2012/09/11)ロゴジン副首相が月の軌道にステーション建設を提案

「VOR」◆(2012/09/21)爆薬からダイヤ製造,ロシア人エンジニアがイグノーベル賞受賞

「VOR」◆(2012/10/05)学者「ロシアは月面基地に向けて準備している」

「VOR」◆(2012/10/13)ロシアの打ち上げロケット 欧州の人工衛星2基を軌道に投入

「VOR」◆(2012/10/14)ロシアのミサイル「プロトンM」 8月の事故以来初めて宇宙に

「VOR」◆(2012/11/26)プロトンM バイコヌールへの輸送中に損傷

「VOR」◆(2013/01/04) ロシアでエネルギー効率の高いロケット燃料開発に成功

「VOR」◆(2013/01/06) ロシアのヴァーチャルリアリティ・ヘルメットで宇宙飛行士ら,火星着陸をシミュレーション

「エルエル」:ロシアの宇宙博物館にある数々のソビエト宇宙開発の歴史の品

「ストパン」■(2010-12-05)[読書][ロシア]ロシアの呪術とニセ科学――社会主義崩壊後のセカイで

『原子力大国ロシア 秘密都市・チェルノブイリ・原発ビジネス』(藤井晴雄&西条泰博著,東洋書店,2012.4)

『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』(冨田信之著,東京大学出版会,2012/2/25)

 著者は武蔵工大の元教授で,ロケット工学の専門家.
 ロシアの宇宙開発の歴史を,19世紀から1960年代まで取り扱ったもの.
 軍事的には,それこそ初期のロケット弾から,革命後のロケットエンジン開発,戦時中のロケット戦闘機開発と,戦後のA4ロケットを基にした,ICBMと宇宙ロケットの開発の経緯,宇宙開発のドタバタと終焉までを書いており,史料としても貴重.
 図版も豊富で,中々面白い中身ではある.

------------眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2012/03/10(土)

 【質問】
 ロシアの科学技術は劣っているのか?

 【回答】
 決してそうではない.
 基礎研究の分野においては,日本や欧米とは発想が異なるユニークな研究成果が多い.
 ただし,それらが実用化に結びつかず,国際市場で競争力を持つ製品を生み出すことにはならなかった.
 現在では研究投資の貧弱ぶりから,それらの衰退が危惧される.

 以下引用.

 ソビエト,ロシアの科学技術,特に基礎研究の分野においては,日本や欧米とは発想が異なるユニークな研究成果が多いと言われています.
 宇宙開発,軍事など国家が優先して,その研究成果を実用に生かしていった分野では,アメリカと比肩する実力をつけ,共産主義陣営の雄としてのソビエトの立場を強化するのに貢献しました.

 一方,それ以外の分野では,官僚主義の硬直化した縦割り行政と,技術力の向上を促す自由競争の欠如により,研究成果と実用化,マーケティングが効率的に結びつかず,国際市場で競争力を持つ製品を生み出すことはできませんでした.

 ソビエト崩壊後,外国からの投資や原油や天然ガスによる利益は,マネー・ゲームに投入されて研究と生産の現場には殆ど向かいませんでした.
 ロシアには,時間の経過と共に,これまで培ってきた科学技術の成果を生かす機会を逸してしまうという懸念もあります.

 〔略〕

 ロシアは,コンピュータなどのデジタル技術では,日本やアメリカに大きく遅れています.
 そのロシアがなぜ宇宙開発の最先端かと,疑問に思われるでしょう.
 しかし宇宙空間では,宇宙塵や宇宙放射線の影響がデジタル機器にどのような影響を与えるのかいまだに十分に解明されていません.
 また,緊急事態が起きても,すぐに駆けつけることのできない宇宙空間では,宇宙飛行士の手で動かすアナログ技術のシステムも無視できないのです.

小林和男著『ロシアのしくみ』(中経出版,2001/7/9),p.116

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 第2次大戦後のソ連のレーダー開発史を教えられたし.

 【回答】
 1946年以降,冷戦が進展すると共に,ソ連は英米からの合法的技術導入を諦め,自力更生に転じ,7月10日付閣僚会議布告に基づいて,通信手段工業省(レーダー本体),装備省(陸上用レーダーステーション),農業機械製作省(近接信管付ロケット砲,巡航ミサイル),航空機工業省(航空機搭載用レーダーシステム),造船工業省(海軍用レーダーシステム)の5つの省にレーダー関係の開発を指示すると共に,従来のレーダー関係会議を改組して,閣僚会議附属のレーダー委員会を設置する事になりました.
 このレーダー委員会は,マレンコフ副首相を議長に,副議長はベルク,委員にショーキン,ブルガーニン,Gosplanの議長を勤めているサブーロフ(後に議長に就任),キルピチニコフが就任しており,その麾下に新たに中央レーダー科学研究所と新技術ビューローが設置されると共に,通信手段工業省の科学研究所3箇所,設計ビューロー6箇所,装備省の設計ビューロー3箇所,航空機工業省の設計ビューロー7箇所,農業機械製作省の科学研究所2箇所,設計ビューロー3箇所と国防省の研究機関若干,砲兵機器科学研究所と赤旗勲章国立空軍研究所などが関与する事になります.

 更に1949年8月15日付の閣僚会議布告第3546-465は,より開発スピードを上げる為,通信手段工業省その他の54工場,19の科学研究所を再編して,レーダー研究に充当するように指示しています.

 とは言え,自力開発は決して平坦な道ではありませんでした.
 レーダー開発・製造の予算を担当していたGosplan第3課長であるキピャトコフはこう述懐しています.

――――――
…この技術分野は,軍事力の要請から立ち後れたままであり,現在の戦術的要求に応えられる水準に達していない.
 1950年の年末までに,ソ連邦で開発・製造されたレーダーの最新機種は可成りの欠陥を持っている.
 ステーションは重く,寸法が大きく,敵側からの妨害を防ぐ事が出来ず,場合によっては捕捉範囲が狭く,座標決定の精度も低い.
 現在迄の所,戦闘機捕捉用航空機搭載レーダー,砲兵陣地位置決定ステーションなどは未だに配備されていない.
 レーダー装置のシリーズ生産は需要を満たしていない.
 工業は品質の良いキット,特に真空管機材を必要量入手するのに深刻な困難を経験している.
――――――

 2月12日のGosplan議長サブーロフの報告では,この原因として,
1つ目に陸軍省,海軍省が共に旧式設備に満足している事,
2つ目に関連各省がレーダー工場とレーダー関連の設計ビューローや研究所にレーダーと直接関係のない課題まで請負わせている事,
3つ目に,1944〜45年に製造された外国製レーダーの複製を除けば,新機種の開発・製造に手間が掛かる事,
最後に,真空管の品質の悪さと真空管製造業の労働者不足
を挙げています.
 人材不足も相変わらず深刻で,レーダー専門家の必要数を1951年度には4,400名としているのに,実際の技術者は1,735名しかいませんでした.

 仮想敵国米国では,航続距離12,000km,最高高度16,000mを誇るとする爆撃機B-52の生産が1954年に始まろうとしていました.
 他の航空機の性能も飛躍的に高まっており,4月29日には実際にB-47が3機,ソ連の領空を侵犯する事件が起きていました.
 こうした現状は直ちに改められねばなりませんでした.

 1951〜55年に掛けて,レーダー工業増強の為に49億4,500万ルーブリの予算が投じられる事が決定されました.
 航空機工業省には7.4億ルーブリ,造船工業省に9.3億ルーブリ,装備省に5.6億ルーブリ,農業機械製作省に1.5億ルーブリ,通信手段工業省に24.5億ルーブリが割り当てられ,通信手段工業省の内10億ルーブリは真空管製造業の大幅な拡張に投資される予定でした.
 また,どさくさ紛れに内務省も1.5億ルーブリの割当を受けました.

 こうした大きな投資でも,キピャトコフは未だ足りないと訴えています.
 1950年度の生産額が年産2,400万個から1955年度の生産額を1.2億個と5倍の増強が必要だと訴え,15億ルーブルの追加割当が必要としていました.
 1951〜53年には関連工業分野で74工場,18研究所,試験施設2箇所(内,真空管関連は19工場,3研究所)の新設,再編,1954〜55年には真空管製造業5工場,試験施設1箇所を含む,計89万m^2の21新工場の建設・稼働を求め,最終的に,当初予算49億4,500万ルーブリが,54億1,500万ルーブリにまで拡大します.
 この建設作業は,内務省の担当となり,25のレーダー関連企業の新設が内務省の手によって行われています.

 しかし,レーダーの増強だけでは,権力最上層部層の不安に応えられませんでした.
 そこで,対空誘導ミサイルを持つだけでなく,それを有機的に結合した対空防衛システムの構築が考えられる事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/03/16 22:34

 1948年,党政治局の集まりでゴーヴォロフ元帥が報告した内容は,対空ミサイルとレーダー網と有機的に結合した対空防衛システムを構築すると言うもので,スターリンの関心を強く惹き付けるものでした.
 そして,内相ベリヤがこの問題を所管するものとされ,1950年,内務省内に第1設計ビューロー(КБ-1)が設置されます.

 その所長にはベリヤの係累エリャン中将が,総設計技師には1937年にトハチェフスキー事件に連座して逮捕され,1939年の第二次大戦開戦に伴って釈放されたクークセンコ,更にベリヤの息子セルゲイも主任設計技師として働く事になりました.
 セルゲイ・ベリヤは,モスクワ航空専門学校卒業生で,1948年には既に戦略防衛システムの構想を提案していたとされています.
 КБ-1の活動は全て国家保安省(当然これもベリヤの管理下にあった)の監督下に置かれますが,国家保安省職員が各課の課長職を独占し,科学者や設計技師は次長止まりでした.
 このКБ-1には一定の優遇条件の下,ドイツ人専門家も勤務していたと言われています.

 1950年8月,КБ-1は,対空防衛部隊が示した1,100〜1,200km/hの速度で,高度3〜25kmを飛ぶ35km以内の目標を同時に20機捕捉し,対空誘導ミサイルを管制する対空ミサイル防衛システム構想に応える技術的提案を纏めました.

 此を受けてスターリンは,第3総管理部の設立を指示しました.
 長官はリャビコフ少将,次官にヴェトーシュキン,麾下の科学技術協議会議長には科学アカデミー会員のシチゥーキン,主任設計技師はカルムィコフが任命されると共に,КБ-1は新たに総管理部の設計開発部門と位置づけられ,第1特別ビューロー(СБ-1)とも呼ばれる様になります.

 初のミサイル防衛システム(ЗРС)は,Беркутと言うコードネームが割り当てられましたが,このコード名も,セルゲイ・ベリヤとクークセンコの姓を合成したものだったりします.
 ベリヤはСБ-1の活動を監督し,屡々実験場に出向き実験を観察しました.
 御陰で,СБ-1の職員は同じ実験を何度も繰り返し行う羽目になり,実験が不首尾に終わると,その都度ベリヤは激怒し,内務省の監督官をСБ-1に派遣していました.

 Беркутの構築は,何にも増して優先する事になっていた為,レーダー開発・生産に従事していた各省の生産活動を益々圧迫するものとなりました.
 堪り兼ねた各省は,Gosplanに負担の軽減を訴えています.
 例えば,通信手段工業省は,Беркут関連の装置製作に忙しく,ロケット関連の仕事の終期を延期して欲しいと訴えていますし,造船工業省は,Беркут関連の機器製造で手一杯なので,Р-1ロケット管制用のジャイロスコープ機器の為の試験設備22品目の製造を他の省に回して欲しいと懇願しています…が,Gosplanはこれを却下しています.
 更に,通信手段工業省はレーダー関連を統括する新しい総管理部の新設をも要求していました.

 こうして,ベリヤの半ば強引な手段でСБ-1は恵まれた地位を築いていた訳ですが,そのライバルとなる研究機関は逆に大きな制約を受けました.
 1950年の段階でロケット開発の中心だった第88科学研究所(НЕЕ-88)の防衛ミサイル開発は,内務省からの干渉で大きく停滞します.
 1951年12月には,ミサイル開発に消極的とされた砲兵総管理部長官ヤコヴレフが解任,逮捕されました.
 更に,1952年になると3箇所のミサイル設計ビューローが強権的に閉鎖され,СБ-1は対艦巡航ミサイル開発独占を実現しました.

 Беркутシステムの根幹になる射撃管制用レーダーБ-200は,СБ-1で開発が進められ,1951年10月に試作1号機が完成しました.
 しかし,これは仕様に合致しておらず,別にドイツ人協力者のグループが独自に並行して設計を進めていたレーダーを転用して,2号機の設計を進めました.
 1952年6月に2号機は完成し,6月24日〜9月20日にかけて試験が実施されました.
 Б-200に伴う誘導システム開発は第108科学研究所(НЕЕ-108)のラスプレーチン等が援助し,長距離目標捕捉レーダーА-100開発は第244科学研究所(НЕЕ-244)のレオーノフのグループが担当し,ミサイル発射装置はバルミン等の運輸設計ビューロー,管制用電子計算機は科学アカデミー・精密機械・計算機器研究所が,迎撃ミサイルБ-300は,ラヴォーチキン率いる第301特別設計ビューロー(ОКБ-301)が,その管制用電子機器類は,НЕЕ-88から移籍したババーキン等旧Р-101(ドイツの対空ミサイルであるヴァッサファール)のエンジニアが開発しています.

 対空ミサイルの仕様に関しては,内部でドイツ技術信奉グループと自主開発グループで大きな論争が展開されており,2種類のミサイルが並行して開発されていました.
 最終的に採用されたラヴォーチキンのБ-300はエンジンにР-101の液体燃料ロケットを其の儘流用し,НЕЕ-88のイサーエフ・チームが設計したものでした.
 これに対し,СБ-1でトマセヴィッチ等が設計した32-Вミサイルは,固体燃料を使うものでしたが,設計開始が1951年と出遅れ,Беркутには間に合いませんでした.
 しかし,このミサイルは,その後継システムであるС-75Двинаに活用される事になります.

 そうこうする内に,1953年,スターリンは死亡し,6月にベリヤは逮捕されて,セルゲイらベリヤ・ファミリーは,СБ-1から追放され,СБ-1は農業機械製作省に所管が移り,НЕЕ-108のラスプレーチンが主任設計技師に就任して,名称をС-25と改め,開発を続行する事になりました.

 С-25を基礎とした首都モスクワの防空網建設は1958年に完了します.
 それは,内外二重に走る環状道路に沿ってミサイル発射サイトを展開したもので,内側環状道路沿いに22箇所,外側環状道路沿いに34箇所が設置されていました.
 それぞれのサイトは,ミサイル発射エリア,誘導ミサイルエリア,管理・住居・技術サービス棟,及び変電所の4区画から成り,約30名の士官と430名の兵が常勤していました.
 Б-300ミサイルは,第82国立航空機工場で月産100基のペースで,1956年までに計32,000基が生産されました.

 1954年8月,建設途上の防空網はモスクワ防空管区として編成されますが,米国の戦略偵察機U-2の捕捉が,初めて防空管区のА-100レーダーが捕捉した目標でした.

 それにしても,家族ぐるみでミサイル防衛システムを構築するとは,流石,ソ連って感じです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/03/17 22:36


 【質問】
 なぜロシアからの頭脳流出が起きているのか?

 【回答】
 生活難や先行きが不透明なことによる.
 核専門家がテロ支援国家に流れて,核開発がその国で行われては大変なことになるため,先進国ではそれを食いとめるための助成プログラムを支援している.

 以下引用.

 ソビエト時代,科学アカデミーの研究者達は,国家の頭脳として恵まれた待遇にありました.
 しかしソビエト崩壊後,財政難のため学術研究分野の予算は大幅に削減され,資金不足で十分な研究活動が行えなくなりました.
 また,激しいインフレで多くの研究者達は生活していくのもやっとという厳しい状況に追い込まれました.
 外国,とりわけ西側の研究機関と共同で活動を行う機会に恵まれた研究者は,月に数百ドルから数千ドルと,平均給与の数倍から数十倍に当たる給与を得て,外国での学会に参加することもできます.
 しかし,そうした機会に恵まれない研究者は,月収が50ドル前後で,生活維持のため複数の副業を持たなければならず,研究活動にじゅうぶんに従事できないという事態が起きています.

 こうした事情や先行きが不透明なことから,研究者の一部は,活動の場を海外に求めるようになります.
 学術界に多いと言われるユダヤ系市民がイスラエルへ移住したのをはじめ,研究生の招聘や交換プログラムを利用してドイツ,アメリカ,イギリスなどへ移るケースが目立ちます.
 ここ数年は,有識者を優先して移民を受け入れているカナダ,ニュージーランドも人気を集めています.

 特に核関連の研究者の中には,高い給与と特典を条件に,核開発を進める国々に招かれるケースも出てきています.
 先進国の間では,核兵器や関連技術がイラクや北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国などに拡散することへの懸念が高まり,ロシアに対して資金援助を行い,核専門家の流出を避けるための受け皿となる研究機関作りを促しました.
 また,アメリカの「カーネギー基金」や国際投資家ジョージ・ソロス氏の設立した財団,EU=ヨーロッパ連合などの助成プログラムも実施され,核開発だけでなく,幅広い分野にわたって,研究者と研究機関の活動に対して支援を行っています.

小林和男著『ロシアのしくみ』(中経出版,2001/7/9),p.126-127


 【質問】
 秘密都市とは?

 【回答】
 ソビエト時代,ベールに包まれていたのが,核開発が中心に行われた秘密都市です.
 秘密都市は10あると言われ,研究機関の科学者と技師,その家族しか出入りすることが許されませんでした.
 連邦崩壊後も立ち入りは制限されています.
 秘密都市は「アルザマス16」,「チャリャビンスク70」,「クラスノヤルスク45」というように番号がつけられ,各都市に科学アカデミー会員の科学者が送り込まれ,国家と共産党の指令に従って核開発が進められました.

小林和男著『ロシアのしくみ』(中経出版,2001/7/9),p.128

 道に迷って,こういう都市に迷い込んでしまったら,どうなるんだろ……?


 【質問】
 ロシアの原子力技術は,ソ連崩壊によるダメージをどの程度受けたのか?

 【回答】
 個人的には1991-1995年のエリツィン政権下のロシアがどん底だったように考えています.
 ご存じの通り,急速な市場経済化を行ったのですが,深刻な経済の停滞を招き,ロシア海軍も大軍縮を迫られた時代でした.
 そのため,この期間は巨大な軍事的空白の時代でもあり,新規プロジェクトもことごとく頓挫したのですが,旧ソ連・ロシアの原子力技術は,原子力発電所等の新設が止まっていた旧西側よりも,受けたダメージは浅かったのではないかと考えています.

 もちろん,核兵器技術者の流出問題など,核不拡散上の問題はあったのですが,それを支えるだけの技術者育成基盤(人材基盤)までにダメージがそれほど及ばなかったため,TMI事故やチェルノブイリ事故で原子力が徹底的に忌避された旧西側(日本やフランスを除く)より,まだマシな状況だったと言えます.

 そのため,実際の建造はプーチン政権下以降で復活した経済の中で,その空白期間をようやく取り戻した状況ではありますが,人材基盤がまだしっかりしているため,決して侮れない実力を持つと考えます.

 因みにこれは民生分野も同様であり,元々独自の高い技術力を保持していたところ,苦手な計測制御設備については,Siemensを初めとする西側技術の積極的な導入を図り,新規計画炉では旧西側とも比類できる実力を保持し続けていること.
 そして,核燃料周りの部分はほぼ温存されており,特にウラン濃縮分野では,「むしろ旧西側よりも高い技術・処理能力を保持している」ことは特記できるものと考えます.

 だからこそ,つい最近の日露原子力協定の締結など,旧ソ連諸国への原子力分野での接近が目立つのであり,元々高い評価があった技術・能力にようやく光が再び差したと言えます.

 逆に言えば,冷戦に勝利したはずの旧西側の方が,こと原子力部門においては,人的基盤(特に後続技術者育成)からダメージを受けていたため,冷戦期間で蓄積した技術者が高齢化により現役から退いて行くに従い,ボディ・ブローのようにダメージが溜まっていることが指摘できます.
 アメリカですら,核兵器の一部分野でロスト・テクノロジーが発生しているのも,その一例と言えるでしょう.

 そのため,最近の国際的な原子力の再評価があっても,日本やフランス以外の企業群の動きは,合従連衡・再編成が進む表向きよりも低調であり,人材基盤の再構築から始めなければならない
(特にアメリカでは極めて深刻であり,日本やフランスの技術者を引き抜いたり,招聘することが行われています)
ことが言われています.

 逆に見れば,技術者の争奪戦となっているため,合従連衡・再編成が進んでいると言えるほど
(我々専門従事者でも,特に英語が出来る人間は水面下で引き抜き合戦が行われているのが現状.実際,MBAまで取得した英語に堪能な同期には引き合いが強く,日本国内でも海外(連携)業務の増加に対して,特に重電メーカーで不足気味であり,失われた10年間ではとても考えられないところです.
 これは,英語が苦手な私個人でも,その特殊技能により転職先を海外に探せるほどと言えば,その一端が理解してもらえるのではないでしょうか.)
であり,人的基盤がそれほどダメージを受けなかったロシアの存在感は,むしろ増していると評価すべきと愚考します.

へぼ担当 in mixi,2009年12月23日 08:07
青文字:加筆改修部分

原発を視察するプーチン
(画像掲示板より引用)



 【質問】
 エリツィン時代はロシアの黒歴史ですからね.
 プーチンになって復活したのは頷けます.

 しかし日本とフランス以外で,原子力技術が低調だったのは何故ですか?

バルセロニスタの一人 in mixi,2009年12月23日 13:22
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 基本的に細々ながらも現物を作り続けることが出来たか,それとも維持・管理に特化してしまったか,と言う点で致命的な違いがあります.
 建設が続いていれば,有る程度以上の人員が必要なため,その人材育成も続けることが出来,持続可能
(それでも日本は相当厳しい時代をくぐりました)
となりますが,一旦やんでしまうとその逆が発生し,原子力系学科の大学を出ても就職できないことから,原子力系の大学教育が低調となり,現役なのは新入社員ぐらいの時に過去のプラント建設を担当したことのある,現在は退職寸前のベテランばかり(実際WHやGEはそのような状況であった),という状況になってしまいます.

 そのため,現在のところ実際に単独で原子力プラントを制作・輸出できる余力があるメーカーは
1.フランスAREVA社(旧Framatom)
2.東芝・WH連合
3.日立・GE連合(海外ではGHNE;GE-日立 Nuclear Energy)
4.ロシア
5.三菱(場合によってはAREVA社との連合)
--(大きな壁)--
6.中国
7.カナダ
8.韓国その他
と言ったところでしょうか.

 事実上,1.〜5.の5強が市場を争う展開であることは間違いなく,米国や欧州市場他で激突する形を取っています.
 なお,独Siemens社は仏AREVA社と喧嘩別れをした後の動きが見えないところ.

 一方,6.〜8.は輸出は出来ないことはありませんし,少数ながら実績もある場合があります.
 しかし,主要構成物を制作できない(もしくは大きく技術力に劣る)など単独ではかなり無理があり,何らかの形で1.〜5.の5強,もしくは他のメーカー(原型技術を持つCE社やB&W社系列など)の協力を仰ぐことになります.

 なお,原子力潜水艦などの軍用舶用炉の技術については,少々事情が異なりますが,それでも似たようなことが言えます.
 基本的に米英はGEと旧WH軍事部門担当.他は上記と同じと考えていただければ,それほど大きな間違いになりません.しかし,詳細は軍事分野故に情報遮断が極めて徹底しているところです.

 以上,ご参考まで.

へぼ担当 in mixi,2009年12月23日 16:42


 【質問】
 バイコヌール宇宙基地はどういう施設から構成されているのか?

 【回答】
 横幅120km,奥行き80km,広さ7300m2
 15の発射台やロケット組み立て工場がある.
 宇宙開発の犠牲者達を偲ぶ記念碑も.

 以下引用.

 ロシアには,この他主な宇宙基地が3ヶ所(プレセツク,カプスティン・ヤール,スバボードヌィ)ありますが,15の発射台やロケット組み立て工場を誇るバイコヌール基地が最も充実しています.
 この基地の横幅は最大120km,奥行きは最大80kmで,広さはおよそ7300m2と,宮城県とほぼ同じで世界最大の面積を誇ります.
 1955年,中央アジアを流れるシルダリア川沿いのチュラタムに建設されました.

 ロケットの種類によって発射台が異なり,友人飛行に使われる「ソユーズ」,大型衛星を打ち上げる「プロトン」,大陸間弾道弾ミサイルを改良した「ゼニット」,その他計画が中止された全長60Mの巨大ロケット「エネルギア」の発射台があります.

 「ソユーズ」ロケットの打ち上げに使われる発射台の一つは,「ガガーリン・スタート」と呼ばれています.
 ガガーリン大佐を乗せたロケットをはじめ,殆どの有人飛行の打ち上げが行われ,打ち上げ回数は400回以上に上ります.

 栄光の歴史だけでなく,事故の記録も刻まれています.
 1960年10月に発射準備中のロケットが爆発し,ネジューリン元帥を含む50人以上が焼死しました.
 ソビエト時代,事故に関する情報は犠牲者の親族に対しても秘密にされました.
 現在,発射台跡やバイコヌールの町(旧名レニンスク)には,宇宙開発の犠牲者達を偲ぶ記念碑が建てられています.

小林和男著『ロシアのしくみ』(中経出版,2001/7/9),p.112-113

faq061206f.jpgへのリンク
faq061206g.jpgへのリンク
faq061206h.jpgへのリンク
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 バイコヌール基地はカザフスタンが独立した後も,ロシアが使っているのか?

 【回答】
 カザフスタンとロシアとの関係に左右されるようになったため,現在ではバイコヌールは商業打ち上げにしか使われず,軍事用ロケットの打ち上げは,プレセツクへ移転したという.

 以下引用.

 ソビエト崩壊後,バイコヌール宇宙基地はカザフスタン領になりました.
 待遇改善を求めるカザフ人労働者による暴動も発生し,専門家や技術者の流出が相次ぎました.人口10万の内,ほぼ半数がロシアに戻ったと言われています.

 カザフスタンは,ロシアに対して基地の使用料を支払うよう要求し,1994年,年間に1億1500万ドルを支払うことで合意しました.
 しかし財政難のため,ロシアの支払いが遅れたり,ロケットの墜落事故でカザフスタンが一時打ち上げを差し止めたりするなど,バイコヌール宇宙基地の運用はロシア・カザフスタンの2国間関係に大きく左右される状態になっています.
 このため,ロシアは,バイコヌール宇宙基地を商業打ち上げに限り,安全保障と直接関わる軍事用打ち上げは,ロシア北部のプレセツク宇宙基地から行う方針を決めました.

小林和男著『ロシアのしくみ』(中経出版,2001/7/9),p.113-114

 ウクライナ領になってしまった某造船所みたいな話やね.


 【質問】
 パブロフって誰?

 【回答】
 パブロフ(1849〜1936)はリャザン生まれの,ロシア(旧ソ連)の生理学者.
 ペテルブルグ大学で自然科学を学び,1879年,陸軍軍医学校を卒業し,ドイツで実験技術を習得後,軍医学校教授となった.
 1904年,消化液分泌の神経支配に関する研究――いわゆる「パブロフの犬」――で,ノーベル生理・医学賞を受賞した.


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