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◆Hungary ハンガリー Magyarország
欧州FAQ目次

※ 並びはほぼアルファベット順

聖イシュトバーンの王冠

こちらより引用)


 【Link】

「2ch. 海外旅行板」(2002/06/25~) ▼▲☆ハンガリー総合☆▲▼
 レス回収済
 レス回収基準は「v.e.r. = 8」

「2ch. 外国語板」◆(2001/06/30~) ハンガリー語ってどうよ?
 レス回収済
 レス回収基準は「v.e.r. = 5」

「2ch.外国語板」◆(2003/02/18~) ハンガリー語学者 深谷志寿専門スレ
 回収すべきレスなし

「2ch. 世界史板」◆(2001/08/19~) ハンガリーについてのスレです.
 レス回収済
 回収基準v.e.r.=6

「2ch. 無線板」◆(2006/04/30~) 【HA】ハンガリー
 回収すべきレスなし

A Magyar ejtőernyősök ruházata  a II. világháborútól az 1980-as évekig

Budapest Sun

「Honvedelem」◆(2013/9/28) Tíz kevésbé közismert tény a Magyar Néphadseregről
ハンガリー人民軍に関する10の知られざる事実

Hungarian Homepage(リンク集充実)

Hungary Today

Japan - magyar szotar (Tamino)

Libri(ハンガリー書籍,洪語)

「Magyár Honvédség」◆(2013/06/05) A hétfõi nap során elõször részlegesen, majd teljes mértékben aktivizalták a Magyar Honvédség Katasztrófavédelmi...
月曜のドナウ川氾濫による洪水の災害支援のため,ハンガリー軍出動す

Magyar Rendőrrelikvia-Gyűjtők Egyesülete
ハンガリー警察記念物博物館

「Magyar Rendőrrelikvia-Gyűjtők Egyesülete」◆(1014/3/20) Csuhai Zoltán: A magyar államrendőrség rendfokozati jelzései 1945-46.

Origo(検索エンジン)

Sztaki(The English-Hungarian, Hungarian-English Dictionary)

「VOR」◆(2012/10/31) 25万以上ハンガリー国債を購入すれば在留資格獲得可

駐日ハンガリー大使館(ハンガリー史)

ハンガリー人名辞典(洪語)

●ハンガリー語

Szegedi Tudományegyetem, Irinyi Kabinet: Keresés az angol-magyar és magyar-angol szótárban

MTA SZTAKI Szótár

Online English to Hungarian to English Dictionary

Lingvodesko: Hungara-Esperanto

Online English to Hungarian to English Dictionary

Transylvania.info: Romanian - Hungarian - English Dictionary

English-Hungarian Online Dictionary. Free online English-Hungarian translation

民の:日本語-ハンガリー語、ハンガリー語-日本語辞書

ハンガリー語独習コンテンツ

●ハンガリー・メディア

Újság.lap.hu(ハンガリー新聞サイトのリンク集,洪語)

RTL Klub(民放テレビ局,洪語)

Hír TV(民放テレビ局,洪語)

www.mit.hu(通信社,洪語)

METRO Online(フリーペーパー,洪語)

ハンガリーデイリーニュース


 【質問】
 ハンガリー軍事書を買える所を教えてください.

 【回答】
 イシュトヴァーン聖堂の近くに模型屋があって,軍事関係の本もおいてあったと思います.
 軍事博物館の売店は今一品揃えがよくありませんでした.

ギシュクラ・ヤーノシュ : 世界史板,2002/06/15
青文字:加筆改修部分

 イシュトヴァーン聖堂ってのはバジリカのことですね.
 それはチェックしておかねば.
 本や小説は読むためにあるのではなく,収集するためにある,なんちて.

neue ckm ◆HUNyfWZI : 世界史板,2002/06/15
青文字:加筆改修部分

 総合的にいろんな書物を販売してる”Libri”が海外から注文を受け付けてくれればいいのですが,どうなんでしょうか.
 小生まだハンガリー語が全然かけないので頼んだことがないですが,以下は"Libri"と"Osiris"のアドレスです.
http://www.libri.hu/
http://www.osiriskiado.hu/

ゴードン将軍 : 世界史板,2002/06/14
青文字:加筆改修部分

 ハンガリーのオンライン書店.
 上の方は英語のページもあります.
http://www.inext.hu/bouchal/
http://www.fokuszonline.hu/cgi-bin/start.cgi/apps_fokusz/display/index.html

世界史板,2002/06/14
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリー Hungary はフン族の子孫と言う意味

 【回答】

 英語の Hungary,すなわち,ラテン語の Hungaria(フンガーリア)はフン族の国という意味ではありません.
 フン族の国は「フンニア」(Hunnia) です.
(確かハンガリーの映画会社にもフンニア撮影所というのがあったと思います.)

 ウラル地方から東方からの民族大移動の圧力により,黒海の方に避難してきたマジャル人は,トルコ系のオノグル (onogur) 人の庇護を求め,しばし彼らと行動を共にしておりました.
 その結果,マジャル人達も周囲から“オノグル人”と呼ばれるようになりました.
 ハンガリー人がカルパチア盆地に征服定住した時にもそう呼ばれました.
 それが転じたものが,ラテン語の民族名の Ungarus(ウンガールス)で,国名の Ungaria(ウンガーリア)です.
 ドイツ語の Ungarn やロシア語の Vengrija,イタリア語の Ungaria,フィンランド後の Unkari 等は全てこの語形が語源です.

 その後,中世になって,西欧諸国で Ungaria の先頭に黙音のHが付く表記が現れ始めました.
 ラテン語でも Hungaria と書かれるようになりましたが,当初の発音は「ウンガーリア」のままだったと推定されます.
 それが後にHも発音されるようになり,これが英語やフランス語等におけるハンガリーの表記になっていったものと思われます.
 ですから,語源的にフン族は全く関係ありません.

 もっとも,西欧で Ungaria の先頭にHがつくようになったのには,多分,フン族との連想も働いていた可能性もあります.
 一説には中世フランスの学生の悪ふざけが発端だったとも言われています.
(このフランス人学生の悪戯説は,むかし,現在の駐日ハンガリー大使のお父上のセルダヘイ・イシュトヴァーン先生に聞いたことです.)


  アジアとの関係で言えば,匈奴が西へ行ってフン族になり,その子孫がMagyarになったと言う説がありますが,未だ証明されていません.
 狩人のフノル (Hunor) とマゴル (Magor) 兄弟の伝説がそれです.
 2人で魔法の鹿 (csoda szarvas) を追って行き,最後に現地の娘を嫁にし,フノルの子孫がフン族に,マゴルの子孫がマジャル族になったというですが,しかし,これは恐らく中世の創作でしょう.

しい坊(黄文字部分)他 : 世界史板,2001/09/30
青文字:加筆改修部分



 【反論】
 おっしゃるとおり,マジャール人はフン族の末裔ではありません.
 しかし,彼らの民族伝承では,彼らをパノニア平原に導いた族長アールパードはフン族の大王であるアッチラの末裔だということになっているそうです.
 中世の年代記等でもそういう記載になっているそうで,アールパード家の王たちは,自分たちはアッチラの子孫と信じていたのでしょう.
 ちなみに現在のハンガリーでアッチラという名はけっこうポピュラーですが,これは中世のそれとは関係なく,近代になってハンガリーらしい名前ということで名づけるのがはやりになった名残だそうです.

 【再反論】
 そうなんですか (^^)?
 寡聞にして存じません.

 中世の歴史書は現代の歴史学的な文献とは違います.
 ハンガリーに限りませんが,当時の歴史書はどこの国民のものでも限りなく文学作品に近く,概ね,彼らの居住地にかつて居住していた名門民族 (?) を自分らの直接の先祖だとすることが一般的でした.
 現代でも,ルーマニアの“ダキア=ローマ史観”なんていうのはその典型ですね.

しい坊 : 世界史板,2001/09/
青文字:加筆改修部分

 歴史好きの友人(ご主人はハンガリー人)から聞いた話ですので,正確ではないかも知れませんがハンガリーの建国伝説におけるアッティラ関連の件です.
 それによれば,フン族とマジャール族はもともとひとつの民族だったいうことになっております.

 その当時の彼らの王(族長のことでしょう)ニムロードの息子のフノルとマジャールが狩りに出かけて牡鹿に出会い,その後を追ってたどり着いた土地現地の娘と結婚して住み着きました
(ドンの河口あたりのことだそうです).
 やがて,その地も手狭となり新天地を求めて旅立つかが,一族の中で議論されましたした.
 その結果,フノルの子孫であるフン族は神の剣の飛んでいった西の方角へと向かい,マジャールの子孫はドン川の河口の地に居残ってフン族からの知らせを待つことになったそうです.
 西に向かった当時のフン族の長の息子がアッチラとブダです.
 フン族はドナウとティサの間の地に落ち着き.その地で神の剣を見つけます.
 そしてその神の加護の元に「世界征服」をしたことになっています.

 古い年代記(たぶんゲスタ・ウンガロルムのことでしょう)ではこの伝説を基にアールパード(後に残ったマジャールの子孫)達の「フンニア」(ドナウの東)征服を正当化しているのだそうです.
 つまりフンニアはアッチラが神の剣を見つけた土地で,フン族とマジャール族にとっては神に約束された土地ということになるのだそうですです.
(フン族の征服した土地ともみれるが,一般にはドナウの西のパンノニアに対してドナウの東).

 さて,伝説ではアッチラにはアラダールとチャバの二人の息子がいて跡目を巡り,フン族を二分して凄惨な争いをしたといいます.
 流血の闘争の結果,チャバがアラダールを殺して勝利を得ましたが,一族のうち生き残ったのは数千人という悲惨な状況になってしまいました.
 ここにおいてチャバはマジャール族を呼びに戻ることを決意します.
 マジャール達の力を加えて,アッチラの領土を取り戻そうとしたのです.

 そこで,東の果てのセーケイに一族のうち3千人を残し,マジャールの住む祖先の地に向かって出発しますが,出発に際し儀式を行い,セーケイに残る一族に危険が迫ればすぐさま駆けつけることを誓ったのです.
 ここにおいてチャバはマジャールの地へ出発しかけましたが,セーケイが敵に襲われ3度戻る破目になりました.
 そして4度めに出発して,その後戻ることはなかったのです.
 百年後,再びセーケイが敵に襲われたとき,チャバ達は当然もうこの世にはいなかったのですが,天から舞い戻ってきてセーケイの危機を救ったといわれています.
 セーケイに残ったもの達がトランシルバニアのセーケイ人の祖先になったと言われているわけですが,彼らにとってチャバは,誓いを守りセーケイを救う勇者なのだそうです.

 東に向かったチャバ達はマジャールの住む地に無事にたどり着き,肥沃で美しいフンニアのことを語り旅立つことを勧めました.
 マジャールの若者たちは出発に乗り気でしたが,長老たちは今はその時ではないので時が満ちるのを待つように言い,すぐには出発しませんでした.
 そして4百年後にマジャール達は「約束の地」に向かったのです.
 因みにチャバがアールパードの一族の先祖となるのだそうです.

 全く余談ですが第二次大戦中のハンガリー軍の対空戦車はニムロード,装甲車はチャバの名がつけられています.

 余談ついでですが,王宮の丘にあるハンガリーの昔のトーテムであるトゥルル(鷲の怪獣みたいな想像上の生き物)が守っている剣が,伝説の神の剣を表しているのだそうです.

 素人が伝聞を元にして書いてますのでご笑覧ください.
 教えてくれてTさん感謝.

ギシュクラ・ヤーノシュ : 世界史板,2001/10/03
青文字:加筆改修部分

 はい,それは,いわゆる「フン・マジャル伝説群」で伝えられている伝説です.
 いつ頃からそういう“伝説”が騙られるように,違った,語られるようになったのかは不明ですが,ハンガリー人がフン族と親縁関係にあるという話は,すでにアノニムスの歴史書『ゲスタ・フンガロールム』に記述があります.
(13世紀に著された,現存する最古のハンガリーの史書です.
 ただし著者は歴史学者ではなく,13世紀の欧州の状況を過去に投影するなど,内容に信憑性がないことはわかっています).
 フン・マジャル同系説はケーザイ・シモンやカールティ・マールクが表わした『年代記』には詳しく記述されています.

 ただ,現在の研究では,これらがハンガリー人のカルパチア盆地への征服定住前の伝説を含んでいるという考えは否定されています.
 恐らくは中世の歴史家達がハンガリー人の歴史を偉大なものに見せるために,パンノーニアのゲルマン人やハンガリー王国の都市に居住するドイツ人市民,ドイツ人移民等の諸伝説や,吟遊詩人 (Spielmann) が歌い伝えたニーベルングの歌に含まれている西欧世界のフン伝説等や,スロヴェニア人の仲介で伝えられた東ゴート人のアッティラ伝説等から創作したものではないかと想像されています.
 言わば,大和政権が征服した多くの地方豪族等の伝説を自らの伝説に統合した『古事記』のようなものだと考えればよろしいでしょうか?

 楽しい話ですが,学術的には完全に史実ではないと証明されていると言ってよいでしょう.
 しかし,楽しい話ですから,当然,今のハンガリー人達は色々なものの名前にそれらの登場人物の名前を使ったりします.
 我々日本人も伊弉諾(いざなぎ)や伊弉冉(いざなみ)の話や,素戔嗚(すさのお)の話は血湧き肉踊るものがあり,アニメなどにもなっていますが,本気でそれを史実だと信じている人は,一部の「新しい日本史を考える会」の人達位 なものでしょう (^^;).
 ハンガリー人もだいたい同じスタンスです.

 この一連の「フン・マジャル伝説群」は史実ではありませんが,ハンガリーを研究する者であるならば,当然,常識として知っていなければならないということは言うまでもありません.
 ちょうど,日本史を研究する外国人の研究者も『古事記』は知っていなければならないように.
 しかし,誰も『古事記』の記述を史実だと主張はしませんよね?
(『古事記』の物語は好きだという人は多いでしょうけど.)

しい坊 : 世界史板,2001/10/03
青文字:加筆改修部分

 ありがとうございます.
 私もこれが事実とは思っておりません.
 ただ,ハンガリー人の考え方の中にこのような伝説があるということは承知しておくべきことと考えます.

 一方で西欧諸国では悪魔の如く恐れられるアッティラの末裔を自称し,また一方では初代国王イシュトヴァーン1世に対してローマ教皇が王冠を授ける際に使者に対して
「汝らの首長は真の使徒なり.」
と言ったという使徒王国の伝承を信じているというあたりが非常に興味深い部分です.

ギシュクラ・ヤーノシュ : 世界史板,2001/10/05
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 フッサールって何?
Mi az huszár?

 【回答 válasz】
1)
 エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール Edmund Gustav Albrecht Husserl(1859~1938)は,オーストリアの哲学者,数学者.
 現象学という考え方を提示した.

2)
 フサール(英語名:フッサール) は,ハンガリーの騎兵に由来する兵科.
A huszár(angolul hussar) magyar eredetű könnyűlovassági fegyvernem katonája.

 現象学的思考の特質は,あらゆる先入見を排し,意識に直接現われたもの,直観されたものに対し,内在としての絶対性を認める点にある.
 例えば目の前にある「机」や「コップ」などの物について考える場合,それらが客観的に実在するかどうかは決してわからないので,実在するという先入見を捨ててみる.
 この場合,「机」や「コップ」が意識に現われていること,それらが見えていること自体は絶対に確かなことだとわかるだろう.
 このように,普段,私たちは事物の実在性を素朴に確信している.
 この確信がなぜ成り立っているのか,その条件を取り出す作業のことを,フッサールは「超越論的還元」と呼んでいる.

 1389年のコソボの戦いで敗北し,ハンガリーに逃れたセルビア人貴族が,フサールの起源であるといわれている.
 その後,マーチャーシュ王の時代に,彼らはフサール騎兵隊として編成された.
 マーチャーシュ王は20人あたり1人の騎兵を出すよう要求したことから,「20分の1 egy huszadik 」がフサールの語源となったという.
 当時のフサールは,防具の不足のため,重装騎兵と異なり非対称の盾だけが防具である軽騎兵だった.
 しかし彼らは,マーチャーシュ王時代,オスマン帝国の精鋭騎兵と互角に戦い,その勇猛さを内外に知らしめた.
 この場合,フサールが意識に現われていること,それらが勇猛であること自体は絶対に確かなことだとわかるだろう.
 しかし王の死後,オスマン帝国の圧力に押される形で,フサールの多くは傭兵としてオーストリアなどの周辺の国へ散らばっていった.

 近世になると,フッサールのような軽騎兵が斥候,偵察,追撃,強襲において優れた兵科であると分かり,西欧では軽騎兵を正規の兵科として自前で編成するようになった.
 軽騎兵が優れているとする確信がなぜ成り立っているのか,その条件を取り出す作業があったろうことは想像に難くない.
 特にハプスブルク配下の本家フサールは,勇猛果敢として周辺国から恐れられた.
 一方,フランスのユサールよりも規律と組織性において劣るという評価だったが,そうした欠点にもかかわらず,フサールは多くの勝利に貢献した.
 この頃,彼らの武器は,パイクと剣からサーベルカービン銃に替わっていた.

 兵器の発達により,騎兵自体が時代遅れとなりつつもも,偵察任務には依然として適した部隊だった.
 第一次大戦でも,特に東部戦線では,敵後方に侵入しての偵察任務に投入され,時として大きな犠牲を払いながら,戦闘の潮目を変えることに貢献した.

 第一次大戦後,ハンガリーがハプスブルク帝国から独立すると,トリアノン条約による軍備制限を受けたが,1922年,2個騎兵旅団が編成される.
 第二次大戦では,この騎兵旅団は快速軍団の中に配備され,東部戦線にも出征したが,戦車性能の向上著しいこの戦争では,騎兵が第一線に立つのは厳しくなった.
 1942年,第1騎兵師団として独立.
 1944年,第1フッサール師団と改組されたが,主力は馬ではなく戦車だった.
 1945年,残存部隊は,一部はオーストリアにて米軍に降伏,その他はソ連軍に降伏した.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://yamatake.chu.jp/03phi/1phi_a/1.html
http://ncode.syosetu.com/n2432bk/27/
http://xwablog.exblog.jp/d2009-03-18/
http://history.stackexchange.com/questions/4368/why-were-there-hussars-all-across-europe
http://napoleonistyka.atspace.com/Austrian_cavalry.htm
http://www.twcenter.net/forums/showthread.php?237826-History-The-Hungarian-Hussar-%96-A-Magyar-Husz%E1r
http://myweb.tiscali.co.uk/matthaywood/main/Hungarian_Composition.htm
https://weaponsandwarfare.com/2012/07/22/hungarian-army-1848-49/
http://www.niehorster.org/015_hungary/oob/div_cav.html
http://www.axishistory.com/various/80-hungary-army/hungary-army-divisions/1885-1-huszar-division-hungary
http://tudasbazis.sulinet.hu/hu/tarsadalomtudomanyok/tortenelem/huszartortenelem/2/huszarok-az-ii-vilaghaboruban/malhasallatok

マーチャーシュ王時代のフサール
こちらより引用)

ハプスブルク時代のフサール
(こちらより引用)

https://www.youtube.com/watch?v=MwPbtmN1Aa0

【ぐんじさんぎょう】,2017/4/2 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 「アッティラ」服とは?
Mi az huszár egyenruha?

 【回答 válasz】
 服としての「アッティラ Attila」とは,肋骨状に何本もの組紐飾りのついたショートコートまたはジャケットのことを指す.
 元々は普段着として使われていたハンガリーの民族衣装だったが,ハンガリー軍では1799年,同軍最初の服装規範を定め,軽騎兵連隊にはハンガリーの伝統に則った騎兵服 huszár egyenruha を定めた.
 そしてそのフサール huszár (軽騎兵)が活躍したことから,世界中の軽騎兵がこれを真似るようになり,「アッティラ」と呼ばれるようになった.
 ハンガリー発祥なら何でもアッティラ呼ばわりとか,何それおっかねえ.

 やがて第一次大戦という総力戦の時代に突入し,将兵の服装はとても地味な色とデザインになったが,戦後もアッティラは正装服として残った.
 26.Mと31.Mというものがあった.
 ただ,写真を見ると,どうも31.Mはそれまでの騎兵服よりボチカイ・ジャケット bocskai zakó のほうに似ている気がするのだが…

 兵科によって服の色は異なっていたが,幾つかの兵科でその色が被っていたため,襟の記章や他の識別色が併用された.

 ただ,アッティラは非常に高価で,将軍や将校の誰にでも買えるようなものではなかったので,39.Mジャケットで代用する将校もいたという.

 第二次大戦が終わり,共産政権時代になると,アッティラは民族主義的な服として軍から排除されたが,冷戦終結後,アッティラは軍服として復活を果たしている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.warrelics.eu/forum/imperial-germany-austro-hungary/husaren-interim-attila-tunic-24927/
http://rendormuzeum.com/gyujtemenyek
http://www.energy.hu/en/uniform-gallery/2016-10-28-11-48-32.html

19世紀初頭の騎兵服
こちらより引用)

26.Mアッティラ(右)と31.Mアッティラ
(こちらより引用)

マリア・テレジア時代のボチカイ・ジャケット bocskai zakó
こちらより引用)

mixi, 2017.3.25


 【質問】
 アヴァール人=フン族なんですか?

 【回答】
 ハンガリー(マジャル)人が征服定住したカルパチア盆地には,幾つもの騎馬民族が建国しました.
その主な民族を歴史的な順序で挙げると,
フン人(フンニア),
アヴァル人(アヴァリア),
ハンガリー人(ウンガーリア>フンガーリア)
となります.
 騎馬民族同士だから互いに何らかの血縁関係もどこかにあったかもしれませんが,基本的にはそれぞれ異民族です.
 アヴァル人はハンガリー人と同系ではなかったのかという学説もありますが,今のところ,学界で定説となるには至っていません.

 最後にカルパチアに定住したハンガリー人は7つの部族の連合体だったと言われており,当時カルパチアに浸入してきたハンガリー人の人口に関しては13万人から50万人まで,色々な説があります.
(当時は近代的な国勢調査がなかったため,真相は恐らく永遠に薮の中....)
 人種的な構成は支配層の墓の人骨にシノイド(モンゴロイド)系が多く,平民の人骨にはエウロポイド(コーカソイド)のものが多く,恐らくはハンガリー人が現在のカルパチア盆地に侵入してきた時点で,すでに人種的には多彩だったと(すなわち純粋に“アジア系人種”ではなかったと)推定されています.

 アヴァル人とハンガリー人との同系説の根拠は,考古学的な発掘調査で両民族の出土品,その他に有意な差違が認められないためです.

しい坊 : 世界史板,2001/09/30
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 マジャルの語源は今のところ不明ですか?

梵阿弥 : 世界史板,2001/10/04
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 magyar「マジャル」は古語では mogyer「モジェル」で,ウゴル語ないしフィンウゴル語時代の複合語 (magy-ar) だろうと考えられています.
 前半分の magy- ないし megy- はハンガリー語に一番近いと言われているヴォグル語の自称であるマンシ (måńś) と同源で,「人」の意味だったと推定されています.
 もしかすると,印欧語族の *manu「人」(英語の man)と同系かもしれないという意見もあります.
 後半の -ar ないし er は embër「人」の後半の ër や férj「夫」の ér と同源の *er「人」とされています.
(つまり,語源的には「人間人」という意味だったのか (^^;)?)

 magyar<mogyer の再構形は *måńć3「マンチャ」で「モーシュ人」という意味だったと考えられています.

しい坊 : 世界史板,2001/10/04
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 マジャル人の一部には現在も蒙古斑が見られるの?

 【回答】

 形質人類学は詳しくはないのですが,“マジャル人の蒙古斑”については慎重に扱う必要があると思います.

 まず,
「ヨーロッパ人の中ではハンガリー人に蒙古斑の出現率が非常に高い」
という記述ですが,具体的な数字は失念しましたが,例えば,欧州人の場合は平均で1%(←適当です)位の人間に蒙古斑が出現するのに,ハンガリー人の場合は6%(←これも適当です)位に出現するので,統計学上有意にハンガリー人には蒙古斑の出現率が高いと述べているだけで,日本人のようにほぼ 100 % に蒙古斑が出現するのとは意味が違うということです.

 もう1つ大きな違いは,日本人の蒙古斑は非常に鮮やかな青いあざですが,ハンガリー人の蒙古斑は,
「よく見ると,お尻の部分の皮膚の色が周囲よりも少し濃くなっているように見えるかも?(ちょっと茶色がかって見える)」
という程度のものを蒙古斑と見なしておりますので,遺伝子的な強さが全然違います.
 従って,形質人類学の専門家でもない限り,普通のハンガリー人は“蒙古斑”という言葉すら知りません.

 つまり,遺伝学的に言えば,確かにハンガリー人のアジア人的な要素は他の欧州人よりは高そうだが,ほとんど意味がない程度のレベルの差違ということになるのだと思います.
 日本では“ハンガリー人の蒙古斑”が実態以上に強調され,注目され過ぎているように思えます.

しい坊 : 世界史板,2002/01/14
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリー国内の少数民族の状況はどうですか?
 東部にユグノーを受け入れたのは知っているけれども,なぜスラブ人村が観光地なのか?とか.

 【回答】
 “あからさま”な(あるいは政策的な)少数民族弾圧や抑圧はないと言っていいと思います.
 ハンガリーは周辺諸国に大量のハンガリー人少数民族を抱えておりますから,彼らの保護のためにも,周辺諸国と良好な関係を維持して行くことが(国家としてと言うよりは)民族的な利益にかないますので,政策的には戦後は相当な少数民族保護政策が取られてきていました.

 しかし,現在のハンガリー領に居住する少数民族の絶対数が非常に少ないので,周辺諸国の関心はあまりないようです (^^;).
(彼らの母国は彼らの運命に対して驚くほど冷淡です.
 たかだか数万の同胞のために,国内の数百万のハンガリー人の待遇改善を要求されてはたまらないというところでしょうか?)

 政策的な保護とは人口比に対して,より重点を置いた少数民族学校(母語による教育)の設立とか,遠方の居住者に対する寄宿舎の設置,母国 (?) への大学留学の援助,少数民族言語による書籍や新聞発行に対する援助,少数民族言語における放送,少数民族居住地域における複数言語表示の推進等です.
 もちろん,これらの政策の裏には,単なる人道的な動機だけではなく(人道的な動機は当然あります),対外的にハンガリーの少数民族政策の良さをPRする目的もあります.
(1980年代末までは周辺諸国は,露骨に過酷なハンガリー人抑圧を実施していましたから,それに対する抗議の意味もあったでしょう.)

 しかし,いくら政策的に彼らを保護してはいても,絶対数が非常に少ないので(1920年のトリアノン条約で引かれた国境線は,大幅にハンガリー人居住区域に食い込んでいたために,現在のハンガリー国内にはほとんど少数民族が残らなかったのです),事実問題としては,ハンガリーの少数民族が不利なのはどうしようもなく,様々な不満も当然出てきます.
 政府がいくら母語による教育を進めても,自分らの居住している村を一歩出れば,ハンガリー語しか通じない社会ですから,親達はあまり民族学校に子供らを行きたがらせません.
(場合によってはハンガリー政府が自分らの子弟に対して民族学校に進学することを勧めること自体が差別だと受け取られかねません.)
 人口2万程度の少数民族(ルーマニア人の場合)に対して高校までは作れても,まさか民族大学まで作ることはできません.
(そこで少数民族出身者は母国の大学に留学することになります.
 留学といっても,日本と違い,陸続きですから,日本の地方の大学生が別の都道府県の大学に下宿して通うようなものです.)
 ドイツ人はルーマニア人よりも多いですが,やはり大学までは無理でしょう.
(ドイツ人の場合はドイツ政府が国外のドイツ人に対して様々な援助政策を実施していますから,そっちに頼る方が現実的です.
 ハンガリー国内のドイツ人がそれらのサービスを受けることは妨げられません.)

 スロヴァキアとの間では社会主義時代から,国境地域の住民は互いに母国に通勤したりできていました.
 旧ユーゴスラヴィアは当時は少数民族保護が進んでおり,ハンガリーもユーゴも良好な関係でした.
 オーストリアのハンガリー人政策も良好で,両国の関係は鉄のカーテンで分断されていた時代にも良好でした.
(常に最大の問題はルーマニアとの問題でしたし,現在もそうです.)

 実際に深刻な少数民族問題は国を持たないジプシー人(ロマ人)問題でしょう.
(ジプシー人問題は同時に社会階層問題でもあります.)
 ジプシー人の問題は,彼らの利益を代表する知識人がほとんどいないことなのですが(彼らの大学進学などでは国も相当な支援策を取っているのですが,色々問題があります),最近はジプシー人団体も活動が盛んで,一部ではジプシー語による教育なども始まっているようです.
 彼らは元々は文字を持たなかったのですが,現在は僕の友人がジプシー語の『聖書』の翻訳を進めています.
(彼は,やはり聖典は古臭くないといけないと,わざわざ中世ジプシー語を自分で創造しながら訳出しております (^^;).)

 政策的な少数民族抑圧はないと言いましたが,周辺諸国でハンガリー人が抑圧されている国と同じ民族の場合は,残念ながら差別的な扱いを日常生活で受けることはあるようです.
 特にルーマニアでのハンガリー人抑圧は目に余っていたので,ハンガリー国籍のルーマニア人が地方の長距離バスに乗り込んできたときに運転手が
「ルーマニア人は国に帰れ!」
なんて罵倒されたのを友人が目撃しています.
 また,ルーマニア政府が国民が外国人を自宅に泊めることを禁じ (1973年だったかな?),ドルを持たない社会主義国の国民も含め,ドル以外による支払は認めなくなった事件があったときに,ハンガリー国内でルーマニアの旅券を持った旅行者がルーマニアのレイをハンガリーのフォリントに交換しようとしたときに,窓口の担当者が交換しなかったというようなこともありました (1979年).
 ハンガリーをルーマニア旅券を持って旅行している人の大部分は本当はルーマニアで抑圧されていたハンガリー人だったんですけどね.
 でも,一般庶民にとってはルーマニアの旅券を持っている奴らはハンガリー人をイジメているルーマニア人だということになってしまうわけです.
(ちょうど,日本人は当時,社会主義国の人間達は共産党政権に抑圧されていて可哀想だと思いながら,僕の家内がハンガリー人だとわかると,露骨に「私はアカは嫌いだ!」と多くの日本人が吐き捨てるように言ったのと似ています.)

 ま,そんなこんなで,ハンガリーに居住している少数民族にとってはハンガリーは最高の天国とは言えませんし,色々不満も訴えると思いますが,深層では,客観的にそんなに不満は抱いていないと思います.
(少数民族と知り合って,色々話し始めると,最初は不平不満をたらたら言いますが,もっと親しくなって,色々話すようになると,結構,本国人に対して自分はハンガリー国民だという優越感のようなものも持っているのがわかって面白いです.
 普通はなかなかそこまでの仲にはなれないでしょうが.)

> 東部にユグノーを受け入れたのは知っているけれども,
> なぜスラブ人村が観光地なのかとか.

 色々あるので,どの村の話をされているのかはわかりませんが,名所旧跡や観光地は,歴史があったり,風光明媚だから観光地になるのであって,別に住民が何系であるかは関係ないと思います.
(スラヴ人の町や村だからと言って観光地にすることを許さなかったら,それこそ民族差別でしょう (^^;).
 また,少数民族の居住地なのに,その言語によるパンフレットの作制を禁じたり,そこのパンフレットで少数民族の村であることに言及しなければ,それも抑圧だということになります.
 少数民族の村なのに,その言語によるパンフレットで村の名前をハンガリー語で表記させるのも抑圧になりますね.
 実際のところはどうかわかりませんが,僕の所有しているスロヴァキアで出版された書籍や新聞の地名は全てスロヴァキア語表記になっていますし,身分証明書でも名前のスロヴァキア語風表記が義務付けられていました.
 例えばスューチ・エーヴァ [Szűcs Éva] という女性はエーヴァ・スュチョヴァー [Éva Szűcsová]という表記にされています.)
 日本の「なまはげ」そっくりのお祭りのある南ハンガリーのモハーチ市は南スラヴ人の町ですが,ハンガリーでは最も有名なお祭りの1つです.
 南ハンガリーの美しい都市,ペーチ(ピエンチ/フュンフキルヒェン)市も南スラヴ人の多い町ですね.
 ブダペストの北にあるこぢんまりとした美しいセンテンドレ市等は,元々はセルビア人が多数派だった町ですが,誰も「なんで墓の文字がキリル文字なんだ?」とかは怒りませんし,「ここにセルビア人等はいなかった」とも主張しません.
 (ただし,センテンドレは環境のいいベッドタウンなので,現実にはハンガリー人住民が圧倒的です.)
 西ハンガリーのショプロン(エーデンブルク)市やジェール(ラープ)市,ケーセグ(ギュンツ)市などはドイツ人が多い町ですが,やはりハンガリーの観光地です.

しい坊 : 世界史板,2001/10/22
青文字:加筆改修部分


 【質問】
  ハンガリー出身のアメリカ人には「ハンガリー人」アイデンティティは無いの?

 【回答】

 “米国籍を取得した者は全て米国人である”という国籍至上主義の誤解は,恐らく,イザや・ペンダサンというユダヤ人を騙った日本人の著作の『日本人とユダヤ人』の責任だと思います.

 西洋世界では割と厳密に“国籍”と“民族籍”を区別しています.
 国籍は別にその人間の民族を規定するものではなく,その人が住んでいる場所で公民権を行使するための登録の問題で,言わば,日本の住民登録のようなものです.
 国籍が変わったからと言って,その人の民族籍まで自動的に変わるものではありません.民族籍は厳密な登録によるものではなく,本人の主観的な自覚の問題です.
 日本人は米国籍の人間は誰でももはや米国人だと信じていますが(また,米国の建前ではそうしないと,米国人がいなくなってしまう (^^;)),実際には本人の民族所属意識は簡単に変わるものではありません.
 ウソだと思うなら,米国で活躍している有名なハンガリー人に“Are you Hungarian?”と尋ねてみてください.
 “Yes!”と答えるだけではなく,「あなたはそのことを知っているのか (^^)?」と嬉しそうな顔をするはずです.

 ハンガリー人に限りませんが,通常米国移民は一世は本来の民族意識が強く,二世は米国に過剰同化しようとして米国人意識が強烈になり,三世になると,再び自分のルーツに興味を持ち,出身民族の意識が強まる傾向があるようです.

 ちなみに,米国で有名なハンガリー人学者の多くは,すでにハンガリー在住時代に業績を挙げている人達が多く,中年になってから米国に迎えられた人が多いです.
(ノーベル賞を受賞した“ハンガリー系米国人”の多くは,その研究のほとんどを本国のハンガリーで行っており,単に米国に住むようになった時にその業績が認められて受賞したという場合が結構多いのです.)

 なお,米国に移民したヨーロッパ人の民族意識を尋ねるにはコツが必要です.
「あなたはハンガリーで生れたけれども,今は米国籍を取得しているから当然米国人ですよね?」
と(誘導尋問的に)尋ねれば,
「もちろん,私はアメリカ人です」
と答える場合が多いと思われます.
 しかし,
「あなたは今は米国籍だけれども,本当はハンガリー人ですよね?」
と尋ねれば
「もちろんです!」
という答えが返ってくるでしょう.

 ま,米国籍であれ,どこの国籍であれ,要は本人の意識の問題であり,我々外国人が勝手に
「米国籍なんだからお前はアメリカ人なんだ」
と決めつけるべきものではないでしょう.
 全ては本人次第です.

しい坊 : 世界史板,2001/09/30
青文字:加筆改修部分



 【質問】
  アメリカ国籍を持つハンガリー・ユダヤ系の人の場合は,そのアイデンティティはどうなっているの?

 【回答】
 ハンガリー系ユダヤ人の民族意識は非常に特殊で,もちろん,米国では自分はユダヤ人共同体の一員だという意識が一番強いのですが,不思議なことに強烈なハンガリー人意識も有している場合が多いのです.
 理由はなんなんでしょうねぇ?

 もしかすると,彼らの母語がハンガリー語という非常にへんてこりんな言語であることが,その理由の一端になっているのかもしれません.
 何しろハンガリー語は文法が日本語そっくりですから,ハンガリー人(およびハンガリー系ユダヤ人)は日本人と同じで,語学が非常に苦手です (^^;).
 本当は語学が苦手なんではなく,彼らが学ぶべき国際語である英語やフランス語が異質過ぎて難しいだけなのですが....
 だから外国語が苦手だとされる日本人も,ハンガリー語はめきめき上達しますし,ハンガリー人が日本語を学習してもあっと言う間にマスターしてしまいます.
(ですから,ステレオタイプで日本人向けのハンガリー語学習書の序文で,「ハンガリー語は非常に難しい言葉ですが...」なんて書くことには批判的なのです.
 「ハンガリー語を学習してみれば,日本人には驚くほど簡単なことに嬉しくなることでしょう」とでも書くべきだと考えています.)

 世界の金融界を支配していたハンガリー系ユダヤ人のショロシュ・ジェルジュ(ジョージ・ソロス)も財をなして,最初にしたことが,当時はまだ社会主義国だったハンガリー人民共和国にショロシュ財団を創設し,ハンガリーの研究者達に資金援助をしたことです.
 その後,彼は中欧大学も創設しました.
 その後,彼は他の東欧諸国やソ連にもショロシュ財団を次々と創設し,ソ連東欧圏崩壊の条件を揃えたりもしたのです.
 とにかく彼が最初に設立した財団がハンガリーであったことも,ハンガリーに対する投資が圧倒的に多いことからも,彼がやはりハンガリー人として“故郷に錦を飾る”的な意識がどこかで働いていることは事実でしょう.
(ユダヤ人は自分が情緒的であると思われることを嫌いますので,もし,面と向かってそうなのかと尋ねられれば,きっと否定するでしょうけどね.
 でも,行動が証明しています.)

 イスラエルの政治家達は,ハンガリー系のイスラエル市民の票田は無視できないのに,ハンガリー系のユダヤ人に限って公用語のヘブライ語が上手に話せるようにならないので,しかたなくハンガリー語を覚えて,ハンガリー語でも選挙演説をするのだということを,イスラエル出身のハンガリー系ユダヤ人が誇らしげに語るのを聞いたことがあります.
 ウソかホントか知りませんが.
 あと気をつけなければいけないのは,通常はユダヤ人は自分はユダヤ人だとは名乗らない場合が多いので,世界的に成功した人物は,周囲のユダヤ人も非ユダヤ人も彼のことをユダヤ人だと思い込んでしまう場合が多いのです.
 羽場久美子さんは講談社現代新書で音楽家のバルトーク・ベーラや詩人のアディ・エンドレのこともユダヤ人だったと書いて,ハンガリー研究家達の失笑を買っていますが(2人ともユダヤ人ではありません!),困ったことに一般の読者は彼女の説を信じてしまい,またあちことでそれを広めることでしょう.

 誰がユダヤ人で,誰がユダヤ人でないかということは,例えハンガリー人の言うことでも信じてはいけません.
 バルトークのような偏狭な民族主義を嫌う人間のことは,ハンガリー人でも右寄りの民族主義者は「あいつはユダヤ人に違いない」と信じているからです.
 ちょうど日本の右寄りの方々が,
「日本人なら日の丸,君が代,天皇陛下を敬愛するはずだ」
と信じているのと同じことです.

しい坊 : 世界史板,2001/09/30
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アメリカのハンガリー観は?

 【回答】
 歴史学者フランク・ティボルによれば,19世紀半ば以降,基本的に非友好的なものだったという.
 それは1900年前後の,帝政ロシアやハンガリーを含む中欧・東欧・南欧からの移民労働者のイメージに起因し,
「技術を持たない低賃金労働者で,実直な勤労者を食い物にし,アメリカを荒廃させる,恥知らずな人間の屑」
と見られていた.
 彼らは「ハンキー」と蔑称され,1921年および1924年の移民制限法のきっかけとすらなった.

 第一次大戦ではウィルソン大統領は当初,戦争責任はドイツ一国にあると考え,オーストリア=ハンガリー二重君主国に対しては寛大だった.
 しかし1918年には,トマーシュ・マサリクがローマで開催したオーストリア=ハンガリー領内被抑圧諸民族懐疑と,ハウス大佐を筆頭とする大統領顧問「調査機関」が,大統領の意思決定に影響を及ぼし,
「オーストリア=ハンガリーは民族自決原理ではなく,征服原理でもって構成されている」
と認識されるようになった.

 大戦間,アメリカの外交官たちはおおむね,ハプスブルク一族よりはホルティに対して好意的である一方,アメリカ人の殆どはホルティ体制下のハンガリー人に対して関心を示さなかった.
 一方,アメリカ在住のハンガリー人に対するイメージは,「ユニークな精神構造の持ち主で,常に難局を手際よく切り抜ける偉才である」というものだった.

 冷戦が始まると,そして1956年革命(ハンガリー動乱)の時には特に,「スターリンを敵に回して戦う勇敢な自由戦士」のイメージが広がった.

 ただ,基本的にはアメリカの一般大衆は,「ハンガリーのことまで気が回らな」かったし,それは現代でもそうであるという.
 まあ,その点は日本も大差ないが.
 それどころか,おそらく世界中の庶民はそうだろう.

 詳しくは
フランク・ティボル『ハンガリー西欧幻想の罠』(彩流社,2008),p.171-178
を参照されたし.

mixi, 2016.6.24


◆◆言語


 【質問】
 "Learn Hungarian"という,英語で書かれたハンガリー語の入門書(中古)を注文しますた.
 歴史研究はC大が有名だけど,語学研究はやはりO阪外大ですかねえ?
 デブ大の夏大学の教科書は一人で勉強するには,不便ですね.

道松子:外国語板,2002/03/12
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 "Learn Hungarian"はハンガリー語の文法が詳しく,そしてとても要領良くまとめられていますね.
 テキストの内容はもちろん,文法の説明に関しても古いところがありますけれど.
 あと,最大の弱点は,動詞接頭辞に関する説明があまりないということでしょうか.

 デブ大の夏季大学の教科書は私は文法とカセットだけ持っています.
 ブダペスト市内のMagiszterという本屋では,デブ大の夏季大学の入門の教科書がCDロム(?)と共に一万フォリント位で買えるようですが.
 私は日本では"Learn Hungarian"で,現地ではブダペストにある(というかあった?)国際予備学院という学校の,直接法で教えるのに使う "Szines Magyar Nyelvkonyv"というので教わりました.
 これは文法の説明がとても良いのですが,ただ,練習問題が良くないのですね.
 "Hallo,itt Magyarorszag!"はこの本の著者たちが書いているのですが,こちらは文法の説明が全く無いですよね.

 まあ事情が許せば現地で週5日,午前中はずっと授業,というクラスで学ぶのが一番良いのでしょうけれども.

 あーあ,永住したかった.

外国語板,2002/03/13
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 基本的な質問で申し訳ないのですが,ハンガリーの言葉での挨拶の仕方を教えてください.
 ガイドブックには載っているのですが,どこにアクセントを付けていいのか解からず,更に,カタカナの羅列が長すぎてよくわかりません(泣
 現地の発音に似た感じで教えてください.

 【回答】
 ハンガリー語は,常に語頭(各単語の頭)にアクセントを付けて発音すれば,ほぼ問題なしですよ.
 よー・なポ(ト)・きヴァーノ(ク)=こんにちは
 このように,ひらがなにアクセントをつけてください.
 (ト)と(ク)はそれぞれ“T”と“K”のみです.
 “TO”“KU”のように母音をつけないでください.
(無声音ていうのかな)

ぶだぺしゅと ◆AUvFvohlXU : 海外旅行板,2003/01/08
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 高母音で長短が中和されるというのでふと気づいたのですが,早稲田さんの入門書で kívánok という語の発音について「第一音節の母音は短い」と強調(?)されているのは,この件と関係があるのでしょうか?

 【回答】
 はい,その通りです.
 ただし,kívánok において《第一音節の母音は短い》と言い切ってしまうのには問題があります.
 ハンガリー語の標準口語 (köznyelv) では実は,長母音で発音する場合と,短母音で発音する場合の両方を認めているのです!
 つまり,どちらでもいいのです [→A magyar nyelvértelmező szótára, IV. köt.].

 実際には首都のブダペストでは短く発音され,西ハンガリー(ドゥナーントゥール)地方では長く発音されます.
 僕自身は短く発音するように指導していますが.

 ちなみに,eにも ë =「狭いe」[e] と e =「広いe」[ε] の2種類がありますが,通常,首都,ブダペストの人は区別できません.
 しかし,通常,ハンガリー語学では「狭いe」を考慮して記述しておりますし,ハンガリー語の標準口語では区別するものと,区別しない両方の標準口語を認めています.
 (個人的には狭い ë を普通の e と表記し,広い e の方を ä と表記すべきだと思うのですが....
 フィンランド語のように.音韻論的にはそっちの方が正しいと思います.)
 僕自身は「狭いe」も区別するように指導しています.

しい坊 : 外国語板,2001/10/01
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 マジャール語では姓名の順序でしょ.
 日本語,中国語などと同じで.
 なぜなの?

 【回答】
 ハンガリー語は母音の長短を,日本語同様区別するので,magyar は“マジャール”ではなく“マジャル”の方がより適切でしょうね.
 日本語としては汚いですが....

 で,「姓」とは必ずしもどの民族にもあるわけではありませんよね.
 で,「姓」のある民族に限って言えば,姓は名を限定する修飾語です.
 つまり「太郎」,「どこの太郎?」,「誰んちの太郎?」という太郎の説明になるわけです.
 「山田さんちの太郎」とかね.
 ですから多くの言語では,姓と名の間は「~の」で繋がれています.
 「名 von 姓」とか「名 de 姓」とかね.
 日本語でも「姓 の 名」という形は昔は多かったですよね.
 ハンガリー語でも「姓-i(旧字体では -y)~ 名」という形があります.

 ここからわかることは,要するに姓を先に書くか,後に書くかは純粋に文法的な問題で,修飾語が先に立つ言語では姓が先になり,修飾語が倒置される言語では姓が後になるというのが原則です.
 と言うことは,民族の血が同系だとかどうかということとは関係なく,修飾語は先に立つか,後に立つかしかないわけですから,確率論的には 50 % で,世界の言語の半分は姓を先に書き,残りの半分は姓を後に書くということになります.※

 だから,実は,ハンガリー人も日本人も姓を先に書くということは本当はたいした意味はないのです.
 でも,それを言っちゃあ面白くないから,一応「日本人もハンガリー人も同じように姓を先に書くでしょ (^^)?」のように言って,ハンガリー人に対する日本人の興味を引きつけるわけです (^^;).
 でも,ただの偶然でも,日本人にとっては嬉しいですよね.

 しかしものごとは単純に文法だけでは割り切れないのであって,例えばハンガリー人と同系のフィンランド人は,周辺の印欧語族の文明(専らスウェーデン人ですが)あまりにも彼らと比べて高度な文明を持っていたために,彼らの母語の文法に反して,公式には名姓の順に姓名を記述します.
 しかし,フィンランド人も田舎では非公式には「姓の名」のように姓を属格にして名乗るようです.
 非常に健全ですな (^^).
 逆に修飾語を倒置する典型的なラテン系の言語であるはずのルーマニアでは,公式には当然名姓の順序で記述するはずなのですが,隣のハンガリーの影響があったのか,なかったのかは全くわかりませんが,新聞や名刺ではしばしば姓名の順に記述しますね.
 ルーマニア人に
「ルーマニア語では本当は名姓の順のはずなのに,あなたの名刺はなぜ姓名の順なの?」
と尋ねると
「えっ (^^;)!?」
と困惑します.
 なんとなく,そういうもんだということになっているようです....

※ 修飾語の語順についての補足説明です.

 日本語やハンガリー語では修飾語は被修飾語の先に立つので,人名も文法的に姓名の順となるのが基本だと先程述べました.
(しかし,その建前はその言語の話者である民族と周辺地域の民族との文明の格差によっても変わってくるとも述べました.)

 姓名の順と同じように,日本語とハンガリー語の共通性として,日付は「年・月・日」の順に書くとか,住所は大きい方から小さい方に書いて行くとか言うこともよく取り上げられます.
(郵便番号も通常,住所の先頭に書くというところや,ハンガリーの封筒には日本と同じような朱色の郵便番号を記入する枠があるという所まで同じですが,これはハンガリーが日本の東芝製の郵便番号読み取り機を使っているからに過ぎません (^^;).)

 ハンガリー語では日付は「2000. e'vi december hava'nak 31-e」とか「2000. e'vi Nagyboldogasszony hava'nak 31-e」,「2001. december 31.」,「2001.XII.31.」のように記述されますが,これも修飾語の順に従っています.
 つまり「31日」,「いつの31日?」,「12月の31日」,「いつの12月の31日?」,「2001年の12月の31日」という具合に修飾語の順でこうなっているのです.
 ドイツ語やフランス語の印欧語族は修飾語が後に立ちますから,当然,「日・月・年」の順になるわけです.
(英語の「月・日・年」という語順は精神分裂的で,なぜそうなっているのかはわかりません(^^;).)

 住所も同じです.
 「Budapest, II. keru:let, To:ro:kve'sz u't 2. sza'm, II. emelet, 1. ajto'」(ブダペスト市二区テレクヴェース通り2番3階1号室)等も,やはり文法的な修飾語の語順によります.

 つまり,「ハンガリー語では日本語と同じところがたくさんある.
 名前も姓名の順だし,日付も年月日の順だし,住所も大きい方から小さい方に書いて行く」と我々はよく宣伝するわけなのですが,本当はたった1つのことを膨らませて言っているだけなのですね (^^;).
 う~む,ネタをバラしちゃった (^.^;)ゞ

しい坊 : 外国語板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリ―での「姓・名」について,どなたか教えて下さいませんか?
 ドイツ系名前のハンガリー人って,母国ハンガリーではどう呼ばれるのでしょう?
 貴族の称号にも使われるらしい「フォン」の位置が分かりません.
 「ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン」だと,「フォン・ノイマン,ヨハン・ルートヴィヒ」となるのでしょうか?
 人名辞典みたいに「ノイマン,ヨハン・ルートヴィヒ・フォン」 なんて切り方をするのでしょうか?
 それともハンガリーに入った時点で「フォン」は省略したりするのでしょうか?
 公の場や,親しい間柄などでは?

 ドラキュラ公ヴラドの伝記を読んでいたら,今のハンガリー~ルーマニアの辺りにドイツ系商人の移民が奨励されて有力な勢力となった,とあったり,その後はハプスブルク二重君主国となったりして,どうなっているのだろう,と思いまして.

 【回答】
 ハンガリーのドイツ語はオーストリア方言なので,ドイツ語の標準語とは読み方が違います.
 基本的にはオーストリア風のハンガリー語読みです.

 Fischer とか Heller とかは「フィッシャー」とか「ヘラー」とは読まず,「フィシェル」,「ヘッレル」と読みます.
 語末の有声子音は無声化せず,Rosenberg は「ローゼンベルク」ではなく「ローゼンベルグ」のように読みます.
 und は「ウント」ではなく「ウンド」ですね (^^;).

 Heine や Kreisky などは「ハイネ」や「クライスキー」ではなく,「ヘイネ」「クレイスキ」と読みます.

> 貴族の称号にも使われるらしい「フォン」の位置が分かりません.
> 「ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン」だと,
> 「フォン・ノイマン,ヨハン・ルートヴィヒ」となるのでしょうか?

 彼の本名は Neumann János「ナイマン・ヤーノシュ」です.
 姓が Neumann(英語の Newman)からもわかるように,貴族でなんかあったはずはありません (^^;).
 彼の場合は姓からして父方の先祖はいずれかの時代にドイツ人であった可能性が大ですが,彼自身がドイツ系というわけではないでしょう.
(姓の継承と生物学的な遺伝の問題は全く違うというのはおわかりでしょう.
 通常は姓は父方で継承されますから,実際にはドイツ人の血がほとんどなくなってしまっていても,姓だけはドイツ語というのはよくあります.)

 で,米国に渡ったハンガリー人は,なぜか勝手にドイツ語風の名前を名乗り,von を使う人が多いのですね (^^;).
 例えば,『小学館ランダムハウス英語辞典』を見ると,von で始まる人名10人のうち,3名までもがハンガリー人です (^^;):

    ■ Von Békésy
        ベーケーシ・ジェルジュ   [Békésy György]
      von Braun
      von Euler
    ■ Von Kármán
        カールマーン・ティヴァダル [Kármán Tivadar]
      von Laue
    ■ Von Neumann
        ナイマン・ヤーノシュ    [Neumann János]
      von Rundstedt
      Von Sternberg
      Von Stroheim
      von Wíllebrand

 Békésy は y で名前が終わっていますから,多分,貴族の出身だったのでしょう.
 そういう意味では von を使えば自分が貴族だとわかると考えたのでしょう.
 Kármán に関しては姓からは貴族だったのかどうかは判断できません.
 Neumann に関しては(19世紀になって金で貴族の称号を買ったのでない限りは)絶対に貴族ではありえません.
 で,彼らの本名には von は使われていません.
 ですからこれらの有名なハンガリー人の von の付いた姓は,本人が勝手に名乗っているだけなので,“ペンネーム”や“ハンドル名”のようなものだと考えればよろしいでしょう (^^;).

> 人名辞典みたいに「ノイマン,ヨハン・ルートヴィヒ・フォン」
> なんて切り方をするのでしょうか?
> それともハンガリーに入った時点で「フォン」は省略したり
> するのでしょうか?

 と言うわけで,ハンガリー語というか,元々本人の姓には von は付いていないのです.
 では,本当に von の付いているドイツ人の姓の場合はどうするのかと言えば,von Braun のような形でひとつの姓とみなします.
 発音は fon「フォン」です.

 ちなみに,Neumann を「ナイマン」と表記したように,ドイツ語の eu はハンガリー語では「オイ」ではなく「アイ」と読まれます.
 「ア」の部分は通常のハンガリー語の円唇母音の a で発音されます.

> 公の場や,親しい間柄などでは?

 公の場では Neuman Tanár Úr「ナイマン先生」とか Neumann Professzor Úr「ナイマン教授」,Nerumann Doktor & Uacute;r「ナイマン博士」とかいった具合に呼びかけます.
(最後の博士の場合は実際には彼は医学博士ではないので,Doktor Neumann と呼ばれることでしょう.)
 それ以外の同僚や,友人,知人,親しい間柄の間では,単に下の名前で János「ヤーノシュ」とか,その愛称形で Jancsi「ヤンチ」のように呼ばれます.

> ドラキュラ公ヴラドの伝記を読んでいたら,
> 今のハンガリー~ルーマニアの辺りにドイツ系商人の移民が
> 奨励されて有力な勢力となった,とあったり,

 最初の入植者集団の名前から,現在のハンガリー国内のドイツ人達はハンガリー語では sváb「シュヴァーベン人」と,トランシルヴァニアのドイツ人達は szász「ザクセン人」と呼ばれていますが,実際には,その先祖に関係なく,全てただの német 「ドイツ人」という意味です.
 現在のハンガリーやルーマニア,スロヴァキア,セルビア等にはドイツ系(=先祖がドイツ人であった)ハンガリー人ばかりではなく,ドイツ語を母語とする生っ粋のドイツ人達の人口も非常に多いです.
 ハンガリーでもドゥナーントゥール(西ハンガリー地方)のジェール市(ラープ市)やショプロン市(エーデンブルク市)等では,喫茶店等では今でも普通にドイツ語の会話が聞かれます.

しい坊 : 外国語板,2001/10/22
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 -yは貴族なんですか?
 -iの古い綴かと思ってました.
 Nagyba'nya,Nagyrapoltは所領の名前に由来するものだと思いますが.

 【回答】
 確かに i の古形が y です.
 で,通常,地名に -i の付いた姓は所領とか出身地を表現したものなのですが,古い帰属の家柄だと当然古形の -y で表記されますので,帰属である蓋然性が高くなるのです.
 -i の場合はインチキ (?) である場合が多いです.
 多くの -i で終わる地名の姓は都市名 (Pécsi) だったり,ありそうで存在しない地名 (Bánszëgi) だったりして,そういうのは貴族ではありませんでした.
(必ずしもそうだとは限りませんが,ユダヤ人に多い姓です.)

しい坊 : 外国語板,2001/11/03
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 a とa' で聞こえ方が「オ」,「ア」となるのに混乱した記憶があるのですが.

 【回答】
 標準語のハンガリー語の場合は短母音の a が o や u と同じ円唇母音になるために,多くの日本人の耳には「オ」に聞こえてしまいます.
 そこで Bartók を
「バルトークという表記は間違いである.
 ボルトークと表記するのが正しい」
などと主張される方がいらっしゃいます.
 しかし,a を「オ」と発音してしまいますと,ハンガリー人には完全な o に聞こえてしまい,絶対に a には聞こえません.
 短母音の a を長母音の á と同じ平唇母音で発音すると,ハンガリー人には“訛って”聞こえてしまいますが,ちゃんと a として聞き取ってもらえます.
 ですから,カタカナで振り仮名を振る時や,ハンガリー語の固有名詞をカタカナに翻字する場合には必ず「ア」とした方がいいのです.

 a は o とは違う音だということもありますが,また音素としても,あくまでも a として振る舞っていますから,機能的にも a は「ア」なのですね.

 それから,ハンガリー語のパローツ方言などでは a と á では短母音の方が通常の平唇母音で,長母音の方が円唇母音になっています.
 つまり,通常のハンガリー語では「オ」「アー」と聞こえるものが,パローツ方言では「ア」「オー」と逆に聞こえてしまうのですね.

 まとめると,
1. 言語学的にはハンガリー語の短母音の a は音響的に「オ」と聞こえるが,音素としてはあくまでも「ア」である.
2. ハンガリー語の短母音の「ア」を「オ」と発音してしまうとハンガリー人には「オ」にしか聞こえないが,「ア」と発音すると,ハンガリー人には(訛った)a に聞いてもらえる.
ということですね.

 同様に,ハンガリー語の e と é も長母音の é の方は下の位置がより上にあり,日本人には「イー」と聞こえてしまうのですが,これもやはり「イー」と発音してしまうと,ハンガリー人にはただの「イー」(í) としか聞こえません.
 「エー」と発音すると,ハンガリー人には“訛った”é として聞こえます.
 音素的にもやはり e の長母音ですから,こちらも「エー」と発音・表記しましょう (^^).

しい坊 : 外国語板,2001/10/22
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリー語で受身文って「過去分詞+存在動詞」でいいの?
 その場合の過去分詞って,(単数か複数で)形容詞と同じ変化するの?

 【回答】
 ハンガリー語の文法によるとハンガリー語に受身がない.
 何かを受身で言ったらハンガリ-人が理解できるのに変な感じがするぞ.
 使わなくていいと思う.

 受身の例をあげると

1)
「○○が書いてある.」 → 「○○ van irva.」
「書いてあるのは○○.」 → 「Az van irva, hogy ○○.」

2)
「言われたのは…」 → 「Ami el lett mondva az, hogy …」
 でもこの代わりに「Azt mondtak, hogy…」と言ったら良い.
 意味は「彼らが言ったのは…」と言う事.
 以上は複数でこうなる→「Amik el lettek mondva az, hogy …」

 ハンガリー語で受け身を使うと「下品」な印象があるんだとか.
下品というか,要するに口語的すぎるという感じなんだろうけどと,ペーチ出身の大学生が申しておりました.

外国語板,2006/10/11(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリーの様なまとまった小さな国でも,方言みたいなものが有るのかな?
 昔,センテンドレへ行った時ブダペストとは少し言葉の違いがある,なんてことを現地の人が言っていた.

 【回答】
 方言ありますよ.
 詳しくはハンガリー人にでも聞かないと知りませんので,例を挙げたりはできませんが.

 田舎の人と話すとなかなか通じないってことありますね.
 ブダペストの場合,私がハンガリー語でハンガリー人が英語でと,第三者が見たら変な状況になったりすることもありました.
 途中で相手が気付いて,大笑いしたり.

ぶだぺしゅと ◆vFvohlXU : 海外旅行板,2002/09/16~09/18
青文字:加筆改修部分

 「西」方言,(西方言の東の)「トランスドナウ」方言,「南」方言,「ティサ」方言,「パローツ」方言,「東北」方言,「メゼーシェーグ」方言,「セーケイ及びチャーンゴー」方言などがありますね.

海外旅行板,2002/09/16
青文字:加筆改修部分


◆◆トゥラニズム


 【質問】
 トゥラーンって何?

 【回答】
 本来は言語・人種の括りを指す言葉の筈が,なんだか思想的に厄介な方向へ進んだ言葉.

 トゥラーンとは「トゥールの土地」という意味で,イラン神話の登場人物トゥールに由来する.
 そこに住むとされるトゥラーン人は,ゾロアスター教の根本教典『アヴェスター』に登場するので,紀元前15世紀頃には居たようである.
 この「トゥラーン人」はイラン系民族だと考えられるが,6世紀頃から7世紀ごろには,アムダリヤ川の北に居るテュルク系民族を指す様になった.
 イラン人は,自分達の住まう「イラーン」の地に対置して,川向こうの世界を「トゥラーン」と呼んだのだ.
 そして,イランの女性名に見られる「トゥラーンドフト」(トゥラーンの娘(ドフトル)」の語源となり,この「トゥラーンドフト」がプッチーニ作のオペラ「トゥーランドット」の語源となった.

 その後,20世紀初頭の西洋ではトゥラーンは中央アジアを指すようになり,「ウラル・アルタイ語族」を表す用語として使用された.
 現在はウラル語族とアルタイ語族は別の語族と考えられているが,当時は同じ語族とみられていたのだ.

 それだけならただの言語学用語なのだが,この.ウラル・アルタイ語族(トゥラーン語族)を話す人々を人種としてとらえる概念が出てきて,それが思想に転化する.

 まず,衰退期にあったオスマン帝国において,トゥラーン主義(トゥラニズム,ツラニズム)というイデオロギーが出てくる.
 これはユーラシア大陸に広範に分布するテュルク系諸民族に対して,言語的,文化的,歴史的な共通性を根拠に,政治的,経済的な統合を目指すイデオロギーで,日本語では汎テュルク主義,または汎トルコ主義とも呼ばれ,トルコの愛国主義者に支持された.

 これがハンガリーやフィンランドでも政治や文化に大きな影響を与えた.
 ロシアの脅威にさらされているハンガリーでは,日露戦争での日本の勝利を受け,マジャール人と日本民族が同祖であるという思想が広まった.
 もっとも,学術的に見れば,日本語がアルタイ語族に属しているかどうかも「不明」.
 そもそも「語族=民族」というわけでは全くないのだが…

 科学的根拠がなくとも,共同幻想とはある意味恐ろしいもので,1910年にはトゥラーン協会設立.
 同協会は日本と同盟を組むことを主張した.
「日本の皇族を国王として迎えるべし」
とする主張さえあった.
 オーストリア=ハンガリー二重王国という枠組みの下では,そんな主張はもちろん現実的ではなかったが,万一何かの間違いで実現していたら,「ハンガリー国王・××宮△仁.摂政ホルティ」なんてことになっていたのだろうか?
 そんなトゥラーン協会だが,所詮は閉鎖的な都市知識人の集まりであり, 大衆運動と しては全く力持っていなかった.
 だが,保守的な貴族グループを中心とする政治的特権階層には隠然とした影響力をもち,政治的圧力団体と して機能し, 日本との関係においては独占的な地位を確保した.

 第一次世界大戦後の1921年にハンガリー王国が誕生すると,日本の間で国交が樹立され,1924年にはハンガリー=日本協会が設立された.
 1938年11月15日には日本ハンガリー文化協定が締結されたが,ハンガリー側の調印者であったテレキ・パール伯爵は,「日本列島の地図作成の歴史」という論文で著名な地理学者でもあり,トゥラーン協会の設立者の一人でもあった.

 実のところ,日本側ではごく一部を除き,ハンガリーに関心は無かった(今でもそうなんだろうな…)ようなのだが,こういう思想は日本にも伝播してくる.
 何より,トゥラニズムはシベリア~満洲の日本支配を正当化する理論としても使えるので,都合がいい.
 現代でも一部の極右は,いまだにトゥラニズムを提唱している.
「今岡十一郎が提唱したツラン人種(ウラル=アルタイ系)の理論に基づき,我が人種の優越性を主張する」
と述べているのは山田一成.
 山田は日本版ネオナチ組織,国家社会主義日本労働者党(Nationalsozialistische Japanische Arbeiterpartei=NSJAP)の党首であり,自民党議員である高市早苗・稲田朋美らと一緒に写った写真が,ネット上に出回っていたりする.

「いかなる用語であれ,それが政治的文脈の中で使われている場合には,くれぐれも御注意を」
というお話でしたとさ.

 【参考ページ】
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10411127218.html
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269322
http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/2ffb90126ce018b9e1f891b780f62827
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AA11143832/KJ00004164536.pdf
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20141212/Litera_701.html
http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/e23b0242cd857278fe9951293f67ed81

mixi, 2016.4.10

▼ え~と,多分文庫かなんかで出ている思うんですけど,10年程前の「丸」に「原乙未生中将一代記」という連載記事があったのですが,日本の戦車史で大きな役割を果たし,後に中将にまでなる原乙未生つう人物が,1930年頃に欧米中を旅行し,グデーリアンやクリスティーに会ったり
(クリスティーは日本嫌いと言われる事もありますが,この記事では原に対し,自分の造った戦車を是非日本にも売りたいと言った事になっていました.)
工場などを見学したりして欧米の軍事事情を見て回ったそうなんですが,

 ブダペストを訪れた際,建国千年の記念碑の脇の像の一つが日章旗を掲げているのを不思議に思い,そこら辺を歩いていた紳士に
「何故こんな所に日章旗があるのか?」
と聞いたところ,
「日本人がハンガリー人と共通の祖先を持つ同族だから,日章旗も掲げている」
と答えられたそうです.
 ついでに,この紳士が言うには,空位になっている王位を日本の皇族に継いで貰うため運動起こしたのですが,残念な事になり手がいなかった為に話が流れてしまったと言われたそうです.

 まあ,現実問題として日本人とハンガリー人が同族というのはありえないですし,ハンガリー人が日本人の事を実際問題どのように考えていたとか,この話が何処まで本当かだとかは私には分からないのですが,こういうエピソードもあるという事で・・・・.

 ついでに書くと,当時ハンガリーの大学で東洋学を教えていた日本人教授のお陰で,日本語の話せるハンガリー人が幾人かいたそうです.

 あと,原が,この紳士や列車でたまたま乗り合わせたポーランド軍人三人組とかに,エスペラント語は喋れるか?と問われていたのが印象的でした.

軍事板,2002/09/26
青文字:加筆改修部分

 アルスラーン戦記でも国名として出ましたね,「トゥラーン」

>実のところ,日本側ではごく一部を除き,ハンガリーにはあまり関心は無かった(今でもそうなんだろうな…)

 ハンガリー動乱では「百姓国のことだから」と正当化した左翼運動家の発言が,すごい印象的でした.
 マルクス・レーニン主義に良心を売り渡さないと左翼運動家にはなれないんだな,と痛感したものです.

ヤン・ヒューリック in mixi,2016年04月11日


 【反論】
 ハンガリー人,つまりマジャール人と日本人とは,同族です.
 マジャール人の祖先がアジアに住んでいたころ,東に行ったのが日本人で,西に行ったのがマジャール人なのです.
 それゆえにハンガリー語と日本語とはくりそつです.

 【再反論】
 これまで日本人とハンガリー人が同族だと証明された事実は一度もありません.
 ちなみにハンガリー人の自称であるmagyar は短母音なので,“マジャール”と表記するよりも“マジャル”と表記した方がより適切かと思われます.
(しかし,“ハンガリー人”=“マジャル人”なのですから,あえてマジャル人と呼ぶ必要もないでしょう.)

 ハンガリー語と日本語が文法的には恐ろしく(かつ嬉しいことに)酷似していることは事実ですが,両言語が酷似していることは言語類型論の問題であって,両民族の系統の問題には関係はありません.正確には何も証明されておりません.

 言語学のレベルでも,日本語とハンガリー語の同族関係は全く証明されていません.

 面白いことに言語(ソフト)の移動は,もちろん実際にその言語を話す人間(ハード)が移動することによって起るわけですが,人種の方は比較的早く周囲の人種に同化されてしまうので,マクロ的に見ると,ユーラシア大陸の人種分布は一切変わらず,人種というハードの上を言語というソフトだけが流れて移動しているように見えます.
 スカンジナヴィアに移住したフィンランド人(スオミ人)は色白の金髪が多いですが,中央ヨーロッパに移住したハンガリー人は,人種的には西ハンガリー人はドイツ人的,北ハンガリー人は金髪の多いスロヴァキア人的,トランシルヴァニアのハンガリー人はルーマニア人的,南ハンガリー人はセルビア人のようなディナール型の人種が目立ちます.

 もっとも,ハンガリー語を“知ってる”人の間にも, ハンガリー語と日本語が同族と信じている人はたくさんいます (^^;).
 だいたい,日本人でハンガリー語を学習したことのある人なら,最初はだいたいどこかで「日本語とハンガリー語は同系だ」という説を読んで,ハンガリー語に興味を持った場合が大部分でしょう.
 ただし,その後専門的に研究すれば,そうではないと目が覚めるわけですが....

 でも,“他人の空似”でも,似ていればいいじゃあありませんか (^o^)♪
 “遠い親戚よりも近くの友人”です.

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分

 古代ハンガリー語の研究書を読んだが,やはり日本語ともモンゴル語とも似ても似つかんものだったのを覚えている.

自転車小僧 : 世界史板,2001/08/20(月)
青文字:加筆改修部分

> 古代ハンガリー語の研究書を読んだが,やはり日本語ともモンゴル語とも似ても似つかんものだったのを覚えている.

 どの本でしょうか?後学のためにぜひ,教えて下さい.

 ちなみに,現代ハンガリー語でも“vi'zmosta part”(水が洗った岸)のような表現は残っています.つまり,通常は形容分詞構文と呼ばれるものですが
(現代ハンガリー語文法ではただの“形容詞”ということにされているが,異議あり),
これは日本語などでは明らかに関係節です.
 公式のハンガリー語の文法の説明では分子構文は関係節ではないとされ(明らかに印欧語族の分析に引きずられている),分詞となる動詞の主語は埋め込まれ得ないとされているのですが,この構文の vi'z(水)は明らかに主格です.

 中世ハンガリー語だと“ha'rom o:ko:r sza'ntotta fo:ld”(3頭の牛が耕した土地)のような完璧な埋め込み分詞構文も残っており,非常に日本語的ですよね.

 現存している最も古いハンガリー語の句構造は,(ちょっと手抜きで記憶だけを頼りに引用しますが)

    “feheru uaru rea meneh hodu utu rea”
      白い  城 に  行く 軍勢(の)道  に

というのがバラトン湖のティハニュ半島の修道院建立状に残されています.
 ハンガリー語は昔に戻れば戻るほど日本語に似て来ます.

 なお,現代ハンガリー語では英語のような関係詞節も存在しますが,これも嬉しくて泣きたくなるほど,日本人が英語などの関係詞節を直訳した形に似ていますね.
 例えば,馬鹿みたいな例文ですが,「私はアニコーという名の少女を知っている」は以下のようになります:

  Ismerem azt a la'nyt, akit Aniko'nak hi'vnak.
(私は)知っている その  少女を (who を)アニコーと  呼んでいる

 この文は中世ハンガリー語では

  Ismerem azt a la'nyt, az kit Aniko'nak hi'vnak.
(私は)知っている その  少女を その 誰を アニコーと  呼ぶ

と表記されました.
 要するに「私はその少女を知っている」「その誰を(皆は)アニコーと呼んでいる」という構造なのですね.
 ハンガリー語の関係節では通常は必ず先行詞が必要とされますが,これは多分,直訳の名残です.

 また英語などとは違い,ハンガリー語では疑問詞と関係詞は語形的に区別され,関係詞は疑問詞に“a-”という接頭辞が付いた形を取ります.
 これは中世ハンガリー語では単なる指示代名詞の「その」(az) でした.
 当初は ki(誰)という疑問詞に対応する関係詞は“az ki”(その誰)のように表記され,後に“a' ki”のように省略されるようになり,発音上区別が付かないので,現代ハンガリー語では“aki”のように一語として認識されるようになったものと思われます.

 なお,ハンガリー語の定冠詞の“az”も指示代名詞の“az”(その)そのままですね.
 ハンガリー人達が周囲を印欧語族に囲まれ,だんだんと印欧語族の構文を受け入れていった様子が,非常に奇麗に見うけられます.

しい坊 : 世界史板,2001/09/30
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本語とハンガリー語で共通するところはどんなところ?

 【回答】

> 語彙

 探して行くと,実は結構あるように見えます.
 しかし,言語学的な検証をすると殆どが破綻します.
 本当に同系の語彙もあるのですが,そういう“文化語”と呼ばれるものは殆ど全世界共通だったりします.
 つまり,恐らくは太古の時代のハイテク用語 (?) で,全世界に借用語として伝わったものなのでしょうね.

> 語順

 日本人のよく知っているヨーロッパのメジャーな言語の語順は,殆どが日本語のようなSOV(主語+目的語+動詞)ではなく,SVO(主語+動詞+目的語)ですが,現代ハンガリー語の語順はSOVでもSVOでもありません.
 ただし,分詞構造(関係詞節構造)とか形態素レベルの並び方を見ると,統語論レベルでのハンガリー語の語順は,恐らくは大昔はSOV(つまり日本語と同じ語順)がデフォルトだったと考える方がいいと思われます.

> 人称変化や目的語を含む動詞変化,

 これは日本語との同系が疑われている (?) アルタイ語族でも一般的ですので,人称活用が日本語にないということ自体はあまり問題にはならないと思います.
 むしろ日本語が特殊で,場合によっては古代日本語でそういう活用が失われたと考えることも可能です.
(あくまでも“可能”というだけ.)


> 時制,

ハンガリー語では日本語と同じで,印欧語のような意味での“時制”はありません.
 日本語では過去・現在・未来に関らず,その時点で相対的に完了しているのか,完了していないのかだけで「た」が付きます.
 ハンガリー語でも同様で時制に関りなく,完了しているものには「-ta(/-te/-t)」が付きます.

 例えば日本語では
「昨日,銀座を“行く”と田中さんに“会った」
とか
「明日,学校から“帰った”ら,映画に“行く”」
のように使いますが
(時制は「昨日」とか「明日」と言った時の副詞で表現している),
ハンガリー語の場合も全く同じです.

> 単数・複数の概念

 日本語の複数形(単数形を2回繰り返す)はアルタイ系のものではなく,南方の言語の特徴のようですね.
 多分,これは日本語が混交言語であることに由来するのだと思われます.
 日本語が混交言語である可能性が高い以上は,あまり日本語がアルタイ語族に属するのかどうかなんていうことは議論しても意味がないことです.
 要は日本語の中のアルタイ的な部分がハンガリー語と同系なのかどうかでしょう.
 しかし,これは日本語とハンガリー語の比較の問題ではなく,まず,アルタイ語族の成立が証明されなければならず,次にウラル語族とアルタイ語族の親縁関係が証明され,さらに日本語の中にアルタイ語族に属する部分が存在するということが証明されて初めて,日本語とハンガリー語の(部分的)同系説は証明されるわけです.
 手順をきちんと踏まないといけませんね.

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ウラル=アルタイ語族というのは今では存在を否定されており,ウラル語族を今はフィノ=ウゴル語族と言うのが普通なのでは?

 【回答】
 正確には,ウラルアルタイ語族の存在が否定されているのではなく,ウラルアルタイ語族の存在が証明されていないので,そういう用語は言語学では使わなくなっているということですね.

 ウラル語族とはフィンウゴル語派とサモエド語派を統合する上位概念です.
 言わば,“ウラル語族”は“インドヨーロッパ語族”にあたり,“フィンウゴル”は“ゲルマン”とか“スラヴ”にあたる概念です.

 で,現在,ウラル語族の存在を否定する理論は,少なくとも言語学上ではありません.
 しかし理論上は,それが今後証明される可能性はありうるわけです.
 それが実際に証明されるかどうかは非常に疑わしいですが,少なくとも,日本語とタミール語やレプチャ語との同系説よりは蓋然性は高いとは思われます.

 なお,日本のウラル学やフィンウゴル学では“フィノ=ウゴル”という用語は使いません.
 これは何でも英語で言わないと気に済まない英語学の人達が使っている用語ですね.
 日本の英和辞典等にも“フィノウゴル”と書かれていますが,当の専門家達が一切使わない不思議な用語です.

 ちなみに日本語の“フィンウゴル”という用語の語源は,ハンガリー語の“finnugor”で,戦前ハンガリーに留学されていた徳永康元先生が和訳されたものです.

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリー語の発音について教えてください.

 【回答】
http://www.geocities.jp/kawatab/lessons/lesson01.html
によれば,以下の通り.

五十音   備考
aに近く,eに近いので,聞く時に注意.jlyも母音が付かないとになる.
a i, j, ly u e o
ka ki ku, k ke ko
sza si szu, sz sze szo
csちゃ行の音,cつぁ行の音.したがって,csicu
ta csi cu, c te to
nと母音の組み合わせ.日本語のの音はにゃ行の音で,nyiであることが多い.
na nyi, ni nu ne no
ha hi hu he ho
ma mi mu me mo
jlyも,yも同じ音.
ja, lya, ya - ju, lyu, yu - jo, lyo, yo
lと母音の組み合わせ.rは巻き舌.日本語でも巻き舌になる場合はあるが,通常は巻き舌ではない.
la, ra li, ri lu, ru le, re lo, ro
- - waの音は通常ゔぁの音.ハンガリー語ではvwは区別されない.
(wa, va) - - - o
- 日本語のには3つの発音があります.
n, m, ng - - - -
gと母音の組み合わせ.鼻濁音の行の音はng
ga, nga gi, ngi gu, ngu ge, nge go, ngo
日本語はzdzが混ざる.
dza, za dzsi dzu, zu dze, ze dzo, zo
dzsじゃ行の音,dz行の音.したがって,dzsidzu
da dzsi dzu de do
ba bi bu be bo
pa pi pu pe po
きゃ きゅ きょ
kja, kya - kju, kyu - kjo, kyo
しゃ しゅ しょ
sa - su - so
ちゃ ちゅ ちょ
csa, tsa - csu,tsu - cso, tso
にゃ にゅ にょ
nya, nja - nyu, nju - nyo, njo
ひゃ ひゅ ひょ
hja, hya - hju, hyu - hjo, hyo
みゃ みゅ みょ
mja, mya - mju, myu - mjo, myo
りゃ りゅ りょ
rja, rya - rju, ryu - rjo, ryo

 なお,母音には「低母音」と「高母音」というものがある.
 このうち,高母音に留意.

e 日本語の「エ」という形から唇を気持ちひいて発音する.
é
舌は真ん中で,唇を両脇に思いっきり引っ張り,「エー」という.
i 日本語で「イ」というのよりも口をやや狭くし,舌をさらに口蓋に近付けて発音する.
í
上の「i」を長くいう.
ö
「オ」というつもりで唇を丸く尖らかせて「エ」という.
ő
上の「ö」を長くいう.
ü
「ウ」の口の形から舌を口蓋に近付けて「ウ」という.
ű
上の「ü」を長くいう.

 【参考ページ】
http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/hun/wands/01.html
http://www.geocities.jp/kawatab/lessons/lesson01.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8678/hyoki.html


 【質問】
  現代ハンガリー人のDNAは他の東欧諸国となんら変わりないの?

 【回答】

 中東欧のDNAですね.
 ゲルマンのDNAもだいぶ入っていますから.
(西ハンガリーでは“Yes”にあたる“igen”「イゲン」を“ja”(“ja'”ではない)「ヤー」と言いますから (^^;).)
 ただし,周囲のDNAとは違う遺伝子を持ったハンガリー人も結構います.
 トランシルヴァニア東部に居住する,セーケイ人と呼ばれるハンガリー人の一派にはバルト人種等も多いです.

 時々モンゴロイド的な特徴を示すハンガリー人も見かけますが,彼らの多くはカルパチア盆地を征服定住したマジャル人のDNAを持っているというよりは(多分,そういう人もいるのでしょうが),多くはハンガリーの一部がオスマン・トルコに占領されていた時期の名残か,ハンガリー国王の庇護を求め,ハンガリー中央部に定住を許されたトルコ系のクマン人のものでしょう.

 時々,ハンガリーを旅行した人が,
「ハンガリー人はアジア人のはずなのに,白人ばかりが目立つ.
 しかし,よく見ると,色の浅黒い裸足で物乞いをしている人間に出会うので,あれがマジャール人だろう」
なんて本を書く人がいますが,それはジプシー(ロマ)です (^^;).

 ちなみに,フィンランドに大量に居住しているラップ人(サーミ人)は明らかにアジア人的な風貌をしています.
 今のところ,ラップ語人はバルト・フィン化されたサモエド人だという説が定説になっていますが,おかしなことに,ラップ語で区別している母音をフィンランド語で区別していなかったりします.
 そこで,実はフィンランド人こそウラル化されたバルト人ないしゲルマン人なのではないかという説も信憑性を持ってくるわけです.
(この説はまだ定説にはなっていません.)

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ハンガリー人はアジア人が嫌いだと聞いたが.

 【回答】
 それは誤解ですね.
 言語ルーツ自体,同じだということは証明されていませんが,ハンガリー人が親日的であることは事実です.
 戦前ハンガリーで流行ったツラン運動では,日洪同系論が盛んでしたからね.
 ただし,ハンガリーに限らず,概ねロシア,東欧は親日的です.

 もっとも,ハンガリー人が好きなのは“アジア人”ではなく,“日本人”ですね.
 不思議なことに日本人は好きですが,中国人や朝鮮人はあまり好きではないようです.
 やはり民族的“ブランド指向”なのか?

 また,日本人は“アジア人”というと日本人や中国人のようなモンゴロイドを想像しますが,ヨーロッパに居住しているハンガリー人にとっては,アラブ人やトルコ人が最も身近なアジア人ですよね.
 彼らに対してはそれほどいい印象は持っていないでしょう.
 特にオスマン・トルコには,ハンガリーの中央部の3分の1程を150年間に渡って占領されていましたからね.

 しかし,そうは言っても不思議なことに,バルカンの住民のようなトルコに対する憎悪はないようです.
 むしろ日本の戦国時代のように,トルコは良きライバルだったという感じですかね?
 多分,トルコと対等に渡り合ってきた民族と,バルカンのように一方的に征服され続けた民族との違いなんでしょうね.

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分


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