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ロシアFAQ目次


 【link】

「ロシア・ソ連海軍」:「アドミラル・ゴルシコフ」海軍旗返納・その1

「ロシア・ソ連海軍」:「アドミラル・ゴルシコフ」海軍旗返納・その2

「ロシア・ソ連海軍」:「アドミラル・ゴルシコフ」海軍旗返納・その3

「ロシア・ソ連海軍」:「アドミラル・ゴルシコフ」海軍旗返納・その4

「六課」ACS◆(2013/04/21) 重航空巡洋艦アドミラル・ゴルシコフの艦首プレートはセヴェロドヴィンスクで記念碑となる


 【質問】
 キエフ級各艦の兵装は,どんなものだったの?

 【回答】
●キエフ,ミンスク
・バザリート長距離対艦ミサイル連装発射機×4(SS-N-12)
・シュトルム艦隊防空ミサイル連装発射機×2(SA-N-3)
・オーサM個艦防空ミサイル連装発射機×2(SA-N-4)
・ヴィフリ対潜ミサイル連装発射機×1(SUW-N-1)
・RBU-6000対潜ロケット12連発射機×2
・AK-276 76mm連装砲×4
・AK-630 30mmガトリング砲×8
・533mm5連装長魚雷発射管×2

●ノヴォロシースク
・バザリート長距離対艦ミサイル連装発射機×4
・シュトルム艦隊防空ミサイル連装発射機×2
・ヴィフリ対潜ミサイル連装発射機×1
・RBU-6000対潜ロケット12連発射機×2
・AK-276 76mm連装砲×4
・AK-630 30mmガトリング砲×8

●バクー(アドミラル・ゴルシコフ)
・バザリート長距離対艦ミサイル連装発射機×6
・キンジャール個艦防空ミサイル8連装垂直発射機×24(SA-N-9)
・AK-100 100mm単装砲×2
・RBU-12000対潜ロケット10連発射機×2
・AK-630 30mmガトリング砲×8

 各艦の搭載機:Yak-38M×12,Yak-38U×1,Ka-27対潜ヘリx17,Ka-32救難ヘリx2,Ka-25目標探知ヘリ×3
 なお,1,2番艦の格納庫内の収容機数は24機だったが,3,4番艦では,36機に増加された.

シア・クァンファ(夏光華) in mixi



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軍事板


 【質問】
 キエフ級各艦の略歴を教えてください.

 【回答】
★キエフ
1970年7月21日起工,1972年12月26日進水,1975年12月28日就役.
 黒海沿岸ウクライナのチェルノモルスキー造船所(第444海軍工廠,ニコライエフ南)で建造(2〜4番艦も同様)
1976年7月:北洋艦隊に配属.
 当初は,配属先のムルマンスクに本艦が入渠出来るドックが無かったので整備に苦労したが,スウェーデンから浮きドックを購入して問題を解決.
1981-82年:ムルマンスクで航空艤装改善工事.
1989年:ムルマンスクで近代化改修工事に着手.
1991年:改修工事中断,ムルマンスクで予備役係留保管.
1994年:除籍.
(同型艦アドミラル・ゴルシコフの整備及び修理用に,使える部品は全部剥ぎ取って陸揚げ.)
2001年:スクラップとして中国に売却.

★ミンスク
1972年12月28日起工,1975年9月30日進水,1978年9月28日就役.
1979年6月:大型対潜艦ペトロパヴロフスク,大型揚陸艦イワン・ロゴフと共に太平洋艦隊に配属.
(本艦の太平洋艦隊配属に先立ち,日本から浮きドックを購入)
1980年8月:対馬海峡南下.
1981-82年:ウラジオストクで航空艤装改善工事.
1982年10月:ベトナムのカムラン湾に展開.
1984年3月:対馬海峡南下.
1986年3月:日本海北部で統合演習.
1986年6月:オホーツク海統合演習に参加.
1989年:機関事故を起こし,そのまま修理もせずに係留.
1991年:ウラジオストクで予備役係留保管.
ソ連崩壊後は,ソヴィエツカヤ・ガヴァニに回航.
1994年:除籍.
1995年:スクラップとして韓国に売却,釜山港に回航.
1998年:中国に転売.
2000年:火災起こして全焼.
2001年:復旧してテーマパークとして開業.
2005年:保有会社が破産,閉鎖.
2006年3月:競売が開始されるも買い手が付かず.

★ノヴォロシースク
1975年9月30日起工,1978年12月26日進水,1982年8月14日就役.
当初は1979年に完成する予定だったが,ヤコブレフ設計局が,艦載機Yak-38用の発艦促進装置なるものを提案した結果, 艦内の設計に一部変更が生じたために工事が遅れる.
1984年2月:大型対潜艦1隻,警備艦1隻,補給艦1隻と共に太平洋艦隊に配属.
1984年9月:オホーツク海演習に参加.
1985年3月:大型対潜艦4隻,警備艦2隻,補給艦1隻を率いて太平洋中部に進出,大規模な機動演習を行う.
1985年8月:オホーツク海統合演習に参加.
1987年6月:日本海に進出.
1987年8月:オホーツク海に進出.
1988年4月:日本海中部に進出.
1991年:ボイラー事故を起こし,そのまま修理もせず,ウラジオストクで予備役係留保管.
ソ連崩壊後,ソヴィエツカヤ・ガヴァニに回航.
1994年:除籍.
1995年:ミンスクと共にスクラップとして韓国に売却.

★アドミラル・ゴルシコフ(旧名バクー)
1978年12月26日起工,1982年5月31日進水,1987年12月11日就役.
(公試時,ボイラーに亀裂が入る)
1988年12月:北方艦隊に配属.
1990年10月:ソ連国防相命により,「アドミラル・フロータ・ソヴィエツカヴァ・ソユーザ・ゴルシコフ」に改名.
1991年:本艦で試験飛行中の新型STOVL艦上戦闘機Yak-141の試作2号機,事故で墜落.
(この事故をきっかけに,Yak-141の開発中止)
1994年:火災事故を起こし,同型艦キエフの部品を剥ぎ取って修理.
1996年:現役復帰.同年の北方艦隊観艦式の「旗艦」をつとめる.
1997年:予備役編入.ムルマンスクで係留保管.
2004年1月:インドに売却.
契約内容は「艦そのものは無償でインドに譲渡.全通甲板空母への改造費用と搭載機MIG-29K改等の代金(合計で約15億ドル)だけ支払う」
セーヴェロドヴィンスク市のセヴマシュ・プレドプリャーチェ(北方機械建造会社,旧第402海軍工廠)において改造工事に着手.
2005年3月10日:インドに引き渡され,ヴィクラマーディティヤ(INS Vikramaditya)と命名.

シア・クァンファ(夏光華) in mixi

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq39m1143.jpg

 【関連リンク】

「ロシア・ソ連海軍」:旧ソ連空母キエフ・その1

「ロシア・ソ連海軍」:旧ソ連空母キエフ・その2

「ロシア・ソ連海軍」:建造中の「対潜巡洋艦」キエフ

「ロシア・ソ連海軍」:地中海の空母ミンスク(1979年)


 【質問】
 ミンスクの1981〜1982年の小改装の中身は?

 【回答】
 キエフ級VSTOL空母(重航空巡洋艦)の初期グループ(プロジェクト1143)に属する1番艦キエフКиевと2番艦ミンスクМинскですが,キエフは1975年,ミンスクは1978年に就役しました.
 しかし,キエフとミンスクを実際に艦隊で運用してみると,飛行甲板上で乱気流が発生し,搭載機の発艦に支障をきたす事が分かりました.

 そこで,キエフとミンスクは,造船所に回航され,飛行甲板上での乱気流発生を防止する対策を施す事になりました.
 キエフは,飛行甲板に整流柵を設置しましたが,ミンスクは,もう一歩踏み込み,乱気流発生の元凶と見られる左舷前部の30mmガトリング砲スポンソンの形を変えました.
 ミンスクの改装は,1981〜1982年に掛けてウラジオストクの「ダーリ・ザヴォート」で実施されました.

改装前(1979年撮影)

改装後(1982年撮影)
左舷前部の30mmガトリング砲スポンソンの形が変わっているのが分かるでしょう.

faq39m1143m03.jpgへのリンク

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/25(日) 午前 9:07


 【質問】
 1982年12月の整備・改装工事における,キエフの工事内容は?

 【回答】
 新型電子兵器搭載.
 通信装置近代化.
 飛行甲板への整流柵設置.
 静粛性を高めるための改善措置.

 工事は1984年11月に完了,北方艦隊に復帰すると,すぐさま訓練のために出港したが,主機や発電機が突如停止し,その復旧に5時間を費やしたばかりか,そのときに打ったアンカーが,本土とノヴァヤ・ゼムリャ島の核兵器実験所を結ぶ海底ケーブルを切断してしまったという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.155(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 「キエフ」の現役期間は,欧米空母のそれに比べ,なぜ非常に短かったのか?

 【回答】
 (1)ソ連崩壊のもたらした大軍縮や予算不足.
 (2)徴兵制の結果,未熟練乗員が常に存在するため,故障や事故が絶えないこと.
 (3)空母の将校は他の軍艦に比べて昇進が早いので,短期間で入れ替わってしまうこと.
 (4)キエフの乗員一人当たりの整備作業量が,他の軍艦に比べて多いこと.クレスタII型のほぼ2倍.
 (5)船舶修理工場において1143型の修理ができる技術者が育たず,本格整備のためにはニコライエフ造船所まで回航しなければならなかったこと.
 (5)停泊中も主機停止を禁じられていたため,主機の寿命を縮めたこと.
が原因だという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.154-156(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 キエフ級には「機関の信頼性不足」という持病が本当にあったのか?

 【回答】
 『世界の艦船』2007年6月号「ロシア艦艇最新事情」(岡部いさく著述)において,
「かつてのキエフ級V/STOL空母以来のロシア空母の持病である機関の信頼性不足」
などという記述が見られますが,これは見当ハズレもいいところでしょう.

 まず第一に,キエフ級は,1978年11月以降,停泊時も機関を停止する事を禁じられました.
 これは各艦の退役時まで続きました.
 ずっと蒸気タービン機関を動かしたままでは,エンジンの寿命を縮め,老朽化が早まるのではないでしょうか.例え,どんなに信頼性が高くとも.

 さらに,同級が配備された北方艦隊と太平洋艦隊は,回航直前に外国から巨大浮きドックを購入したくらいだから,メンテナンス(バックアップ)体制も充分だったとは言えない.
 特に,日本から超大型浮きドックを購入するまでは,キエフ級くらいの大型艦艇が入渠出来るドックが無かった極東方面は,尚のこと「泥縄」の感が強い.

 それに旧ソ連海軍は,急速な艦隊の拡張に乗員の養成が追いつかず,ごく一部の熟練士官と,ほぼズブの素人である徴兵された若年兵が大多数という,歪な構成になっていました.
 前線部隊の中核を担う熟練下士官は居ないに等しかった.
(旧ソ連軍における下士官のポジションは,単に准士官や士官へ昇進する前のステップにしか過ぎなかった)

 高圧ボイラーを使う蒸気タービン機関は,取り扱いが難しい事は言うまでも有りません.
 徴兵された若者に扱える代物ではない.
 アニメみたいに,ズブの素人が,いきなり最新鋭の高性能機動兵器に乗り込んで,使いこなすようなわけには行かないのですよ(笑)

 しかも徴兵された若年兵は,徴兵期間の3年が過ぎれば民間に戻り,海軍に残る者など極少数派です.
 つまり,ようやく艦の動かし方を分かってきた頃に海軍を去るわけです.
 これでは,軍を支える優秀な下士官・兵は育ちません.

 艦が就役してから暫くの間は,建造元の造船所の技術者が乗り込み,手取り足取りサポートするので,大したトラブルも無く艦は動かせますが,彼らが降りた後は・・・・

 というわけで,これは,機関の信頼性云々では無く,ソ連海軍の運用体制の問題ですね.

 そもそも,そんなに信頼性の低いエンジンなら,回航するコトすら出来ないっしょ(笑)
(黒海沿岸からウラジオストク(orセヴェロモルスク)まで何キロ有るのか?(^^;)

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/6/3(日) 午後 0:55


 【質問】
 1143型では,なぜ停泊中も主機停止を禁じられていたのか?

 【回答】
 1978年11月のキエフの事故に起因する.
 セヴェロモルスク基地の沖合で錨泊中――同基地にはキエフ用の埠頭がなかった――,突然の嵐によって走錨,座礁.
 幸い,浮き桟橋がクッションとなって大きな損傷とはならなかったが,この事故を契機にキエフ(後に1143型全艦)は停泊中も主機停止が禁じられ,結果として主機の寿命を縮めることになったという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.154(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 1979年,極東への回航の途中で,ミンスクを含む艦隊はなぜアデン近海で戦術演習を行ったのか?

 【回答】
 イエメンでの内戦深刻化に鑑み,ソ連がイエメン人民民主共和国政権を支持する意思があること,それを裏づけるに足る軍事力を有していると誇示するためだという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.157(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 アフリカを経由した,「ミンスク」の極東への回航において,搭載機に生じた支障にはどんなものがあったか?

 【回答】
 Yak-38は大西洋に入ると,離昇エンジンに不具合が発生し始め,赤道を越えるとその件数が急速に多くなった.
 南極に近付くとエンジンは正常に作動するようになったが,アフリカ南端を巡り,気温や湿度の高い海域に入ると再びぐずりだし,燃費も悪くなった.酷い時は1回の垂直離艦で搭載量の3割近くを消費,その後の飛行可能時間は僅か20分しかなかった.
 報告を受けた設計局は,離昇エンジン改善に努めたが,根本的解決にはならなかったという.

 その後,ミンスクはベトナム近海で,気温や湿度が高い海域での,改良型ノズルを搭載したYak-38発艦実験を繰り返したという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.157(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 コノネンコ墜落死亡事故はなぜ起こったのか?

 【回答】
 後に判明したところによると,飛行甲板上の乱気流に発艦機が巻き込まれると,急激に揚力を失うため.
 このため急遽,整流装置が開発され,1981〜1982年にかけ,ウラディウォストークのダリザボド船舶修理工場でミンスクに装備されたという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.157-158(A. V. Poltov著述)を参照されたし.
 なお,
「入渠したミンスクの艦首から筆者のアパートまでは300mしか離れておらず,ミンスクが突っ込んでくるような気分になったのを覚えている(ときおり,テレビからミンスクの艦内放送が流れたりもした)」
とは,同著述者の弁.


 【質問】
 ミンスク売却に絡む「ナビコン」汚職とは何か?

 【回答】
 まだ使えるかもしれないミンスクを,スクラップ価格で売却することで,元総司令官らは不正な利益を得たのではないかとされる汚職.

 チェルナビン元総司令官らは各艦隊毎に「ナビコン」という会社を設立し,政府や総司令部の人脈を利用して,多くの除籍艦艇をその会社経由で外国にスクラップとして売却していた.ミンスクも例外ではない.
 公式報告では,売却に際してミンスクの兵装や重要設備は全て解体・撤去されたことになっていたが,実際は,極秘の機器を含む兵装や設備とそれに関する資料等が,そのまま残されていた.
 しかもナビコンの黒幕,故マホニン大将は,韓国で替え玉会社を設立し,自分(ナビコン)でスクラップとして購入したミンスクを,自分(替え玉会社)に売却した.
 このときの価格は僅か458万3,000ドル.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.158-159(A. V. Poltov著述)を参照されたし.

 また,航空巡洋艦『ミンスク』と『ノヴォロシスク』が海外にいかに売られたかに関する新しい詳細が,イズヴェスチヤ紙1997年8月26日に掲載されている.
 以下引用.

<一部省略>
・・・確実に世界に例のないインチキ仕事が暴かれたのは,全くの偶然であった.
 設備及び装備を撤去するために,はるかに手頃な沿海地方の太平洋艦隊の強力な基地及び工場に有るべきであった巨大な艦艇は,これに全く適していないソビエツカヤ・ガヴァニのポストロヴァヤ湾に突然有ることになった.
 これは,小さな地方のヴァニノ税関の責任地帯であった.

 特にそこへ1994年12月のある日,物的資源中央局(TsUMP)及びロシア対外経済関係省の代表であるミハイル・リャザンツェフ海軍大佐がやってきた.
 彼は,
「『ミンスク』及び『ノヴォロシスク』の両艦の輸出手続き及び買い手へのそれらの引き渡しを実施する」権限を与える自分の組織の,2通の委任状No.148/12-228及び148/12-229を提示した.
 大佐は,航空重巡洋艦が『通関手続』を経ており,鉄屑,つまり船体の骨組みの他には,何もないことを証明する『解体記録』を税関職員に手渡した.

 ヴァニノ税関職員は,そのような異常さに注意を向けた.
 というのも,用紙において重要な通貨・会計課長A.クジメンコの代わりに,独特な艦艇の海外の買い手への引き渡しの権限を与えるTsUMPの委任状に署名したのは,記載された職務の前に『Yes』を意味する斜線を引く某人物であったからである.
 もしかすると,艦艇の海外への発送に関する画期的な瞬間にクジメンコ氏は不在だったのか?
 その時何故,彼の上司の中のこれらの権限を有する者への委任状に署名すべきではなかったのか?
 誰によるともしれないトリックは,大変警戒すらさせた.

 そこで,モスクワ税関において処理された艦艇の海外への売却を許可するもう1つの文書には,税関監督組織の課長であるV.セルマフキンが記載されている.
 しかしながら,その前には,全て同じ高名な斜線と他人の不明瞭な署名があった.
 さらにまた,何故だか通常公用文書に捺印される総務課の印判があった.
「もし極めて公式に問題へアプーローチしたならば,勇ましい大佐は関税国境手続に必要な全書類を提出し,我々は印判を押し,国境を開放する他無かったはずである.」
と,ヴァニノ税関副所長ニコライ・スリュンディンは語る.
「だが,文書の署名,印判,最近まで祖国の艦隊の誇りであったものの海外への全く普通ではないこの移送に関与した役人のレベルの全てが警戒させた.
 それ故,船を検査することが決定された.」

 後に税関により呼ばれた海軍防諜部が認めるように,両艦上において「正常な防腐処理を施されるか,あるいは修理に適した状態」にあった最高機密の装備及び設備が,巧みに隠されていた.
 太平洋艦隊防諜部は,未曾有の密輸の試みに関する秘密書類を作成し,それを政府及びその他の機関へ送った.
 明らかになった事実に基づき即時に刑事事件で告発する代わりに,恐らく何度も,肩章に大きな星を付けた軍人の『状況を説明する』試みが行われた.

 1994年12月20日付けの軍部隊40011指揮官V.ヴァシレフ海軍中将により承認された『解体記録』を思い出していただきたい.
 それを創作したのは,V.ヤキムチュクを長とする30名の上級艦隊将校からなる特別委員会である.
 5カ月後に艦隊の専門家が参加して,海軍防諜部の将校により作成された別の記録と,この文書を比較してみよう.

 こういうわけで,『廃棄記録』には以下のように主張されている.
「無線技術装備,設備,資産は,廃棄処分され,撤去され,そして供給機関へ引き渡された.人名勘定は閉ざされた.」

 実際には,以下の物が撤去されず,使用に適した状態で定位置に残されている.
●MP-700(RLS『フレガート』),航空・水中状況,目標発見電波探知所,『極秘』
●MP-105 RLS,艦載対空砲射撃統制所,『秘』
●『アレヤ−2』,対潜防御及び対空防御手段使用推薦並びに目標指示情報収集及び処理自動システム,『秘』
●MNPA,SV電動装置,至近距離航法及び航空機(ヘリ)着陸自動無線技術装置,『秘』
●『サルギル−1143』,航法複合体,『秘』

 『廃棄記録』の著者は,艦には「ミサイル・砲腔装備,設備,予備弾薬が存在していない」と主張している.
 実際には,無傷で以下の物が発見された.
●対潜ミサイル複合体『ヴィフル』,『秘』
●艦載高射ミサイル複合体『オサ−M』,『秘』

 言語道断である!
 錆鉄の値段で,海外へ危うく数百万ドルの価値がある軍事機密が去ってしまうところであった.

 航空重巡洋艦には,数百キロの赤銅管,銅製ケーブル線,真鍮製,青銅製の船外部品,チタン製フェアリングが存在していた.
 その他,多くの金,銀,プラチナ・・・.どのくらい?
 これを誰も知らない.
 『解体記録』において以下のように記録されている.
「旧航空重巡洋艦の船体に残された非鉄金属の総重量を算定することは,艦の設計建造文書が存在しないために可能とは思われない.」
 この記録には,さらに以下のようなフレーズも存在する.
「太平洋艦隊司令官I.フメリノフ海軍大将の決定に従い,廃棄処分された旧航空重巡洋艦『ノヴォロシスク』を艦上に残された非鉄金属を含むシステム,装置と共に外国会社へ売却することが許可された」・・・.

 イーゴリ・フメリノフ自身が,目下,彼が太平洋艦隊司令官として行ったアパート及び他のインチキ仕事で裁かれていることを思い出していただきたい.
 『ミンスク』は450万ドルで,『ノヴォロシスク』は430万ドルで売られた.
 専門家は,両艦には非鉄金属しか残されておらず,1,200-1,400万ドルがただで海外へ去ったと主張している.

 ・・・極東運輸検察は,最高検察庁の仕事を責任を持って遂行し,インチキ仕事自体についても,その組織者についても詳細に叙述した大量の文書を正確に記載された期限にそこへ送った.
 ついでに,航空巡洋艦『ミンスク』及び『ノヴォロシスク』における物質財の海外への不法移転への彼らの関与が見つけられなかったため,ヴァニノ税関職員の刑事責任を問うことに関する『否定材料』が作成された.
 事実上,税関職員に勲章を与える他ない.
 特に,彼らは機密艦隊装備の海外発送を未然に防ぎ,艦艇をできるだけ早く海外へかっぱらおうとした高級軍人の圧力を,丸1年間くい止めた.

 全員に明らかなのは,犯罪の組織者が金色の肩章の佩用者の中にいることである.
 だが,彼らの責任を問うのは,極東運輸検察庁の権限外である.
 発言は,最高検察庁のためにある.

シア・クァンファ(夏光華) in mixi

 【関連リンク】

「ロシア・ソ連海軍」:ソ連空母ミンスク・最後の外洋航海(1986年4月)


 【質問】
 ロシア当局は,「ナビコン」の不正を察知できなかったのか?

 【回答】
 太平洋艦隊の軍事防諜局は事前に察知していたが,エリツィン大統領が中国に売却を約束してしまったため,それをストップできなかった.
「二日酔い状態のエリツィンは,中国側が太平洋艦隊の1143型2隻を購入したいと申し出たという事を聞いて,
『生まれ変わったロシアに,もはや空母など必要ない.これからは大軍縮の時代だ.
 中国が欲しいというのなら,くれてしまえ!』
と呻き,中国側はモスクワで賄賂を縦横に駆使しながら商談を進めた結果,ミンスクの運命が決まった」(大統領警護局の元将校・談)

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.159(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 キエフ級が2隻以上揃って行動したことはあったのか?

 【回答】
 合計で4隻が建造されたキエフ級航空巡洋艦(1143型シリーズ)は,北方艦隊と太平洋艦隊に2隻ずつ配備されました.

 しかし北方艦隊でも太平洋艦隊でも,同級2隻が揃って外洋で行動する機会は有りませんでした.
 そのキエフ級2隻が揃って行動した唯一の例が,下の写真のものです.
 写真の手前側(左側)がキエフ,奥側(右側)の給油艦と並航している方がミンスクです.
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq39m1143d.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq39m1143d02.jpg
 1979年3月,前年に就役し,太平洋艦隊に編入されて極東方面に回航されるミンスクと,既に就役済みで北方艦隊所属となっていたキエフは,地中海で合同訓練を行いました.

 この合同訓練の後,ミンスクは極東方面に向かい,太平洋艦隊に配属されました.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/6/3(日) 午後 0:55


 【質問】
 ノヴォロシースクはなぜ建造されることになったのか?

 【回答】
 海軍当局にはその気はなく,キエフ,ミンスクを通じて確立したノウハウをもって,大型空母建造を準備していた.
 だが,ウスチノフ国防相はV/STOL機重視派で,1977年2月,政府は一方的に改キエフ型(1143M型)2隻の建造計画を承認したという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.159(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 1143M型は1143型とどこが違っていたのか?

 【回答】
 搭載機数を30機(最大で36)に増加.
 Yak-41搭載を予定して,ブラスト・デフレクターと新しい耐熱板を採用.
 海軍歩兵の上陸手段としての大型貨物ヘリMi-6の運用を考慮.
 魚雷発射管を廃止し,海軍歩兵90名分の居住区を設置し,格納庫を拡大.
 ソナーをポリノム型に変更.
 対潜指揮装置をプルガ型に.
 統合航海システムをサルギル5型に.
 統合戦闘情報システムをアレヤ2K型に.
 フィン・スタビライザーの翼面積を拡大.
 対空ミサイルをSA-N-9 キンジャルに.(実際には間に合わず,近接対空ミサイルは未搭載)
 CIWSをミサイルと機銃のハイブリット型,CADS-N-1 コルチクに(実際には間に合わず,AK-630Mを搭載).

 以上により,艦内の40%が改設計となった.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.159-160(A. V. Poltov著述)を参照されたし.

 【関連リンク】
「ロシア・ソ連海軍」:ソ連空母ノヴォロシースク太平洋機動演習・その1(1985年4月)

「ロシア・ソ連海軍」:ソ連空母ノヴォロシースク太平洋機動演習・その2(1985年4月11日)

「ロシア・ソ連海軍」:ソ連空母ノヴォロシースク太平洋機動演習・その3(1985年4月11日)

「ロシア・ソ連海軍」:ソ連空母ノヴォロシースク太平洋機動演習・その4(1985年4月)


 【質問】
 ミンスクとノヴォロシースクは,なぜ艦齢をまっとうせずに退役したのか?

 【回答】
 グロモフ大将の公式説明では,
「ノヴォロシースクとミンスクをヘリ空母に改造することも検討したが,技術を持つニコライエフ造船所がウクライナの財産となり,加えてロシア海軍は予算不足から現在の艦艇数を維持することができなくなったため,改造計画を断念した.
 また,仮にヘリ空母へ改造できたとしても,Yak-38というエア・カヴァーを失った――Yak-38は1991年予備役,1992年除籍――以上,空母には直衛部隊を付けねばならず,現在の戦力ではそれはとうてい不可能」
だったからという.

 詳しくは「世界の艦船」2005年4月号,p.161(A. V. Poltov著述)を参照されたし.


 【質問】
 キエフ級4番艦「バクー」について教えられたし.

 【回答】
 キエフ級4番艦「バクー」は,のちに「アドミラル・フロータ・ソヴィエツカヴァ・ソユーザ・ゴルシコフ」に改名.

 ただ,キエフ級とは言っても,3番艦までとは外見が大きく変わっており,「改キエフ級」として扱われる事が多い.
 ロシア(旧ソ連)でも,本艦は「プロジェクト1143.4」と呼ばれるタイプになっており,1,2番艦(プロジェクト1143)とも3番艦(プロジェクト1143M)とも違います.

 当初は,3番艦と同様にプロジェクト1143Mとして計画されたのですが,1143Mよりも更に改設計が行われ,プロジェクト1143.4となりました.

 本艦は,1978年12月26日起工,1982年5月31日進水,1987年12月11日に就役しました.
(なお,就役前の海上テスト中,ボイラーの1缶に亀裂が入るという事故が発生)
 翌1988年3月3日,「バクー」は黒海艦隊に編入され,各種新型機器のテストを続けた後,同年12月,黒海を抜けてムルマンスク方面に回航,北方艦隊に編入されました.

1990年10月4日,国防相命により,本艦は「アドミラル・フロータ・ソヴィエツカヴァ・ソユーザ・ゴルシコフ」と改名されました.
 元々の名前「バクー」は,当時,ソ連邦からの分離独立運動が盛んになっていたアゼルバイジャン共和国の首都名であり,ソ連邦海軍の軍艦名としては相応しくなくなった,というのが改名の理由だったようです.
 しかし本艦の乗組員は,この改名を歓迎せず,士官が連名で「元の艦名に戻して欲しい」という嘆願書を出しましたが,無視されました.

 その後の本艦は災難続きであり,1991年6月9日には,艦内に置いてあった生活ゴミから出火,補助区画に通じるケーブルが損傷するという事故が起こりました.
 同年11月15日には,開発中の超音速STOVL戦闘機Yak141の試作機が本艦でテスト中,垂直着艦に失敗して全損しました.
 当時,2機しか無かった試作機の内の1機が失われた事は,同機の開発を頓挫させる要因の一つとなりました.

 ソ連邦解体後も本艦の災難は続き,1993年にも火災事故を起こし,翌1994年2月にもボイラーの爆発による火災事故が発生.
 この時には,火災がタービン室にも延焼して8時間に渡って燃え続け,乗組員6名が死亡するという大惨事となりました.

 フネにも「運の良し悪し」が有りますが,本艦はここまでの経緯を見ると,間違いなく「運の悪い艦」に入るでしょう.

 この大火災により本艦の命運は絶たれたかに見えましたが,既に退役していた同型艦「キエフ」の部品を「共食い」して修理が行われ,1995年にはカムバック.
 同年5月ムルマンスクで行われた観艦式に参加し,「旗艦」を勤めました.
 これが,ロシア海軍における本艦の最後の花道となりました.
 1995年7月,本艦は予備役に編入され,ロシア・ソ連海軍における活動に終止符を打ちました.
 その活動期間は,10年にも満たない短いものでした.

 既に,艦載機Yak-38Mは1992年に退役,後継のYak-141Mの開発も頓挫し,ヘリコプターだけを運用する母艦としては大きすぎる本艦に,戦力的な価値は無くなっていたのです.

 しかし,本艦は,これで終わったわけではありませんでした.
 以後の流れは,次の機会に.

「バクー」
faq39m1143-4.jpgへのリンク
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Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/1/4(木)午後4:06


 【質問】
 キエフ級4番艦「バクー」は,1〜3番艦とどんな違いがあるのか?

 【回答】
 1143及び1143Mからの変更点は多数有りますが,まず,新開発のフェイズドアレイレーダー「マルス・パサート」を装備するなど,レーダー類は大幅に更新された為,艦橋構造物(アイランド)の形状が変わりました.
 このアイランドは,本艦に続いて建造された空母「アドミラル・クズネツォフ」のものと同一であり,いわば「先行試作品」として本艦に搭載されたようです.

 航空機格納庫は,3番艦(1143M)と同様に36機の各種航空機を収納可能となっており,搭載機は,当初,Yak-141超音速VSTOL戦闘機×16機,Ka-27ヘリコプター×19機となる予定でしたが,Yak-141が間に合わなかった為,Yak-38襲撃機×12機,Yak-38U練習機×1機,Ka-27ヘリコプター×20機が搭載されました.

 兵装も変更され,対艦ミサイル「バザリート」(SS-N-12)は3番艦までと同様ですが,連装発射筒は6基に増やされ,その代わり,3番艦までに装備されていた対艦ミサイルの次発装填機能は廃止されました.

 対空ミサイルは,新型の垂直発射式短距離ミサイル「キンジャル」(SA-N-9)が搭載され,3番艦までに搭載されていた「シュトルム」エリア防空ミサイル(SA-N-3)は廃止されました.
 中口径砲も,3番艦までの76mm連装砲2基から,100mm単装砲2基に変更されました.

「バクー」
faq39m1143-4d.jpgへのリンク
faq39m1143-4e.jpgへのリンク

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/1/4(木)午後4:06


 【質問】
 キエフ級5番艦「ソヴィエツキー・ソユーズ」について教えられたし.

 【回答】
 プロジェクト11434(バクー)を更に改正したキエフ級5番艦,プロジェクト11434-2「ソヴィエツキー・ソユーズ」は,バクーまでは甲板上に有った「バザリート」対艦ミサイル発射筒を右舷に寄せ,全通飛行甲板化したのが最大の特徴です.
 この他,飛行甲板面積も拡張され,それまでのキエフ級に比べ,より「空母」らしい艦になりました.

 排水量は,当時の国防相ウスチノフ元帥の同意を受け,バクーよりも1万トン増加し,搭載機数は40機に増えました.
 飛行甲板には着艦拘束装置が装備され,VSTOL機以外にも,CTOL機の運用も考慮されていました.

 当時,ソ連海軍が計画していた「本格的空母」の案を次々と葬り去っていたウスチノフ元帥も,この11434-2の建造だけは承認し,気前良く排水量の増加まで許可しました.

 これに目を付けた海軍当局は,この11434-2をベースにして搭載機数を更に増加させ,対艦ミサイルは飛行甲板埋め込み式の垂直発射型「グラニート」(SS-N-19)に変更し,艦首にスキージャンプ台を設置するなどの改正を盛り込んだ修正案を提案しました.
 つまり,事実上,国防相の御墨付きを受けている「改バクー級」に,それまでに潰されてきた「本格的空母」の要素を出来るだけ盛り込もうとしたのです.

 海軍の意を受けたネフスキー設計局が改設計した修正案は,1982年5月7日に政府及び国防省の承認を受けました.
 11434-2の修正案なので,ウスチノフ元帥の抵抗も無かったようです.
 同時に,計画名は「11434-2」から,「11435」に変更されました.

 しかし,その一ヶ月前の1982年4月1日,黒海沿岸のニコラーエフ南造船所では,(修正前の)プロジェクト11434-2「ソヴィエツキー・ソユーズ」が起工されていました.
 5月7日,造船所は,上記の修正案の決定を受けて「ソヴィエツキー・ソユーズ」の建造を中止.
 同年9月1日,改めて,プロジェクト11435「リガ」が起工されました.

 これが,のちの「アドミラル・クズネツォフ」になりました.

「ソヴィエツキー・ソユーズ」

「ロシア・ソ連海軍」,2007/1/14(日) 午後 5:18


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