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◆ロシア海軍FAQ
<ロシアFAQ目次

「ロシア・ソ連海軍」:ロシアとアメリカのサンドイッチ・バトル
「ワレYouTube発見セリ」;Russian Navy part3
「ワレYouTube発見セリ」:Russian Navy's Day, Sevastopol, Blacksea Fleet 2005
「ワレYouTube発見セリ」:The Great Russian Navy
「ワレYouTube発見セリ」:The Great Russian Navy
「ワレYouTube発見セリ」:ВМФ и этим все сказано (ロシア海軍)
【質問】
ロシア海軍は歴史的に見て,なぜ目立った活躍がないのか?
【回答】
隣接する海軍大国に対し,常に劣勢に立たされていたためであり,かつ,たくさんの海洋で,どれか一つに集中することなく作戦行動をしなければならなかったためだという.
以下引用.
海軍が常にロシアで二義的な役割しか果たせなかったのはやむをえなかったが,それでもピョートル一世が新しい首都サンクトペテルブルクを海岸に建設したため,海軍はロシアにとって欠かせない存在となった.
バルト海でロシアは,隣接する海軍大国――最初はスウェーデン,次いでドイツ――に直面し,さらに,圧倒的な強さを誇るイギリス艦隊も,殆どバルト海を離れようとはしなかった.
ロシアが19世紀末に黒海北岸を占領した際,海軍力の必要性はさらに高まった.
ロシアの沿岸地帯は全て,黒海を支配した艦隊に対して脆弱であり,オスマン帝国の君主はいつでも英仏海軍にボスポラス海峡を通過させることができる立場にあった.
ロシアの政治と経済が,ボスポラス海峡を通過する大規模な穀物輸出に依存するようになると,敵対的な海軍大国を前に帝国の脆弱性はなおさら先鋭化した.ロシア人にとってボスポラス海峡が持っていた重みは,イングランドにとってのイギリス海峡やベルギーの港と殆ど同じだった.
ロシア海軍の足枷になったのは,沢山の海洋(黒海,バルト海,北極海,太平洋)で作戦行動をしなければならず,しかも,その内どれか1つに海軍力を集中させる見通しが殆ど立たなかったことである.
装甲の蒸気船の時代は言うまでもなく,帆船の時代でも,海軍は科学技術の最先端にあった.
農民が多数を占めるロシアで,熟練した水兵を徴集したり訓練を積ませたりするのも頭の痛い問題だった.
バルト海の港が一年の殆どの期間を通じて氷結し,木造の船体が腐食し易かったのも一貫した問題だった.
それにも関わらず,ピョートル一世のスウェーデンとの北方戦争の間に創設された海軍は,沿岸部の海戦でも上陸戦でも熟達した戦法を伝統的に発達させ,ロシアのこの伝統は,機雷や魚雷の時代になっても変わらなかった.
Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)下巻,p.122
積極的な同盟外交で,多方面からの脅威を減らすことができたなら良かったのだが.
【質問】
ロシア海軍を建設したのは誰?
【回答】
ピョートル大帝.
様々な科学知識の他,造船技術にも習熟していた彼は17世紀末,アゾフを制圧して黒海の制海権を得るため,海軍建設の必要性を感じ,それを実行に移した.
当時のロシアは,外界から隔絶した,「陸の孤島」だったからだ.
彼は船大工や海軍士官を外国から雇い入れ,自らも設計や建造に携わり,ピョートル・ミハイロフと名乗って(ほとんどバレバレだったが)戦闘の指揮さえした.
その甲斐あって,当時オスマン帝国の領土だったアゾフは陥落し,黒海への突破口を得た.
【質問】
ピョートル大帝の死後,ロシア海軍はどうなった?
【回答】
衰退した.
ピョートルが行った改革の多くは放棄された.
ロシア海軍が再建されるには,エカテリーナ2世の時代,黒海の覇権を巡ってオスマン海軍と争うようになるまで待たねばならなかった.
【質問】
なぜロシアにとって外洋艦隊創設は困難なのか?
【回答】
・外洋艦隊建設費用が,国家財政を圧迫
・外洋艦隊を外洋に展開させるための,海外の海軍基地の欠如
のためだという.
以下引用.
ロシアの国境から遠く離れたところで,ロシアのパワーをはっきりと示す能力を持つ本当の意味での外洋艦隊を創設する事は,常に困難を伴った.
そのような艦隊に必要な費用は,帝政末期にもソ連末期にも膨大になり,国家の財政を酷く圧迫した.
どちらの地代にも,ロシアは世界の主要な海軍国と競い合うため,桁外れに大きな努力を重ねた.
とはいえ,この競争を続けるのに障害となったのは,財政や科学技術,幹部だけではなかった.
帝政ロシアには海外の海軍基地がなく,とりわけ,本国から遥か遠くて大規模な海軍力を展開しようとする際には,一部は同盟国に頼らざるを得なかったのである.
エカテリーナ二世の治世に,ロシアの外洋戦隊はバルト海から東地中海へと派遣され,オスマンの艦隊を撃破すると共に,その海上輸送網を破壊した.
しかし,イギリスの補給面での援助がなかったら,地中海に到達すらできなかっただろう.
もっとも,エカテリーナの治世に帝政ロシアの海軍力は,相対的にはおそらく頂点に達していた.
アメリカ独立戦争の最中の1780年に中立航行権をイギリスに受け入れさせるのに,ロシアの艦隊が指導的な役割を果たしたほどである.
しかし19世紀になると,ロシアにとってそうした役割は望むべくもなかった.
1905年にバルト艦隊がわざわざ世界中を回って結局は対馬で敗北したとき,海軍大国としてのロシアの弱点は全て白日の下に晒された.ドイツやフランスの援助がなかったら,艦隊は極東まで辿り着けなかっただろう.航海の途中に適切な基地がなかったことも,バルト艦隊が到着したとき,戦うにはあまりに不充分な有り様だった理由の一つである.
いずれにせよ,バルト艦隊が日本海に到着したときには,わざわざ艦隊を送る戦略的に正当な理由は既になくなっていた.
バルト艦隊が太平洋艦隊を増援する前に,既に太平洋艦隊は日本海軍に敗北していたのである.
Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)下巻,p.123
提督は有能なのを輩出してるんだがなあ…….
ツキもないように見えるなあ…….
【質問】
ロシア海軍の記念日は?
【回答】
7月最後の日曜日.
この日には各地で記念行事が開催され,太平洋艦隊でもウラディヴォストーク沖で展示訓練が行われる.
正確に言うと,ソ連邦時代に「7月最後の日曜日を"海軍記念日"とする」法律が制定され,ソ連邦崩壊後も,それがそのまんま続いているんだね.
「ロシア海軍」が「創設」されたのは,1696年10月なんだけど,ソ連邦時代には,このコトは無視された.何せ,海軍の創設を命じたのがピョートル大帝だったので,ソ連邦にとっては都合が宜しくなかったと思われ.
それで,1996年は「ロシア海軍創設300周年」に当たる年だったが,創設記念式典は「7月最後の日曜日」に各地で行われるという奇妙なコトになってしまった(笑)
当然,ウラジオストクでも盛大に創設記念式典が行われ,日本からは,ヘリコプター護衛艦しらねが招待された.
ちなみに,(ウラジオストクの)記念式典のオープニングは,ビキニ着たねーちゃんのダンスで始まっている(笑)
2006年のウラディウォストークにおける海軍記念日式典の様子は以下の通り.
スポーツ湾の沖合に潜水艦,ミサイル駆逐艦,フリゲイト,揚陸艦,掃海艇,ミサイル艇など計10隻が停泊し,フェドロフ太平洋艦隊司令官の観閲に続いて,恒例のミニ演習や歴史劇が市民に披露された.
「世界の艦船」2006年10月号,p.132
| その他のロシア軍関係の記念日 | |
| 1月1日 | 元日 ★休日 自分の誕生日に次ぐ一番大切な祭りの一つ |
| 1月7日 | ロシア正教のクリスマス (旧暦クリスマス) ★休日 |
| 1月13〜14日 | 旧暦正月 |
| 2月23日 | 祖国守り手の日(旧「ソビエト軍の日」) |
| 2月2週目の日曜日 | 「アエロフロート」航空会社の日 |
| 3月1日 | 国民防衛の日 |
| 4月12日 | 宇宙飛行の日 |
| 4月2週目の日曜日 | 防空軍の日 |
| 5月1〜2日 | 「春と労働の日」 (旧メーデー) ★休日 現在では軍事パレードはなし |
| 5月9日 | 独ソ戦争勝利記念日 ★休日 |
| 5月28日 | 国境警備隊の日 |
| 6月12日 | ロシア独立記念日 (ロシア初代大統領選挙の日) ★休日 |
| 7月1週目の日曜日 | 海洋・河川船団の日 |
| 7月最後の日曜日 | 海軍の日・海の日 |
| 9月2週目の日曜日 | 戦車兵の日 |
| 11月7〜8日 | 「和解と調和の日」 (旧10月社会主義革命記念日) ★休日 現在では軍事パレードはなし |
| 11月10日 | 警察の日 |
| 11月16日 | 海兵隊の日 |
| 11月19日 | ミサイル部隊と砲兵隊の日 |
| 12月25日 | カトリックのクリスマス |
小林和男著「ロシアのしくみ」(中経出版,2001/7/9),p.216-224
Russian Dancer


【質問】
サブマリン・デーとは?
【回答】
ロシア海軍が1996年に定めたもので,毎年3/19に各基地でパレード,勲章授与などのセレモニーを実施している.
他にもロシア海軍は「航海士デー」「海軍歩兵デー」なども制定している.
慢性的な予算不足の中,士気の維持を図るためだという.
ソースは,「世界の艦船」2005年6月号,p.134.
「サラダ記念日」はさすがに制定してはいないようだ.
【質問】
第二次世界大戦までの近代ロシア海軍の実力は,どの程度のものだったのでしょうか?
【回答】
1855〜1881年
海軍近代化がゆっくり進展.
帆走艦は汽走艦となり,木造艦は鉄製・鋼製艦へと転換し,装甲艦が発達した.ただし,まだ帆走設備も重視されていた.
沿岸防御用の艦が多かった.
艦艇の増強はバルチック艦隊中心に行われ,黒海艦隊は,仮想敵国のトルコ海軍が弱体だったため,整備はあまり進まなかった.
やっぱ,ライバルが強くないと,自分も強くならないよね.
1880年代
艦艇建造のピッチ上昇.
沿岸防御と通商破壊のための艦艇が増強.英仏に比べて若干小型の戦艦や,航洋性の高い装甲巡洋艦が多数作られた.ま,ロシア海軍としては常識的な選択だね.
黒海艦隊整備も急速進展.
1890年代〜日露戦争前
この頃からオーシャン・ネイビー指向に転換.
旅順,大連を租借して,太平洋艦隊の整備を開始.不凍港確保はロシア帝国の悲願だしね.
防護巡洋艦,駆逐艦,潜水艦も多数増強.潜水艦は日露戦争では全然活躍しなかったけど.
ここまでのソースは「世界の船 1981年版」(朝日新聞社,1981/7),p.14-17より.
日露戦争
太平洋艦隊は旅順からの砲撃で壊滅.
対馬沖でバルチック艦隊も壊滅,もうだめぽ.
第1次世界大戦
バルト海の戦力は戦艦4,装甲巡洋艦6であり,ドイツ海軍に対して著しく劣勢だったが,前弩級戦艦スラヴァなどが善戦したものの,革命によりロシア海軍は機能不全に陥った.
主に潜水艦隊を拡大したが,海軍の士気は低くだめぽ
日露戦争後に艦隊の再建を進めていたが,ロシア革命でご破算.
革命に介入したイギリス海軍により,さらに損害を受けた.
内戦で戦艦の多くは破壊されたり建造中止になったりした.
その後も,金のかかる艦隊の建造は進まず,戦艦は老朽艦ばかりになった.
第2次世界大戦
スターリンの命令で,第二次大戦開戦直前にソヴィエツキーソユーズ級という超弩級戦艦を中心とした大建艦計画を進めていた.
しかし,当時のソ連の技術では主砲が作れず,実現不可能だったとも言われている.
巡洋艦や駆逐艦はそれなりの数を作っていたが,大粛清で指揮官の人材が払底してしまった.
独ソ戦開戦直後に建艦計画は中止,資材は陸戦兵器の製造に回された.
バルトではスターリンの命令でクロンシュタットにひきこもり,黒海でもほとんど出撃していない.
余った水兵は,海軍歩兵として地上で戦ったが,彼らは勇猛で士気も高かった.
ソ連海軍歩兵

第2次大戦後の海軍歩兵




【質問】
ソ連海軍の1960〜70年代の常備作戦行動の主要原則は?
【回答】
(1)脅威の最も高い部隊への,常備作戦任務部隊の集中
(2)仮想敵海軍の主要攻撃部隊の常備偵察および追跡
(3)常備作戦任務部隊増加のための予備部隊の編成と演練
(4)戦略環境の変化に応じた部隊編成と戦術の作成
(5)常備作戦任務部隊の支援態勢の確立
(6)常備作戦任務部隊,予備部隊,陸軍,空軍による共同作戦の演練
詳しくは「世界の艦船」2005年7月号,p.82(A.
V. Polutov著述)を参照されたし.
「仮想敵の常備偵察および追跡」の図

【珍説】
国家予算の40%を使って作り上げた海軍は,共産主義経済を世界に広め,国家に富をもたらすシー・パワーの性格を持っていなかったのである.
(橋本金平〔元一等海佐〕 from 「世界の艦船」2004年10月号,p.75)
【事実】
それじゃ,旧ソ連の国家予算は対GNP比5パーセント以下だったのか?(笑)
ソ連の国家予算は,
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we88-2/wp-we88bun-11-5h.html
1987年度で歳出総額4355億ルーブル,国防費202億ルーブル.
http://www.diplo.jp/articles00/0009-2.html
「80年代初頭,"ソ連軍"の予算は約2500億から3000億ドル,つまり国家歳入の半分以上にのぼっていた.」
旧ソ連のGNP
http://www.s.fpu.ac.jp/u-abcpage/injapanese/Data/data-6.htm
軍事支出額は,だいたい対GNP比10パーセントていど.
http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S58/1-2-22z.htm
これらの数値からも,「国家予算の40%を"海軍"で使った」などと言うのは無理が有るんじゃないの?(笑)
「軍事費の」40%とでも言うのなら,まだしも説得力が有るかもしれないけどね.
【質問】
ロシア海軍の展望は?
【回答】
一時は深刻な状況だったが,ようやく夜明けが見えてきた,かも.
ジェーン軍艦年鑑 2003-2004 によれば,
「2012年から全志願兵制というが,人口統計からも経費的にも無理.
これらが解決したとしても,今のロシア海軍に魅力なし.
バルチック艦隊2002年1〜8月の事故は,前年同期の3倍.事故による死亡者数は50%増.
多くの志願兵が自殺と報じられている」
(藤木平八郎 from 「世界の艦船」,海人社,2003/10,p.144-145)
最近は,多少は「景気が上向き傾向」に転じている模様.
去年(2004年)の暮れに.新型揚陸艦が起工されたし,今年(2005年)になってからは,
ソヴレメンヌイ級駆逐艦などを代替する「八千トン級フリゲート」の建造計画が発表されたし(一番艦は今年起工予定)
さらには,「新空母」の計画も発表された.
ちなみにこの「新空母」,2010年までに設計案をまとめて建造開始,2016年に竣工して北方艦隊配備,2番艦も続けて起工し,こちらは太平洋艦隊に配備するそうな.
計画が順調に進めば,十数年後には,はるばるヨーロッパ方面から回航され,対馬海峡を抜けてウラジオストクに向かうロシア海軍新型空母の姿が拝めるね.
せいぜい,それまでは長生きしましょうや,皆さん.
【質問】
現在のロシア海軍将兵の士気・技量は?
【回答】
2004年現在,非常に深刻な状況にあるという.膨大な数の劣悪な艦艇を押し付けられ,基地の施設は不適切な状態で,整備はしばしば行われないも同然.乗員の訓練も貧弱であるため.
以下引用.
2004年3月30日のモスクワ・タイムズの記事を引用すると,
「……我が国は今や,膨大な数の劣悪な艦艇を押し付けられて,平時の海軍任務の遂行を求められている.
基地の施設は不適切な状態で,整備はしばしば行われないも同然である.
乗員の訓練も貧弱で,それは水兵に限らず,士官までも同じ状態である」
「プロフェッショナルな訓練を施されるどころか,殆どの水兵は他だ,苛酷な環境の中で生き延びることに必死になっている.
(この状態が)10年以上も放置されてきた結果,現役に留まっている将校の多くは,単にどこか他のところでましな職が見つからなかった者か,国から家賃なしのアパートを貰うまで時間を稼いでいる者になっている」
ロシアは徴兵制を敷いているが,それでも軍務は兵役年齢の若者に人気がなく,人員の不足も厳しい.軍内部の腐敗や,給料の安さや遅配,訓練の不足,それに恩恵の無さが知れ渡っているためである.
1990年代末の数字と思われるが,ロシア軍全体での充足率は約60%と言われ,極東部の一部の部隊では,水兵の徴兵率が10%かそれ以下になっているという.
太平洋艦隊では,水兵のおよそ50%が中学校を卒業しておらず,20%近くは犯罪の前科があるという指摘もある.
軍内部での犯罪や事故も多く,2004年上半期だけでロシア軍全体で180人が犯罪や事故,あるいは自殺で命を失っている.
(岡部いさく from 「世界の艦船」2004年12月号,p.144-145)
【質問】
ロシア海軍は再び沿岸海軍に戻ってしまうのか?
【回答】
その懸念はある.水上艦勢力は大幅に減勢しつつあり,揚陸艦艇も同様.最近,ようやく代替艦の計画が出てきたばかり.
以下引用.
潜水艦と同様,水上艦も厳しい状態に置かれている.
かつて冷戦時代にはアメリカ空母戦闘グループへの長距離ミサイル攻撃を任務として,大きな努力を払われて4隻が建造されたキーロフ Kirov 級原子力ミサイル巡洋艦は,現在は北洋艦隊のピョートル・ヴェリキー Pyotr Velikiy ただ1隻が可動状態に残るのみとなっている.
このピョートル・ヴェリキーも整備状態はかなり悪いらしく,2004年3月にはロシア海軍総司令官のクロイェドフ提督が,
「いつ爆発してもおかしくない」
と評したことが報じられている.
もちろん,この発現はかなり誇張したもので,クロイェドフ提督の「放言」に近く,実際にはそれほど危険な状態であったと言うわけではないらしいが,クロイェドフ提督はピョートル・ヴェリキーを視察し,「戦闘可能状態」リストから除外して,3週間に渡ってドック入りして修理することを命じたといわれる.
このピョートル・ヴェリキーを除けば,ロシア海軍で最も強力な打撃力を備えるのは,スラヴァ Slava 級ミサイル巡洋艦3隻で,モスクワ Moskva とマーシャル・ウスチノフ Marshal Ustinov の2隻は,1990年代末から2000年にかけてなんとかオーバーホールを終えている.
太平洋艦隊所属のワリヤーグ Varyag は,これまでのところオーバーホールを受けておらず,定数以下の乗員でなおも現役に留まっている状態にあるという.
駆逐艦ではソブレメンヌイ Sovremenny 級10隻とウダロイ Udaloy II 型1隻,ウダロイ級9隻が一応現役にあるが,ソブレメンヌイ級は2隻が不可動状態になっているとされる.
現在も現役艦籍にあるソブレメンヌイ級でも古い艦は艦齢が20年近くに達しており,ウダロイ級はそれよりもなお古い.
現在のロシア海軍の状況からすると,今後5年から10年の間に多くの艦が退役,あるいは不可動状態になることと思われる.
しかしながら,これら大型水上艦の代替となる間の建造計画はなく,ロシア海軍の巡洋艦・駆逐艦はいずれ大幅に勢力を減じることとなるだろう.
〔略〕
駆逐艦以上の大型艦の現状と,建造計画の不在から考えると,将来のロシア海軍からは外洋作戦用の大型水上艦は殆ど姿を消し,小型の沿岸作戦用のフリゲイトやコルベット,警備艇,それにある程度の潜水艦が主力になっていくと考えられる.
かつてソ連時代にゴルシコフ海軍総司令官が目指した,ブルー・ウォーター・ネイビーの夢は冷戦後期の夢と消え,それ以前の伝統的なソ連海軍のあり方に回帰しようとしているように見える.
ゴルシコフ提督の外洋艦隊構想の象徴,あるいは忘れ形見ともいうべき存在が,ロシア海軍唯一の空母,アドミラル・クズネツォフ Admiral Kuznetsov である.
さすがに一応健在ではあるが,その機関については不調が伝えられており,1991年に就役して以来,すでに3回もボイラーのチューブ交換を行い,現在もまた機関の大規模修理の必要に迫られていると言われる.
当然,行動もあまり活発ではなく,搭載戦闘機のスホーイ Su-33の性能は世界一流ではあるものの,果たして空母運用に充分な経験を重ねているのか,乗員や航空部隊の訓練は順調なのか,傍目でも不安に感じられる.
今のところクズネツォフはロシア海軍の威信を示す艦としての地位を保っているが,その機関の問題が,予算不足によって解決困難となってくると,早期退役という可能性も持ち上がってくるかもしれない.
ロシア海軍が空母の使い道や運用技術を確立しないと,随伴する大型水上艦勢力が減少していかざるをえない以上,アドミラル・クズネツォフの存在意義が失われていくことともなるだろう.
艦隊の外洋行動能力を支える洋上補給能力は,ソ連時代から既に弱体が明らかであったが,現在はそれよりもさらに衰えている.
ソ連/ロシア海軍唯一の高速洋上補給艦であったベレジナ Berezina は,1990年代初期から不可動状態にあり,洋上補給は比較的低速で,しかも民間人の乗員によって運用される補給艦で行わなくてはならない.
同じく揚陸戦能力もソ連時代から決して強力ではなかった.
大型の揚陸艦,イワン・ロゴフ Ivan Rogov 級3隻は既に2隻が退役し,北洋艦隊のミトロファン・モスカレンコ Mitrofan Moskalenko だけが現役に留まっている.
それより小型のLSTとして,ロプーチャ Ropucha I/II型が19隻ほどあるが,艦齢は28〜13年で,初期の艦はそろそろ退役時期が近付いているはずだが,もちろん代替艦の建造予定はない.
ロシア海軍には大規模な兵力を上陸させる能力はもはやなく,将来もおそらく持つことはないだろう.
〔略〕
海軍の揚陸艦艇能力が僅かなものでしかないロシアは,大国でありながらパワー・プロジェクション能力も極めて限定されたものとならざるをえない.
北朝鮮の核兵器開発が懸念されるようになると,ロシア太平洋艦隊司令官が私見として,北朝鮮の核兵器が脅威となった場合には,ミサイル巡洋艦ワリヤーグのSS-N-12対艦ミサイルで核施設に先制攻撃を行うことも考えるといった発言をしたと報じられたことがある.
その真偽や,太平洋艦隊司令官の真意は不明だが,ロシア海軍がパワー・プロジェクションを行うには,そのような乱暴な手段しかないのが実情であろう.
〔略〕
さらに昨年より,チェチェン紛争の長期化に伴って,ロシア国内や周辺でのテロリズムが増加し,多くの一般市民が死傷して,ロシア社会の同様も小さくない.
2004年9月の北オセチア共和国での学校占拠事件で,児童を含む300人以上が死亡したことを受けて,ロシアは今や対テロリズムの戦争状態にあると発言した.
大陸国ロシアの対テロ戦争の主力は,陸軍の特殊部隊や各治安機関が担うことになり,海軍の艦隊にできることは殆どない.
国防予算もテロリズムとの戦いに多くが注がれることになり,それはまた海軍予算を圧迫するだろう.
ロシア海軍の明日は,今日よりもさらに暗くなることはあっても,明るくなる可能性は低いようである.
(岡部いさく from 「世界の艦船」2004年12月号,p.143-144)
救いは昨今のロシア経済の好調振りか.
また,去年(2004年)の暮れに新型揚陸艦が起工された,今年(2005年)になってからは,ソヴレメンヌイ級駆逐艦などを代替する「八千トン級フリゲート」の建造計画が発表された(一番艦は今年起工予定)という情報もある.
なお,岡部は本稿において,「艦艇保有隻数,配備艦隊,可動状況などは"Combat
Fleets of the World 2002-2003によった」としており,ロシアを見下したがる,いわゆる「アメ公視点」が混入している可能性があるので,その点は留意されたし.
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「機関の問題」は,何度も書いているように,1990年代後半に放置状態に有ったため.
というか,この号(「世界の艦船」2004年12月号)が出た頃,「不調」のアドミラル・クズネツォフは,「機関の大規模修理」をとうに終え,北大西洋で演習を行っていたかと思うと・・・(笑)
「世界の艦船」2004年12月号からの引用が多いようだが,この号が出た後で,(ロシア海軍にとって)景気のいい話が続々と出てきたんだよね.
かの2ちゃんねる軍事板のロシア海軍スレッド――ソ連海軍スレッドとは別に存在――では,「(この号の特集は)間が悪かった」と言うのが大方の見方だけど,オラもそう思う(笑)
Petr Veliki

【質問】
ロシア海軍の階級について教えられたし.
【回答】
上から
元帥
大将
中将
少将
大佐
中佐
少佐
大尉
中尉
上級少尉
下級少尉
下士官以下は(1)艦艇乗員,(2)陸上部隊・海軍航空部隊,(3)海軍歩兵とで違いがある(……何故に?)
(1)艦艇乗員
兵曹長
上等兵曹
1等兵曹
2等兵曹
水兵長
水兵
(2)陸上部隊・海軍航空部隊
曹長
上級軍曹
軍曹
初級軍曹
水兵長
水兵
(3)海軍歩兵
曹長
上級軍曹
軍曹
初級軍曹
伍長
兵卒
ただし,上記のソースは
『ソ連海軍』(海人社,1987/9/15)
『ソ連海軍事典』(ノーマン・ポルマー編著,1988/12/1)
と古い上に,後者はノーマン・ポルマーの著作なので,その点は留意されたし.
まあ,政治体制が変わったからといって階級制度まで大改定するという無駄なことをやるとは思えないが.
消印所沢
ちなみに,ロシア海軍における佐官の階級を直訳すると「一等艦長」「二等艦長」「三等艦長」になります.
コンスタンチン・ミトキン氏は「カピタン・1ランガ」(一等艦長)です.
むしろ「大佐」よりも「一等海佐」の方が原語のニュアンスに近いでしょう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/15(日) 午後 5:18
【質問】
ロシアの北極海大陸棚戦略は?
【回答】
2007/8/2に,ロシアの深海潜水艇「ミール1号」と「ミール2号」が北極点付近の海底調査を行い,サビに強いチタン製のロシア国旗を北極点付近の海底に立てているが,これは佐藤優ブログ,2007/8/22付によれば,ロシアが北極海大陸棚開発を本格化しようとしているためだという.
これは地球温暖化の影響が北極圏にもおよび,北極圏でのライフ・コストが相対的に低下してきているためだという.
そして北極海に面したヤマール半島に大量の天然ガスが埋蔵されていることから,北極海大陸棚にも石油・天然ガスが発見されるのではないかと期待されているという.
そして佐藤は以下のように提言している.
[quote]
アメリカ,カナダ,ノルウェー,デンマーク(グリーンランドを領有する)はロシアを牽制(けんせい)してくるだろう.
そのとき日本がロシアの立場を支持し,北極海のエネルギーを確保するとともに,北方領土を日本に返還させるのだ.
この取引ならばロシアが乗ってくる可能性がある.
日本としても損はない.
[/quote]
詳しくは同ブログを参照されたし.
▼ 事実,2008/7/14付,ノーボスチによれば,
「ロシア海軍は,ノルウェーが所有している北極海群島のスピッツベルゲン周辺での軍事的プレゼンスを再開した」
との声明を海軍は発表,
既に大型対潜艦セヴェロモルスクが同水域に入っており,7月17日からマルシャル・ウスチノフ(ロシアのスラヴァ級ミサイル巡洋艦)が合流するだろうと発表した.
ブログ「ロシア・ソ連海軍」,2008/7/14付(画像も)によれば,それに先立つ4月,ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキーは,ロシア連邦国家漁業会社代表アンドレイ・クラウニィからの要請を受けて,ロシア漁業会社のスピッツベルゲン島周辺における漁期間中,北方艦隊の艦艇の存在による「精神的支援」を約束しているという.
http://www.severnyflot.ru/news.php?extend.1234
>ウラジーミル・ヴィソツキー氏は,有言実行タイプの人物のようです.
と同ブログは述べている.



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◆◆海上国境警備局
【質問】
ロシアの国境警備局は,依然としてソビエトのときそのままのドクトリンで動いてるのでしょうか
?
【回答】
国境警備局はソ連時代にはKGBの元にありましたがソ連崩壊でKGBは解体され,一時期,大統領府直轄の国境警備庁となりました.
さらにその後,国境庁となりKGBの後を引き継いだ連邦保安庁(FPS)に移管され,現在は連邦保安庁国境警備局となっております.
領海侵犯の取り締まりは
「ロシア国境法に基づき」,「ロシア大統領直属の国境警備局所属の国境警備隊が担当する」(読売新聞99.5.3)
ことになっています.
彼らは
「有事にあっては海軍として活動する準軍隊的機関であり,装備も人員も海軍と共通性を維持している」(同)
そうです.
最近は,海上保安庁と頻繁に合同訓練を行って連携の度合いを進めており,追跡時の銃撃も本日まで6年間実施されておりませんでした.
2006年8月に,50年ぶりに銃撃による死者が発生したのは残念ですが,偶発的な事故の可能性が高いかもしれません.
【質問】
ロシア国境警備局では,領海侵犯に対し,どのような段取りで臨んでいるのか?
【回答】
報道によれば.容疑船が逃走を続けた場合,
停船命令
↓
事前通告の後,警告射撃
↓
船体射撃
という順番で警備行動が行われるという.
以下引用.
不法侵入した船が停船命令を無視した場合は,無線により事前通告した後,船舶周辺に3回の警告射撃を実施する.
なお無視して逃走を図る場合には船体射撃を認めている.
武器使用の権限は,現場指揮官の裁量に委ねられている.
【質問】
国境警備局は,どんな艦艇を保有しているのか?
【回答】
国境警備局は,日本の海上保安庁に当たる部局で,クリヴァク
Krivak V型フリゲイトと2種類の哨戒艇,ポーク
Pauk 型とスヴェトリャク Svetlyak 型を保有している.
クリヴァクV型は,後部に対潜ヘリコプター1機を収容する格納庫と飛行甲板を設け,前甲板の対潜ミサイル発射機を100mm単装砲1基に改めたタイプ.
1984-93年に9隻建造されたが,ウクライナに2隻譲渡.
残る7隻が全て国境警備局に属している.
| 満載排水量 | 3.650t |
| 全長 | 123.5m |
| 主機 | COGAG |
| 速力 | 32ノット |
| 兵装 | SA-N-4 短SAM連装発射機1基 100mm単装砲1基 ヘリコプター1機搭載 |
ポーク型は,1979-92年に同型46隻が建造されたが,海軍には一隻も残っておらず,現役にある18隻は全て国境警備局所属.
対潜重視の設計で,艦尾に大型のVDSを有するのが特徴.
| 満載排水量 | 440t |
| 全長 | 57.6m |
| 主機 | ディーゼル |
| 速力 | 32ノット |
| 兵装 | 76mm単装砲1基 30mm CIWS 1基 406mm魚雷発射管4基 |
スヴェトリャク型は,1988年から建造が始まった汎用型哨戒艇.現在までに約40隻が就役,この内23隻が現役にあるが,海軍に籍を置いているのは3隻のみで,残りは国境警備局に所属.
| 満載排水量 | 375t |
| 全長 | 48.5m |
| 主機 | ディーゼル |
| 速力 | 31ノット |
| 兵装 | 76mm単装砲1基 30mm CIWS 1基 406mm魚雷発射管2基 |
以上,データは「世界の艦船」2004年12月号,p.33 & 36より.
このスヴェトリャク Svetlyak 型警備艇の場合,海軍型とは兵装が異なる.
前部の76mm単装砲を30mm多銃身機銃に変更し,指揮装置も簡略化した,いわば国境警備局仕様である.
「世界の艦船」2005年1月号,p.15
という.
それでも,海上保安庁と同等の役所にしては,艦艇の性能が強力じゃないかと思うのは当方だけ?
まあ,海軍予備兵力も兼ねているんだろうが.
プロジェクト97P

プロジェクト745

プロジェクト1135.1

【質問】
北方領土周辺海域を巡回してるのはちっちゃな警備艇でしょうか?
それとも日本の巡視船のようなものでしょうか?
【回答】
おそらく
Svetlyak型(満載排水量:375トン,兵装:76mm単装砲1基&30mm機銃1基もしくは30mm機銃2基,魚雷発射管2門など)
もしくは
Pauk型(満載排水量:440トン,兵装:76mm単装砲&30mm機銃,魚雷発射管4門など)
ひょっとしたらPrimoryeかもしれない.
前者二つはある程度の対潜能力もある魚雷艇,最後のは武装曳船だ.
ただ,最近のSvetlyak型は武装も簡易化され,より巡視船っぽくなってる(塗装も青と白).
軍事板
警備艦「ヴォロフスキー」も同海域の哨戒を行っている.
同艦はクリヴァクIII型(プロジェクト1135.1)フリゲイトの7番艦で1990年12月29日就役.
(ウクライナ共和国ケルチ市のカミシュ・ブルン造船所で建造)
1991年9月,ペトロパヴローフスク・カムチャツキーに配属.
満載排水量3,670t,全長123.5m,速力32ノット
兵装:
オーサM短距離対空ミサイル連装発射機×1
100mm単装砲×1
30mmガトリング砲×2
533mm4連装長魚雷発射管×2
RBU-6000対潜ロケット爆雷12連装発射機×2
搭載機:Ka-27ヘリコプター×1
日本で言えば,だいたい「はつゆき」型護衛艦(DD)に相当するフネになるかな.


シア・クァンファ in mixi
【質問】
なぜサハリンの密漁取り締まりが強化されるようになったのか?
【回答】
税収やマフィア対策,さらに「強い指導者」イメージのため,
「日本の国境」の著者,山田吉彦氏が解説する.
「今年5月からプーチン大統領は,サハリン州での密漁の取り締まりを強化しました.
その理由は,漁業を政府が管理して税収を上げる事,サハリン開発で外国からの投資を呼び込むためには,マフィアの存在が邪魔なことが上げられます.
さらに言えば,こうしたマフィアとの対決姿勢は,プーチン大統領の強い指導者<Cメージに欠かせない政策なのです」
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.28
◆◆◆第31吉進丸銃撃・拿捕事件
【質問】
第31吉進丸銃撃・拿捕(だほ)事件とは?
【回答】
2006年8月16日,北方領土海域で日ソ中間線を越え,密漁中だった,北海道根室市の漁船「第31吉進丸」が,ロシア国境警備艇から銃撃,拿捕された事件.
船員の盛田光広が死亡.北方領土海域で銃撃による日本人漁民の死者が出たのは50年ぶり.
坂下登船長ら3人が刑事訴追された.
吉進丸は,同漁協組合長でもある坂下船長=根室市温根沼=の所有船.16日午前0時に花咲港を出港し,同10時に帰港する予定だった.
ソースは各紙報道より.

【質問】
なぜ漁船は銃撃されたのか?
【回答】
報道によれば,「悪質」ケースだからだと言う.また,死者が出たのも意図的な対人射撃のためではなく,流れ弾に当たった可能性が指摘されている.
以下引用.
【モスクワ杉尾直哉】
〔略〕
同保安庁中央広報センター(モスクワ)のシバエフ副部長は16日,毎日新聞に対し
「漁船は7月20日からロシア領海内で密漁を繰り返していた.今回は国境警備隊の巡視船が待ち構えていた」
と語った.
また,副部長は吉進丸を発見した状況について
「拿捕船は標識を掲げず,灯火を消していた.
国境警備隊はロシア語,英語,日本語で停止を求めたが返答はなく,(吉進丸が)警備隊の巡視船から出したゴムボートに漁船を体当たりさせようとしてきた」
と指摘.
警備隊が警告の照明弾を上げるとカニかごなどを海に捨て逃走したため,吉進丸の前方へ向けカラシニコフ銃で警告発砲したという.
副部長は「暗闇の中,波に揺られての発砲だったため,(乗組員に)流れ弾が当たった可能性はある」としている.
〔略〕
また,日本漁船の操業の実態は「日本の巡視船に気付くと中間ラインにまで戻る」というきわどいもの.
1割は無許可操業.
毎日新聞,2006/8/17?
В трюмах шхуны находились 25 ловушек на краба, 10 килограммов осьминогов и, по разным данным, то ли три тонны, то ли 30 килограммов живого волосатого краба.
(船倉では、25のカニ籠、10キロのマダコ、30キロの活きた毛ガニを発見)
http://lenta.ru/articles/2006/08/16/victim/
3人の乗組員は違法に操業を行ったことを認めているという.
サハリン沿岸警備局によると,この時期二国間協定上北方領土周辺海域で漁獲が禁止されているかにが日本漁船中で発見されたと伝えた.
International Business Times(08/1710:34)
〔略〕
ロシア・サハリン州ユジノサハリンスク国境警備局のミハイル・シェフチェンコ局次長は16日,読売新聞の取材に対し,
「国籍不明の船がロシア領海で停船命令に従わなかったので警告射撃を行った.日本漁船とみられるが,航行中に無灯火で標識も掲げていなかった」
と発砲の理由を説明した.
局次長によると,事件は同日未明,水晶島付近で起きた.
「停船せず,(国境警備局の)小型艇に体当たりしてきた.
船の進路,船尾,上方に向けて射撃したが,船体に向けては発砲しておらず,漁船に貫通痕も損傷もない」
と説明した.
〔略〕
読売新聞,2006年8月16日12時19分
<露漁船銃撃>「要注意船」と監視 組合長所有を認識か
ロシア警備艇に銃撃された吉進丸が,ロシア連邦保安庁サハリン沿岸国境警備局に「要注意船」としてマークされていたことが分かった.
銃撃が偶発的でない可能性も出てきた.
警備局は,吉進丸が根室湾中部漁協の組合長の所有船であることを認識したうえで,「越境操業の常習犯としてマークしていた」という.
ロシア側はモスクワで日本人記者,ロビイストにシグナルを出している.
筆者のところにもクレムリン(大統領府)関係者から以下のメッセージが入ってきた.
「『第31吉進丸』は過去に3度も拿捕(だほ)されている.しかも国境警備隊の追跡から高速で何度も逃亡している.吉進丸船長の無遠慮さに国境警備庁がついに堪忍袋の緒を切ったということだ.
通常,警告の銃撃は相応の武器で行われる.
また,機関銃ではないし,波の上を走るゴムボートからでもない.
通常なら威嚇射撃は違反船の,後ろではなく前から警備船から行われる.
だからといって,日本の密漁者たちの行動が正当できるわけはない.
ただし,ロシア発の情報であるため,その点は割り引いて聞く必要はあるでしょう.
しかしもし本当だとすると,日本政府としても抗議しようにも困るでしょうね.「日本政府は悪質な密漁者の味方をするのか!」と逆襲されるだけですから.
ちなみに海上保安庁の巡視船では,流れ弾による「誤射」を防ぐため,精密な自動コントロール装置つきの機銃を持ったものが登場しています.
つまり,それだけ洋上射撃は難しい,ということ.
【質問】
同海域ではこれまで何件の銃撃事件が発生しているのか?
【回答】
12件,死者1名.
以下引用.
北方四島に囲まれた好漁場の「三角水域」は1986年全面禁漁.
根室海上保安部が把握している拿捕・銃撃事件は,1950年3月から91年(ソ連崩壊)までの41年間でわずか12隻.いずれも弾は「信号弾」だった.東西対立の緊張の中でソ連国境警備隊は「極めて慎重」だったようだ.
1991年12月25日ソ連崩壊.民主国家ロシアになると状況が一変する.93年には1年間で銃撃事件が4件,信号弾は銃弾へと切り替わり,拿捕数12隻と急増した.
ロシア保安省に所属していた国境警備隊は,ソ連崩壊後,所管が大統領直属の連邦国境警備局に切り替わった.
93年には軍人出身の総司令官が就任し,「密猟者には発砲も辞さない」と方針決定.
ロシア警備隊は94年1月,根室海上保安部に対し,
「今後日本漁船による領海侵犯操業に対しては,ロシア国境法に基づくすべての権限を行使する」
と非公式に通告を行った.これは銃撃も辞さないことを意味し,異例の警告.
1995年4月15日付のロシアのインタファクス通信は,国境警備局補佐官のインタビューを載せた.
「93年日本の密猟者が7,500回国境(千島諸島)を侵犯した.密猟者による被害は93年だけで1億5,000万ドルにのぼる」と.
強硬路線に変わった背景には,体制崩壊後の混乱で警備隊の活動が停滞.それに乗じた越境操業が頻発したことも一因.
その根拠として,根室海上保安部によるロシア警備艇の視認回数が挙げられるが,92年は91年の3分の1に,93年は4分の1に激減したという.燃料不足.
毎日新聞,2006/8/17?
まあ,確かにゴルバチョフ時代〜エリツィン時代はロシア経済がドン底だったからね.
そういうときに,1億5,000万ドル分も盗まれちゃ,そりゃ頭にも来るだろう.
もっとも,密漁に関してはロシア側でもかなりの横行があると推測されている.
以下引用.
日本からの輸出は自動車,家電,電気機械が代表的で,また,主な輸入品は魚介類,木材,アルミニウム・アルミ合金などです.
魚介類はその半分が主に北海道に水揚げされるカニなど甲殻類ですが,興味深いのは魚介類の日本側の輸入統計とロシア側の輸出統計の間に大きな隔たりがあることです.
日本が国内に入ったとする魚介類が,ロシア側が出したとする統計より7倍程度も多いのです.
これはロシア側の漁業者が通関を通さず,海で漁獲したものをそのまま日本に持ってくるからに他なりません.
北海道近海ではロシアの漁船による密漁が横行し,カニなどの水産資源が乱獲されていると指摘されていますが,こうした密漁が日露貿易の中でもかなりの位置を占めているというのは不健全と言わざるをえません.
小林和男著「ロシアのしくみ」(中経出版,2001/7/9),p.100
ただ,軍人出身の総司令官就任云々は,あまり関係ないと思われる.
それまでだってKGB傘下だったりしてるわけだからね.
なお,上記記事内の死者についてだが,こんな噂もある.
日本の漁船がロシアの警備隊に撃たれて死者が出たのは50年ぶり.
だが,その間に拿捕された漁船の船長や船員がロシア(ソ連)拘留中に怪死≠オた事件が過去7件もあったことは知られていない.
1976年に根室市の刺し網漁船の選手が色丹島の収容所で首吊り自殺≠オ,93年には羅臼の「第23久栄丸」の船長が,ユジノサハリンスクの拘置所内で自殺≠オた.
それ以前に起きた5件については,北海道新聞が93年時点で海上保安庁第1管区海上保安本部に確認した数字であるが,本誌が改めて確認を取ったところ,
「現在は公表していない」(第1管区広報課)
と,完全に封印≠ウれている.
北海道新聞記者で「密海の海で」の著者,本田良一氏が語る.
「93年の久栄丸船長の自殺には不可解な点が多い.
当時,道新の記者がサハリン州検察庁に取材すると,検事長は
『ベッドの手すりに巻きつけたシーツで首を締めた』
と説明し,遺体引き取りに同行した羅臼町幹部は,ロシア側から,
『拘置所の部屋の窓に首を吊っていた』
と聞かされている.
関係者の証言が食い違っており,疑問が拭えない」
ロシアは久栄丸を蟹の密輸容疑で拿捕した.
だが,日本の捜査当局の調べでは,船長らはロシア国境警備隊と通じて,ロシア漁民が獲った蟹を洋上で買い取る取引を行っていた疑いが強いという.
現地の裁判では,密輸事件と警備隊との繋がりについては一切触れられておらず,警備隊の密輸・密漁への関与を知る立場にあった船長は,口封じ≠フために帰らぬ人になったという見方がある.
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.26-27
この記事の「口封じ」については,あくまで噂レベル以上のソースが示されていないので,念のため.
【質問】
今回の事件に関し,日本はロシアに対してどんな抗議をしたのか?
【回答】
まず事件当日の16日,原田親仁欧州局長は午前11時,麻生太郎外相は午後5時と,2回に渡って,ロシアのガルージン駐日臨時代理大使を外務省に呼びつけ,抗議した.
抗議の中身だが,衆院外務委員長・原田義昭のサイトによれば,
・無防備の漁船に対する銃撃は過剰警備
・北方領土は日本の領土であり,ロシアに拿捕権限はない
http://www.y-harada.com/gazo/top/2006/kougi.pdf
といった,常識的な範疇.
また,同議員のブログによれば,
私は「委員長声明」の形で
「<領土問題が存在しない>などは明らかに日ロ間の外交的歴史事実(日ソ共同声明,東京宣言等々)を無視した暴論である,
北方4島は日本固有の領土である,
拿捕された船員,船舶の早期返還を求める・・」
ことを発表したものです.
並行して外交ルートを通じモスクワのインタファクス通信に対しその掲載方申し入れを致しました.
とのこと.
対するロシアは,
・同海域ではロシアの法律が適用されているという現実がある
・照明を消し,標識を隠して真夜中に侵入し,密漁を行ったほうが悪い
http://www.y-harada.com/gazo/top/2006/824.pdf
といった,これまた予想通りの回答.
これらについて,元外務省ロシア担当主任分析官の佐藤優は,「遅すぎ」と日本の抗議のやり方を批判している.
迅速に,高いレベルで行わなくては効果がない.
同じ人物を相手にこちらがレベルを買えて2回もすれば,相手に舐められるだけだ.
とにかく,麻生外相の抗議は遅すぎた.
実は,当日の官邸の動きは速かった.
飯島勲総理秘書官は午前9時には,ロシアにパイプを持つ鈴木宗雄代議士に相談した上で,ガルージン大使に電話をしている.
本来であれば,その直後の午前10時に麻生外相が正式抗議し,その後はロシアに精通した外務省の実務担当者が遺体返還と乗組員3人の解放に向けて,現実的な水面下交渉をすべきだった.
ここで失われた半日の意味は大きい.
私が外務省の担当者であったならば,件の反日に以下のことを行った〔だろう〕.
まずは,麻生外相に,抗議前に〔射殺された〕盛田氏の奥さんに電話をしてもらい,ガルージン大使に抗議と共に奥さんの悲痛な思いを伝える.それは必ずプーチン大統領に報告されるはずだからである.
そもそも今回の交渉は,誰を念頭に置いてするかという視点が欠けているように思われる.
ターゲットはプーチンだ.
まず真相究明を求める.これならばロシア側も断ることができない.
そして,きちんとしたデータを出させ,その後,陳謝と責任者の処罰,損害賠償を求めれば良い.
それと同時に,
「日本の法律で漁が禁じられている海域に,何故,進入したか分からない.
だからこそ日本側で責任を持って真相究明するために,一刻も早く乗組員を返還してほしい」
と交渉する.
ロシア側は当初からシグナルを発していた.
ロシア国境警備隊は今回,乗組員を自国の収容施設ではなく,日本人が作った国後島の宿泊施設「友好の家」に留めた.
私は何度かこの施設を訪れている.
日本の工事現場の飯場≠モデルに作られたプレハブ小屋だが,それでも現地のロシア人から見れば「立派な住宅」なのである.
通常,拿捕された人々は船に閉じ込められたままになる.
つまり,同施設を使用している時点でロシア側は「やりすぎた」と自覚していることを暗に示していた.
乗組員を取り戻す糸口はあったのだ.
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.33
【質問】
第31吉進丸銃撃・拿捕(だほ)事件において,日本の対応に問題点はないか?
【回答】
軍を前面に出せない状況が問題である,という指摘がある.
以下引用.
〔略〕
遺体を海保が運搬したわが国の立場は「国内問題」.
一方ロシアの扱いは軍が前面に出た「国際問題」.
これでは話もできないでしょう.
北方領土という未解決の国家間の問題の狭間で命を落とされたこの漁船員の方に対し,国家はもっと礼をつくすべきではなかったでしょうか.
他国へのアピールという点でもそれは必要だったように思います.
〔略〕
せめて遺体の引き取りには海自護衛艦を出してほしかったです.
一方,外務省の怠慢を指摘するのは,元外務省「ロシア情報・分析チーム」責任者,佐藤優である.
彼は
北方4島周辺は日本の実効支配が及んでないという特殊事情がある.
それを踏まえ,事故がないように水面下で水掻きを動かすのが外務省ロシア担当者の責務だ.
政治家を前面に押し立てて拳を振り上げることで,原田親仁外務省欧亜局長や松田邦紀ロシア課長はどのような勝算が日本にあると考えているのだろうか.
国会で閉会中審理を行い,きちんと問いただしてみる必要がある.
と,原田親仁外務省欧亜局長や松田邦紀ロシア課長の責任を問うている.
彼は,過去に外務省が銃撃事件を激減させた事例を踏まえ,「パイプが細ってしまった」現状を指摘している.
〔略〕
今回の事件は,第一義的にロシア国境警備庁が悪い.
いかなる理由があるにせよ,国家機関が非武装の民間漁船を銃撃し,死者を出すことはあってはならない.
ロシアの行為は人道上,申し開きのできない蛮行である.
日本政府がロシア政府に厳重抗議し,真相究明,謝罪,損害賠償,再発防止措置を求めるのは当然だ.
しかし,それと同時にロシア側と同じくらいに責任を問われるのが日本外務省のロシア担当者(ロシアスクール)だ.
今回拿捕(だほ)された「第31吉進丸」がどの海域で,どのような操業を行っていたかは不詳であるが,拿捕された地点は根室半島と北方領土・貝殻島の中間線よりも貝殻島寄りの海域だ.
この海域でのカニ漁は,日本の漁業規則で禁止されている.
北方4島がわが国固有の領土であるということは日本国家の原理原則であり,譲ることはできないし,譲ってはならない.
しかし,中間線の向こう側に日本の実効支配が及んでいないというのも事実だ.
国民の立場からするならば,日本政府が北方領土をロシアから取り戻すことができていないからこのような悲劇が起きるのだ.
過去にもこの海域で銃撃が行われ,負傷者が発生したことがある.
特にソ連崩壊後,94年ごろから日本漁船の「越境」操業が増え,銃撃される事例が起きた.当時の渡辺幸治ロシア大使,東郷和彦公使がブルブリス国家院議員(元国務長官)やサスコベッツ第一副首相らの有力政治家に働きかけたことが奏功して,困難な交渉を経て98年5月に安全操業協定がまとまった.
この協定は日露両国の信頼関係の上で成り立つ.日本側は漁船が違法操業を行わないことに責任をもつ.ロシア側は日本を信頼し,違反があった場合の取り締まりについては協定に記さない.北方領土に関する日本の立場は完全に担保された.
しかし,万一,日本の漁船が違反を犯した場合,「違反を見逃す日本政府は信頼できない」ということになる.そしてロシアの警備艇が発砲し,死者が発生するような事態になれば,管轄権の問題が表面化し,日露平和条約(北方領土)交渉にも悪影響を与えかねない.
そこで日本外務省は,98年,小渕恵三総理(当時)の提案によって開始された日露青年交流の枠組みを用いて,ロシア国境警備庁関係者を何度も日本に招いて,海上保安庁との交流を促進するとともに,外務省もロビー活動を行った.
2000年には,北方4島の警備を担当する将校たちが訪日した.
当時の東郷和彦欧亜局長,森敏光欧亜局審議官は,北方4島周辺での信頼醸成強化のために,この代表団に対する働きかけを特に重視した.
このとき筆者が責任者をつとめた「ロシア情報・分析チーム」にも特命が与えられ,筆者も京都に同行し,相互理解につとめた.
ある晩,ウラジオストクの国境警備庁責任者が
「佐藤さん,こうやってお互いの顔が見えるようになると銃撃なんかできなくなるよ」
と言っていたのが印象に残っている.
事実,この代表団訪日後,4島周辺での銃撃は皆無になった.これは浪花節ではなく,北方4島周辺の特殊事情に対する国境警備庁関係者が深まったからだ.
残念なことに,02年の鈴木宗男パージの過程で当時の竹内行夫外務事務次官(現外務省顧問)はロシア国境警備庁と良好な人脈をもっていた東郷和彦オランダ大使と森敏光カザフスタン大使を免官にし,外務省と国境警備庁のパイプは細くなってしまった.
〔略〕
もっとも,この手法には必ずしも賛成しかねる.
素人考えでは,
「密漁を大目に見てもらいたいなら,『対価』をよこせ」
と,ロシア北東沿岸警備国境局関係者が言い出しかねない危険性を孕んでいるように思われるからだ.
信頼関係を築くことは確かに重要だが,その方法が「摂待」というのは,いかにも日本的なような…….
佐藤は以前,
フニャフニャしている日本人をロシア人は尊敬しない.特にロシアからゼニを貰うやつは絶対尊敬しない.
佐藤優著「国家の自縛」(産経新聞出版,2005.9.30),p.140
と書いているのだが,「ロシア人を接待する日本人」についてはどうなのだろうか? そこのところが分からない.
ちなみに,こんな怪文書もネット上にあった.
話の真偽はともかく,参考までに.
レポ船の再来・宗男旗(MuneoFlag)
投稿者:国際駝鳥金融(2002年03月14日22:49:39)
本日日本のTVにて「鈴木宗男研究」の加藤昭氏が遂にTVに出演し,これ迄週刊誌の記事での報道段階にあった宗男旗(Muneo Flag)疑惑を説明しました.
1.宗男旗(Muneo Flag)を鈴木宗男後援会を名乗る特定人物に500万円支払うと,宗男旗(Muneo Flag)が貰える.
2.この資金は鈴木宗男代議士の政治工作資金となる.収入総額は年間で最低10億円は下らない.
(羆で有名になった知床半島の羅臼町の漁船200隻中一割の20隻が宗男旗を掲げている.これに根室や釧路,紋別などが当然加わる.)
3.それを漁船に掲げ,ロシア領カムチャツカ半島近辺に出向くと,ロシア官憲船が迎えてくれる.要するに送迎付きで指定海域に案内された上で,ご丁寧に安全海域での漁を保障してくれる.
4.宗男旗(Muneo Flag)は,良好な漁場での漁を保障する以外に,鈴木宗男海上火災,と呼ばれたロシアの拿捕に備えた保険の意味もある.
仮にロシアに漁船を拿捕されても,鈴木宗男事務所にやはり500万円を支払うと,即座に釈放される.
5.旧ソ連,現在のロシアが何故この様な優遇措置を鈴木宗男代議士に施す理由は,鈴木宗男代議士を日本国政府中枢に食い込ませ,親ロシア政策を実現させる為である.
万が一鈴木宗男代議士が首相になれば,親ロシア政権が成立する.
6.この動きは中川一郎代議士の時代からあり,鈴木宗男代議士は米国CIAと結託し,中川一郎代議士の自殺という形で葬った.
しかし当時,ソ連の諜報部(KGB)が鈴木宗男代議士と米国CIAとの結託に関する決定的な証拠を握っている.(ソ連崩壊と共に明るみになったKGB資料に,その経緯が明示されている,と加藤昭氏がTVにて書類を掲げて明言.)
それを公表するとKGBに脅迫された鈴木宗男代議士は,現ロシアの利益を代弁し,且つロシアが供与する利権構造を利用し,自民党を中心に資金供与をしてきた.
http://yorozu.indosite.org/bbs_log/bbs_log03/main/11914.html
閑話休題,その後の解放交渉についても,佐藤は外務省の失策を批判する.
モスクワ大使館幹部の責任
防げたロシアとの関係悪化
前回取り上げた,8月16日,北方領土・貝殻島周辺海域においてロシア国境警備艇の銃撃によりカニかご漁船「第31吉進(きっしん)丸」の日本人乗組員1人が死亡した事件を巡る事態は時の経過とともに悪化している.
日本外務省の稚拙な外交技法がロシアから日本がナメられるような状況を作り出している.
特にまずいのが武部勤自民党幹事長の訪露だ.
武部幹事長は8月26日午前,モスクワでロシア国境警備庁のムシーヒン副長官と会見したが,このような会見を取り付けたモスクワの日本大使館には戦略的視点が欠如している.
議院内閣制をとる日本において,与党自由民主党の幹事長は非常に重い地位をもつ.
小泉総理が元帥ならば,武部幹事長は大将だ.
外交の世界では,公的性格の会談でどのレベルの人物と会うかは死活的に重要である.
大将ならば,どのような事情があっても少将以下と会ってはいけない.そのような会見をすると,日本国家が格下と相手国にナメられる.
武部氏を大将とするならば,国境警備庁の副長官はたかだか大佐だ.
先例も重要だ.
2002年1月,モスクワに立ち寄った鈴木宗男衆議院議員はトツキー国境警備庁長官と会見した.
当時,国境警備庁長官は閣僚であり,鈴木氏も国務大臣(北海道沖縄開発庁長官)を務めたことがあるので,この会談はバランスがとれていた.
その後,ロシアでは省庁再編があり,05年3月,国境警備庁は連邦保安庁(FSB)傘下の一部局になった.
もし筆者が現在,モスクワの日本大使館に勤務していたならば,武部氏を国境警備庁の副長官に会わせるようなヘマはせず,パトゥルシェフ連邦保安庁長官と会見を取り付け,国境警備庁長官を同席させる.
このようなハイレベルの会見で日本の立場を毅然(きぜん)と伝えることが対露外交のイロハであるが,どうも外務官僚はそのことを忘れてしまったようだ.
モスクワの日本大使館員がクレムリンや連邦保安庁との人脈作りを怠っているからこういうことになるのだ.
外務官僚は
「ムシーヒン副長官が実務を取り仕切っているので,幹事長に会っていただくことには大きな意味があります」
などと武部氏を言いくるめたと筆者は想像するが,実務家との対応は実務家である外務官僚が行えばよい.北方領土問題にかかわる案件なのだから,駐ロシア日本大使館政務部長の倉井高志公使がきちんと対応すればよい.
武部氏の会見で具体的にどのような成果があったのだろうか.
武部幹事長が
「『今回の事件が日露関係全般に悪影響を及ぼさないよう,拘束されている乗組員3人と船体を早く解放してほしい』と伝えた」(読売新聞8月27日)
のに対して,
「シムーヒン副長官は『乗組員,船体の早期解放に向け,努力したい』と答えた」(同)
ということだが,この種の事案では,ロシア側から2週間なり,1カ月なり具体的期限を引き出さなくては意味がない.
ロシア的基準では1年でも「早期解放」になる.
〔略〕
ロシアの諜報(ちょうほう)専門家は今回の漁船拿捕事件についてうがった見方をしている.
つまり,日本の謀略専門家が北方領土周辺水域であえて事件を起こし,日本のナショナリズムを刺激する.総裁候補の政治家がロシアに対して拳を振り上げることで権力基盤の強化を図るというシナリオだ.
日本人から見れば荒唐無稽(むけい)だが,ロシア人にはそう見えるのだ.
このような「深読み」が実態に反していることを,諜報のプロであるパトゥルシェフ連邦保安庁長官に武部幹事長が伝えれば,日露関係の悪化を防ぐことができた.
外務官僚の不作為で日本はまたチャンスを失ってしまった.
この部分の記述については,特に疑う根拠を当方を持たない.おそらく正しい主張であろうと愚考する.
そのような陰謀論がロシア諜報当局の間に流布しているとすれば問題であり,早急の対策が必要だろう.
【質問】
現在でも海上保安庁とロシア当局との交渉は存在するはずだが,それと「関係者ご招待」とは,どう違うのか?
【回答】
その点については,佐藤は次のように「ロシア語と現地事情に通暁した外交官でなければ,彼らを味方ににつけることはできない」としている.
以下引用.
現在も海上保安庁と国境警備庁は交流や合同訓練を行っている.
しかし,北方4島周辺の特殊事情について国境警備庁関係者を日本の味方にする工作は,ロシア語と現地事情に通暁した外交官にしかできない.
【質問】
北方領土について,日本側にはどのような利権が絡んでいるのか?
【回答】
不確かなソースだが,暴力団が関与していたり,重要な票田になっているという記事がある.
以下引用.
「北の漁場」の蟹が,いかに巨大な利権なのか.
北海道大学スラブ研究所の荒井信雄教授の調査によると,ロシア側統計の「日本への蟹輸出額(98〜01年)が1億900万ドル(約126億円)であるのに対し,日本の「ロシア産蟹の輸入額」は5億5900万ドル(約648億円).
つまり,ロシア産蟹の約80%が密漁であると結論付けており,年額にして130億円以上の不当利益が生まれているのだ.
〔略〕
日本側で,そうした〔ロシアの〕密漁マフィアのカウンターパートになっているのが広域暴力団だ.
前出の本田記者〔北海道新聞記者で「密海の海で」の著者,本田良一〕が指摘する.
「80年代,レポ船に代わって密漁の主流になったのが,強力なエンジンを積んでロシアの警備艇や海保の巡視艇を振り切る特攻船≠ナ,暴力団関係者が考案して広がった.
その後,警備隊に賄賂を贈ったり,許可証を偽造して正規の輸入を装うなど,密漁・密輸手段が複雑化している」
〔略〕
カニかご漁の免許を持たない船が獲った蟹は,世紀のルートで市場に流せないため,暴力団が仕切る露店販売などに流される.
「密猟者はリモコンで浮き沈みするブイをとり付けた蟹かごを沿岸の岩場に沈め,100s単位で引き揚げて闇ルートに出荷する.一度に流せば足がつくからです」
〔略〕
北方領土が絡む日露の漁業交渉では,中間線の引き方や,日本の特定の漁船にロシア側での操業を認める協定など,幾つもの政治的取引がなされてきた.
北海道選出の国会議員は,そこで力を発揮しないと選挙に勝てない.
「水産は道内の大産業で重要な票田だ.漁師も水産物輸入や加工会社も議員の後援会に入り,献金をして漁協ごとにどの政治家の系列化が色分けされる.
そうしないとロシアでの操業許可をとってもらえないし,貿易もできない.
中でも利幅の大きいカニ漁は,その傾向が顕著だ.
政治家の講演会に入るのは,拿捕されたときの保険の意味もある.
政治家は系列の漁民が拿捕されたときに救えるように,日頃からお忍びでサハリンに飛び,マフィアと近い現地の州政府幹部に贈り物をするなど,パイプ作りに躍起になってきた」(北海道の地元議員)
ある自民党議員は国会直前に後援者と極秘にサハリンに行ったものの,天候悪化で帰国が遅れ,委員会に出席できなくなり,大顰蹙を買ったエピソードもある.
〔略〕
ロシアが居丈高な態度をとっているのは,「北の漁場」の闇にどっぷりと浸かってきた日本の政治家は,「密漁問題」で抗議など出来まい――と,完全に見下しているからなのだ.
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.28
【質問】
なぜ,そのような利権が跋扈するのか?
【回答】
不確かなソースだが,根室が密漁に頼らざるを得ない社会構造になっているためだという報道がある.
以下引用.
漁業関係者が声を潜めて打ち明ける.
「花咲ガニの水揚げ量はピーク時の10分の1程度になったが,それも密漁で採ったものがほとんど.
根室には,他に目立った産業がなく,この街の経済は,こうして採られたカニが何とか支えている」
確かに,根室市は地盤沈下が続いている.
77年の200カイリ施行で北洋の好漁場を奪われた漁師たちは次々と廃業.
最盛期に5万人近かった同市の人口は,今や3分の2に減った.
漁師が廃業したことで,卸・加工・観光などのカニ関連産業も次々と倒産という悪循環が続く.
夜,街の飲食店街を歩いた.
約100軒ものスナックの看板があるが,一晩中,明かりのつかない店舗が目立つ.
40代のママがため息混じりに語った.
「昔は,漁師が腹巻に札束を入れて飲みに来てくれたけど,今はごく一部.
坂下さんは数少ない羽振りのいい人で,よく
『ロシアでまた危ない目にあった』
なんて武勇伝を披露していたね.
でも,カニをたくさん水揚げする漁師が町を支えているんです.
どんな手段で採られていようと,それに頼るしかない」
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.29
まあ,残酷な物言いになるかも知れませんが,CDが一般化した後もレコード針を作り続けている会社のようなもので,どこかで体質転換しないと,ますますドツボに嵌まるだけではないかと.
【質問】
ガモフ少将殺害事件とは?
【回答】
国境警備隊長のガモフ少将の自宅に火炎瓶が投げこまれ,彼が殺害された事件.
マフィアの犯行と見られている.
ソースが不確かだが,ガモフ少将自身がマフィアの構成員であり,事件はマフィア同士の抗争の中で起きたものだとする見解もある.
以下引用.
02年5月にはサハリンで,密漁を厳しく取り締まって来たロシア国境警備隊隊長のビタリー・ガモフ少将の自宅に火炎瓶が投げ込まれた.
ガモフ氏は大火傷を負って日本の病院に緊急搬送されたが,7日後に死亡した.
犯人は今も不明で,取り締まり強化に反発したロシアの水産マフィアの犯行と見られている.
だが,ガモフ氏と交流があった海上保安庁関係者は,逆の指摘をする.
「彼はマフィアそのもの.
密漁船の操業や密輸船に便宜を図ることで賄賂を得ていた.
事件は蟹利権を巡る他のマフィア組織との抗争から起きたものだ」
「週刊ポスト」2006/9/8号,p.27-28
【珍説】
カムチャツカで大規模演習=漁船銃撃の国境警備隊も参加−ロシア軍
【モスクワ17日時事】
インタファクス通信によると,ロシア極東のカムチャツカ半島で17日,太平洋艦隊や極東軍部隊による大型軍事演習が始まった.
〔略〕
演習には,公安機関の連邦保安局(FSB)に属する極東管区国境警備局の沿岸警備部隊も加わり,国境防衛の任務で訓練を行うという.
16日に日本漁船を銃撃・拿捕(だほ)した国境警備隊が参加することで,国境管理の強化を誇示し,拿捕に反発する日本を威圧する狙いもあるとみられる.
時事通信社-2006年08月17日15:10
【事実】
最後の一行が余計です(笑)
そんな大規模な演習なら,当然,だいぶ前から準備しているわけでして.当然,国境警備隊の参加も,当初から予定されていたわけで.
演習開始前日に起こった銃撃事件の件で,日本を威圧する狙いを持った演習? そりゃ無いっしょ(笑)
つーか,カムチャツカ半島で海上演習を行うなら,海上国境警備隊が参加するのは当然.
海上国境警備隊はロシア海軍と同じ「軍艦」(クリヴァク型とかグリシャ型とか)を保有しているし,これらの「軍艦」の大半は,カムチャツカ方面に駐留しているからね.
シア・クァンファ in mixi
◆◆人物
【質問】
日本海海戦で沈没した、ロシアの巡洋艦「スヴェトラーナ」の名前の由来は何でしょうか?
1873年にウラジオストックに来ているフリゲートの名前にもなっていますし、日露戦争後に計画された巡洋艦の艦名にもなっているので、ロシア海軍にとって由緒のある艦名だと思うのですが、ぐぐってもよくわかりません。
【回答】
Svetlana(Светлана)は1世紀ローマ時代に殉教した聖人の名前だそうです。
ギリシャの女性で,ギリシャ名はフォティーネ(Photine)。
phot(光)をスラブ訳したsvetから派生し,女性のファーストネームとして一般化したとか。
ただ肝心の聖女フォティーネのことがわかりません。
明らかになれば,聖人には「聖ルカ=医学と芸術の守護聖人」て具合に効能が示されるんで,そこからアプローチできるかもしれません。
(鷂 ◆53cmjHPmWw)
【質問】
ウシャコフ提督について教えられたし.
【回答】
フョードル・フョードロヴィッチ・ウシャコフ大将は1744年生まれで1766年海軍入隊,
1787年に始まったロシア・トルコ戦争(露土戦争)では黒海艦隊司令長官として活躍し,
1788年のフィドニス海戦,
1790年のケルチ海峡海戦,テンドラ海戦,
1791年のカリアクリア岬海戦
のいずれも勝利を収めました.
1798年には地中海に進出,トルコ軍コルフ島要塞を強襲占領,1799年にはナポリ,ローマなどのイタリア諸都市をフランスから解放するといった具合に連戦連勝,「常勝提督」として勇名を馳せました.
1817年歿.
2002年,ロシア正教会は,フョードル・フョードロヴィッチ・ウシャコフを聖人に列し,彼の遺骸(聖人になったから聖骸と言うべきか)はロシア海軍の各方面艦隊に分けられました.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜,
2007/4/3(火) 午後 7:07
【質問】
フルシチョフの,海軍についての考え方は?
【回答】
彼は大型艦無用論者だった.
「海軍の主要兵器はミサイル,潜水艦,航空機であり,核兵器やミサイルの新時代に大型艦は不要」
と宣言,建造中の大型艦を解体するよう指示した.
また,彼は「戦艦ノヴォロシースクの沈没事故は,大型艦が時代が終わったことの象徴」ととらえた.
詳しくは「世界の艦船」2005年1月号,p.158-159(A.
V. Polutov著述)を参照されたし.
【質問】
2008年現在のロシア海軍主要幹部は?
【回答】
ロシア連邦国防省公式サイトによると,現在,ロシア海軍の主要幹部は,以下のような陣容となっています.
●海軍総司令官(2007年9月11日〜)
Главнокомандующий Военно-Морским
Флотом
ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・ヴィソツキー大将
(1954年8月18日生れ,1976年海軍高等学校卒業)
Владимир Сергееви Высоцкий
●海軍総参謀長(2005年9月4日〜)
Начальник Главного штаба
ВМФ
ミハイル・レオポルトヴィッチ・アブラモフ大将
(1956年7月6日生れ,1978年海軍高等学校卒業)
Михаил Леопольдович Абрамов
●北方艦隊司令官
Командующий Северныим
флотом
空席
●太平洋艦隊司令官(2001年12月3日〜)]
Командующий Тихоокеанским
флотом
ヴィクトル・ドミトリーエヴィッチ・フョードロフ大将
(1947年11月23日生れ,1968年航海学校卒業)
Виктор Дмитриевич Федоров
●黒海艦隊司令官(2007年7月17日〜)
Командующий Черноморским
флотом
アレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ中将
(1955年8月16日生れ,1978年海軍高等学校卒業)
Александр Дмитриевич Клецков
●バルト艦隊司令官(2006年5月6日〜)
Командующий Балтийским
флотом
コンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ中将
(1953年2月2日生れ,1975年海軍高等学校卒業)
Константин Семенович Сиденко
●カスピ小艦隊司令官(2005年〜)
Командующий Каспийской
флотилией
ヴィクトル・ペトロヴィッチ・クラフチュク少将
(1961年1月18日生れ,1983年海軍高等学校卒業)
Виктор Петрович Кравчук
北方艦隊司令官が空席なのは,前任者ヴィソツキー大将が9月11日に海軍総司令官に任命された後,まだ後任が決まっていないからです.
おそらくは,北方艦隊司令官第一代理(副司令官)ニコライ・マクシーモフНиколай
Максимов 中将が指揮を執っているものと思われます.
これを見ると,ロシア海軍の人事は,「年功序列」では無い事が分かるでしょう.
ロシア海軍最先任の提督は,2002年9月に大将へ昇進したフョードロフ氏ですが,彼の「上司」は,2006年12月に大将へ昇進したヴィソツキー氏ですし.あと,バルト艦隊司令官シデンコ中将も,ヴィソツキー総司令官とアブラモフ総参謀長の「先輩」です.
この他,
前黒海艦隊司令官アレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ大将(1950年10月25日生まれ,1973年海軍高等学校卒業)は,黒海艦隊司令官を退任後,海軍総司令官第一代理(副総司令官)となっております.
タタリノフ氏がアブラモフ総参謀長やヴィソツキー総司令官よりも「先輩」である事を考慮すると,海軍総司令部付きの顧問・相談役といったポジションのようです.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/17(土) 午後 7:20
ニコライ・マクシーモフ中将は,これまで北方艦隊司令官第一代理(副司令官)を務めていましたが,以下の記事によれば,この度,司令官に昇格したようです.
[quote]
ニコライ・マクシーモフ海軍中将は,北方艦隊司令官に任命される
モスクワ,11月20日(RIAノーボスチ)
ロシア北方艦隊司令官のポストは,海軍中将ニコライ・マクシーモフに割り当てられる.
ロシア連邦国防省の報道部は,RIAノーボスチに,こう伝えた.
ロシア北方艦隊の前司令官ウラジーミル・ヴィソツキーは,大統領によって海軍総司令官に任命された.
[quote]
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/21(水) 午後 10:22
▼ 2008年1月3日現在,ロシア海軍(ВМФ)の主要幹部は,以下のような陣容となっています.
【海軍総司令官(2007年9月11日〜)】Главнокомандующий
Военно-Морским Флотом
ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・ヴィソツキー大将(1954年8月18日生れ,1976年海軍高等学校卒業)
Владимир Сергееви Высоцкий
【海軍総司令官第1代理(2007年7月〜)】Заместителя
Главнокомандующий ВМФ
アレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ大将(1950年10月25日生れ,1972年海軍高等学校卒業)
Александр Аркадьевич Татаринов
【海軍総参謀長(2005年9月4日〜)】Начальник
Главного штаба ВМФ
ミハイル・レオポルトヴィッチ・アブラモフ大将(1956年7月6日生れ,1978年海軍高等学校卒業)
Михаил Леопольдович Абрамов
[北方艦隊司令官(2007年11月19日〜)]Командующий
Северныим флотом
ニコライ・ミハイロヴィッチ・マクシーモフ中将(1956年5月15日生れ,1978年海軍高等学校卒業)
Николай Михайлович Максимов
[太平洋艦隊司令官(2007年12月6日〜)]Командующий
Тихоокеанским флотом
コンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ中将(1953年2月2日生れ,1975年海軍高等学校卒業)
Константин Семенович Сиденко
[黒海艦隊司令官(2007年7月17日〜)]Командующий
Черноморским флотом
アレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ中将(1955年8月16日生れ,1978年海軍高等学校卒業)
Александр Дмитриевич Клецков
[バルト艦隊司令官(2007年12月6日〜)]Командующий
Балтийским флотом
ヴィクトル・マルドゥシン中将(1958年3月18日生れ,1980年海軍高等学校卒業)
Виктор Мардусин
[カスピ小艦隊司令官(2005年〜)]Командующий
Каспийской флотилией
ヴィクトル・ペトロヴィッチ・クラフチュク少将(1961年1月18日生れ,1983年海軍高等学校卒業)
Виктор Петрович Кравчук
[連邦国防相顧問(海洋兵器開発アドバイザー)]
ウラジーミル・ワシーリエヴィチ・マソリン上級大将(1947年8月24日生まれ,1970年海軍高等学校卒業)
Владимир Васильевич Масорин
海軍総参謀長アブラモフ大将とカスピ小艦隊司令官クラフチュク少将以外は,昨年(2007年)に全て入れ替わりました.
海軍総参謀長アブラモフ大将,北方艦隊司令官マクシーモフ中将,黒海艦隊司令官クレツェコフ中将は,同じ年(1978年)に海軍高等学校を卒業しており,いわば「同期生」といったところでしょう.
海軍総司令官ヴィソツキー氏は,2005年8月にバルト艦隊参謀長に任命されてから一ヵ月後,いきなりロシア最大の方面艦隊である北方艦隊司令官に任命され,昨年9月,海軍総司令官に就任しました.
ロシア政府や国防省では,よほど高く評価されているのでしょう.
海軍総参謀長アブラモフ大将は,2002年10月,日本海上自衛隊の国際観艦式に参加する為,巡洋艦「ワリャーグ」に乗って横須賀を訪問した事もあり,2005年9月に海軍総参謀長に任命される前は,北方艦隊司令官を務めていました.
海軍総司令官第1代理タタリノフ大将は,ロシア海軍最先任提督であり,世代交代が進むロシア海軍提督では「前世代」になります.
「同世代」の提督は全て退職しましたが,「後輩」たちの相談役として,海軍に留まっているようです.
北方艦隊司令官マクシーモフ中将は,以前から同艦隊副司令官を務めており,昨年11月,司令官に昇格しました.
コンスタンチン・シデンコ中将は,バルト艦隊司令官を約2年勤め上げてから,太平洋艦隊司令官に就任しており,海軍総司令官ヴィソツキー大将よりも先輩のベテランの提督です.
シデンコ中将の後任のバルト艦隊司令官マルドゥシン中将は,現在49歳の若い提督で,太平洋艦隊参謀長からバルト艦隊司令官に転出しました.
黒海艦隊司令官クレツェコフ中将は,掃海艇乗り出身という珍しい経歴の提督です.
カスピ小艦隊司令官クラフチュク少将は,ミサイル艇乗り出身の提督です.
ウラジーミル・マソリン上級大将は,前海軍総司令官であり,昨年9月に引退しましたが,12月末,国防相顧問として復帰しました.
今後は,海軍の上部組織である国防省で,海洋兵器の開発に関するアドバイザーとして活動します.
上記リストの提督で,海軍総司令官ヴィソツキー大将と北方艦隊司令官マクシーモフ中将はウクライナ出身です.
ソヴィエト連邦が解体された後,旧ソ連海軍からウクライナ海軍へ行った将兵は大勢居ますが,彼らのように,ロシア海軍に留まり続けた人もけっこう居るようです.
海軍ではないが,ロシア連邦軍総参謀長のバルエフスキー上級大将もウクライナ出身だし.
ヴィソツキー氏は,ソ連邦解体時,ウクライナで建造中だった空母ワリャーグの初代艦長であり,ウクライナ海軍へ行ってもおかしくなかったのですが,彼はロシア海軍に留まりました.
今日,その選択は,正しく報われたと言って良いでしょう.
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/1/3(木) 午後 5:29
▲
【質問】
ロシア海軍の提督について分かるサイトを教えてください.
【回答】
ロシア海軍主要提督のページには,以下のようなものがあります.
ロシア語ページと日本語ページが有りますが,日本語ページの方は,若干情報が古いです.
(昨年の大規模な人事異動が行われる前の更新なので)
海軍総司令官ウラジミール・マソリン大将(1947年生れ)
http://www.mil.ru/articles/article3761.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/masorin.htm
海軍総参謀長ミハイル・アブラモフ中将(1956年生れ)
http://www.mil.ru/articles/article3801.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/abramov.htm
北方艦隊司令官ウラジミール・ヴィソツキー中将(1954年生れ)
http://www.mil.ru/articles/structure/nord2.shtml
太平洋艦隊司令官ヴィクトル・フョードロフ大将(1947年生れ)
http://www.mil.ru/articles/structure/tof2.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/fyodorov.htm
黒海艦隊司令官アレクサンドル・タタリノフ中将(1950年生れ)
http://www.mil.ru/articles/structure/blacksea02.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/tatarinov.htm
バルト海艦隊司令官ウラジーミル・ワルエフ大将(1947年生れ)
http://www.mil.ru/articles/structure/baltic11.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/waluev.htm
カスピ海小艦隊司令官ユーリー・スタルツェフ中将(1950年生れ)
http://www.mil.ru/articles/structure/caspian2.shtml
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/person/startsev.htm
シア・クァンファ(夏光華) in mixi
▼
【質問】
ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・ヴィソツキー提督について教えられたし.
【回答】
ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・ヴィソツキーВладимир
Сергеевич Высоцкийは,ロシア連邦の軍人,ロシア海軍総司令官.大将.
==経歴==
http://www.mil.ru/eng/1862/12068/12088/12222/12241/12383/index.shtml
によれば,
1954年8月18日,ウクライナ共和国リボフ州のコマルノ村に生まれる.
1976年に黒海高等海軍学校を卒業した後,彼は太平洋艦隊の大型対潜艦の水雷長や,巡洋艦「アドミラル・セニャーウィン」艦長付き先任副官,ロケット巡洋艦の副長を務めた.
1982年に海軍特殊将校課程を終えた後,重航空巡洋艦「ミンスク」の副長を務める.
1990年に海軍大学校を卒業後,太平洋艦隊へ配備予定の重航空巡洋艦「ワリャーグ」艦長に任命された.
しかしソヴィエト連邦が解体された為「ワリャーグ」の建造工事は中止された.
1992年,太平洋艦隊の第36ロケット艦師団の副司令官に任命され,1994年,同師団の司令官に昇格した.
1999年にロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミーを修了後,北方艦隊の小艦隊参謀長や小艦隊司令官第一代理を勤めた.
2005年8月20日,ウラジーミル・ヴィソツキーは,バルト艦隊参謀長兼司令官第一代理に任命された.
それから一ヵ月後の
2005年9月26日,連邦大統領令1108号により,海軍総参謀長に就任するミハイル・アブラモフの後任として,51歳で北方艦隊司令官に任命された.
2006年12月15日,52歳で海軍大将に昇進.
2007年9月11日,連邦大統領令により,ウラジーミル・ヴィソツキーは,定年退職するウラジーミル・マソリン上級大将の後任として,53歳でロシア海軍総司令官に就任した.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/11(日) 午前 10:09
▲
写真で見ると,タダの冴えないオッサンのようですが,現時点でまだ52歳と若いし,バルト艦隊参謀長からいきなりロシア海軍最大の方面艦隊司令官に抜擢されたくらいですから,只者では無いでしょう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/15(金) 午後 10:05

▼ 2007/9/21には海軍総司令官に就任.
以下,ロシア国防省公式サイトより.
ロシア海軍総司令部で任命式が行われ,ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍新総司令官にウラジーミル・ヴィソツキーを任命
本日(2007年9月21日),ロシア海軍総司令部で任命式が行なわれ,ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍新総司令官にウラジーミル・ヴィソツキーを任命した.
ロシア海軍総司令部で行なわれた式典において,海軍総司令官にウラジーミル・ヴィソツキー大将が指名された.
連邦国防相アナトーリー・セルジュコフからウラジーミル・ヴィソツキー大将に授受された海軍総司令官旗(Штандарт)は,海軍を指導する責務を象徴する.
式典において,ウラジーミル・マソリン海軍上級大将に,ロシア連邦大統領より「第4等"軍における祖国への奉仕に対する"勲章」が授与された.
連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍総司令官として祖国へ奉仕したウラジーミル・マソリン海軍上級大将に感謝した.
[/quote]
下の写真1枚目がロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフ,
2枚目の画像は,海軍総司令官旗(Штандарт
главнокомандующего Военно-Морским
Флотом)です.
(2005年9月10日制定)
〔略〕
ロシア国防省公式サイト「ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキー」紹介ページ
http://www.mil.ru/eng/1862/12068/12088/12222/12373/index.shtml
「2007年9月11日,大統領令により,彼はロシア海軍総司令官に就任した」
と記述されているので,彼を海軍総司令官に任命したのは,ウラジーミル・プーチン氏という事になります.
RIAノーボスチでも報道されています.
セルジュコフは,ロシア海軍の新しい総司令官を任命した


Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/9/21(金) 午後 9:05▲
【質問】
クズネツォフとゴルシコフとの仲は悪かったの?
【回答】
悪かった模様.
以下引用.
ニコライ・クズネツォフ氏はセルゲイ・ゴルシコフの前任の海軍総司令官ですが,フルシチョフの意向に逆らって解任,しかも,ソ連邦海軍元帥の称号を剥奪され,海軍中将に降格させられた上で退役した.
その後,フルシチョフが失脚し,クズネツォフ氏が死亡すると,クズネツォフ氏の名誉回復とソ連邦海軍元帥への再昇格を求める声が各地から上がりました.
しかし,それを頑なに拒絶したのが,当時の海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフだったのです.
結局,クズネツォフ氏がソ連邦海軍元帥への再昇格を果たしたのは,ゴルシコフ引退後の1980年代後半の事でした.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/14(土) 午後 8:21
【質問】
アレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ提督について教えられたし.
【回答】
今年(2007年)7月17日からロシア黒海艦隊司令官を務めているアレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ中将
Александр Дмитриевич Клецков
1955年8月16日,ブリヤンスク州生まれ.
1978年,カリーニングラード海軍高等学校を卒業した後,タリン海軍基地の沿岸掃海艇「アルタイスキー・コムソモーレッツ」副長を勤め,次いで沿岸掃海艇「コムソモーレッツ・エストーニィ」艇長に任命された.
1983年から1998年に掛けて,バルチースク海軍基地の掃海艇師団の参謀長と師団長,レニングラード海軍基地艦艇部隊の参謀長と司令官代理を歴任した.
1989年,N.G.クズネツォフ名称海軍大学校卒業.
1998〜2001年までバルチースク海軍基地の参謀長.
2001〜2003年,ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミーの学生.
卒業後,バルチースク海軍基地司令官,次いでバルト艦隊参謀長に任命された.
クレツェコフ中将は,52歳の誕生日を迎えた2007年7月17日付のロシア連邦大統領令第917号及び2007年7月18日付のロシア連邦国防相令第834号により,アレクサンドル・タタリノフ大将の後任として黒海艦隊司令官に任命された.
アレクサンドル・クレツェコフ海軍中将は「祖国に対する顕著な奉仕」「軍における功績」勲章を授与されている.
クレツェコフには,妻と息子が居る.
直属の部下であるノヴォロシースク海軍基地司令官セルゲイ・メニャイロ中将と同様,掃海艦艇での勤務が多いという地味な経歴の提督です.
上記の経歴を見る限り,海軍高等学校卒業後,黒海艦隊司令官に任命されるまでバルト艦隊だけで勤務していたようです.



Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 5:40
【質問】
ワシーリー・コンダコフ提督とは?
【回答】
ロシア海軍黒海艦隊のロケット巡洋艦モスクワに将旗を掲げ,空母アドミラル・クズネツォフ部隊と行動を共にした黒海艦隊司令官代理ワシーリー・ゲオルギエヴィッチ・コンダコフ中将
Заместитель командующего
ЧФ
Вице-адмирал Василий Георгиевич
Кондаков
ロシア連邦国防省公式サイトより,彼の略歴.
ワシーリー・ゲオルギエヴィッチ・コンダコフは,1954年5月30日,ヨーロッパ・ロシア南東部のヴォルゴグラード州ノヴォニコラエフスキー町に生まれる.
1976年,P.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校を卒業後,太平洋艦隊司令部へ配属される.
1976年から1999年までの太平洋艦隊での勤務において,沿岸防衛部隊の幕僚から始まり,最後は原子力潜水艦師団司令官を務めた.
1977〜1978年:原子力潜水艦ロケット戦闘部技術将校
1978〜1982年:原子力潜水艦戦闘部長
1982〜1983年:海軍高等特殊将校クラス聴講生
1983〜1985年:原子力潜水艦先任副艦長
1985〜1988年:原子力潜水艦艦長
1988〜1990年:海軍アカデミー学生
1990〜1992年:潜水艦師団司令官代理
1992〜1994年:太平洋艦隊・カムチャツカ小艦隊司令部作戦部長代理
1994年:太平洋艦隊潜水艦師団司令官
1994〜1996年:連邦軍参謀本部アカデミー学生
1996〜1999年:太平洋艦隊潜水艦師団司令官
1999〜2002年:オブニンスク原子力潜水艦乗組員訓練センター所長
2002〜2005年:海軍総司令部戦闘訓練管理部長
2005年9月,黒海艦隊司令官代理に任命
ロシア連邦軍当局より勲章を授与されている.
妻と,娘および息子が居る.

「ロシア空母『アドミラル・クズネツォフ』特設報道部」,2008-05-18
【質問】
コンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ提督について教えられたし.
【回答】
今月初め,ロシア太平洋艦隊司令官に就任したばかりのコンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ中将 Константин
Семенович Сиденко は,
1953年2月2日,ハバロフスクに生まれる.
1975年,S.O.マカロフ名称太平洋海軍高等学校卒業
卒業後,まず,太平洋艦隊の巡洋潜水艦の魚雷長として勤務.
その後,大型潜水艦(BPL)の艦長副官を務める.
海軍高等特殊将校課程を修了後,大型潜水艦艦長に就任.
1989年に海軍アカデミーを卒業後,彼は太平洋艦隊に戻り,潜水艦師団の司令官代理として勤務.
1994年,ロシア連邦軍参謀本部アカデミーを卒業.
その後,太平洋艦隊の潜水艦師団の司令官,潜水艦小艦隊の参謀長,戦隊参謀長を務めた.
1999年8月,北東軍集団参謀長・司令官第一代理に任命され,2000年6月,同軍集団司令官に昇格した.
2002年4月,太平洋艦隊の参謀長・司令官第一代理に任命.
2006年5月6日付のロシア連邦大統領令により,バルト艦隊司令官に任命.
そして2007年12月6日,ロシア連邦大統領令により,60歳の定年を迎えて退職するヴィクトル・フョードロフ大将の後任の太平洋艦隊司令官に任命された.
というわけで,沿海州生まれで沿海州育ち.
海軍入隊後も,バルト艦隊司令官に任命されるまでは,ずっと太平洋艦隊で勤務していた潜水艦乗り(サブマリナー)出身の提督です.
今回,太平洋艦隊司令官に任命された事は,彼にとっては「古巣に戻った」という事になります.
ただ上記経歴を見る限りでは,カムチャツカ方面での勤務が多かったようですが.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/12/12(水) 午後 4:36
【質問】
評論専門の高級将校である「スタルヴォ」ソ連海軍中将は,本当は実在しない,というのは本当か?
【回答】
スタルヴォ中将は,ソ連海軍機関誌「海軍論集」に寄稿していた人.
一説によると,ゴルシコフ総司令官の考えを代弁するための架空の人物だったそうだ.
1970年代には「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったが,1980年代になると各方面からボロクソに叩かれるようになり,
「スタルヴォ中将は,マルクス・レーニン主義というモノが分かっていない」
とまで言われる始末.
(当時のソ連で,こんなコトを言われたらオシマイです.まだゴルバチョフが表舞台に出てきていない時代だし)
ついには,チェルナーヴィン元帥からも
「海軍だけで戦(いくさ)するわけではない」
などと反論される有様.
これは同時に,ゴルシコフ連邦海軍元帥の権威の失墜も意味していたようだ.
ゴルシコフが海軍総司令官を解任されたのはゴルバチョフ登場後だが,それ以前に,すでに共産党及び政府(連邦軍上層部)は,彼を見限っていたのではないか.
アンドロポフが急死していなければ,彼の在任中に解任されていたかもしれない…….
ゴルシコフの前任者クズネツォフの名前は新造艦に付けられたのに対し,ゴルシコフの名は,既に就役してから3年以上経ったキエフ級4番艦(バクー)を改名して命名されている.
なんかゴルシコフの方がぞんざいに扱われているように感じるのは,オレだけかなあ・・・・
(本来ならば,クズネツォフ級2番艦に付けられてもいいはずだが・・・)
スタルヴォ & 夏光華(シア・クァンファ) in FAQ BBS
Сергей Георгиевич Горшков
Gorshkov

【質問】
アレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ提督について教えられたし.
【回答】
2005年2月15日から2007年7月17日まで黒海艦隊司令官を務め,現在はロシア海軍総司令官第一代理となっているアレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ大将
Александр Аркадьевич Татаринов
は,
1950年10月25日,チタ州に生まれる.
1967年にP.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校へ入学,1972年卒業.
卒業後,バルト艦隊で機雷魚雷兵器・後方装備基地研究室長を務める.
1973年,高射砲中隊長に就任.
1976年,大型対潜艦「スラーヴヌイ」砲術長に任命.
1977年から1979年まで,警備艦「ボードルイ」先任副艦長と警備艦「ネウクロチームイ」先任副艦長を務めた.
1980年に高等海軍将校過程を修了した後,大型対潜艦「オブラズツォーヴイ」艦長に就任.
1988年,ミハイル.G.クトゥーゾフ名称海軍大学校を卒業した後,バルト艦隊対潜艦旅団参謀長に就任.
1990年,バルチースク海軍基地(BNB)司令官第一代理(副司令官)に任命.1996年4月,バルチースク海軍基地司令官に昇格.
1997年9月22日,黒海艦隊参謀長に任命.
2005年2月15日,アレクサンドル・タタリノフは,連邦大統領令第152号及び連邦国防相令第137号により,黒海艦隊司令官に任命された.
2005年12月12日,連邦大統領令第1431号及び連邦国防相令第533号により,海軍大将へ昇進.
2007年7月17日,アレクサンドル・クレツェコフ中将と交代して黒海艦隊司令官を退任.
アレクサンドル・タタリノフは,定年(60歳)を迎えて退職するミハイル・ザハレンコ大将の後任として,ロシア海軍総司令官第一代理に就任した.
第3等「軍における祖国への奉仕に対する」勲章,「武勲に対する」勲章を授与されている.
妻と息子1人,娘1人が居る.
ウラジーミル・ヴィソツキー海軍総司令官(2006年12月15日,海軍大将昇進)よりも先任の提督であり,海軍総司令部付きの顧問・相談役といったポジションにあるようです.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 5:06
【質問】
ロシア海軍の報道官について教えられたし.
【回答】
ロシア海軍総司令部および各艦隊司令部には,「報道官兼副官」が配置されています.
Служба информации и общественных
связей
海軍総司令部および各艦隊の公式発表や声明は,彼ら報道官が出します.
2008年7月現在,海軍総司令部および各艦隊司令部の報道官兼副官は,以下の通りです.
[ロシア海軍総司令部報道官兼副官]
イーゴリィ・ヴィクトロヴィッチ・ディガロ1等海佐(1964年生まれ):1枚目の写真
Капитан 1 ранга Игорь Викторович
Дыгало
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/27912201.html
[太平洋艦隊司令部報道官兼副官]
ローマン・ゲンナジーヴィッチ・マルトフ1等海佐(1967年1月25日生まれ):2枚目の写真
Капитан 1 ранга Роман Геннадьевич
Мартов
[北方艦隊司令部報道官兼副官]
イーゴリィ・レオニートヴィッチ・バベンコ1等海佐(1965年6月10日生まれ):3枚目の写真
Капитан 1 ранга Игорь Леонидович
Бабенко
[黒海艦隊司令部報道官兼副官]
アンドレイ・ヴィクトロヴィッチ・クリロフ1等海佐:4枚目の写真
Капитан 1 ранга Андрей
Викторович Крылов
[バルト艦隊司令部報道官兼副官]
ユーリー・ゲオルギエヴィッチ・クロエドフ1等海佐(1965年5月6日生まれ):5枚目の写真
Капитан 1 ранга Юрий Георгиевич
Куроедов
[カスピ小艦隊司令部報道官兼副官]
イーゴリィ・ウラジミーロヴィッチ・シドロフ2等海佐(1973年10月13日生まれ)
Капитан 2 ранга Игорь Владимирович
Сидоров
この6人のうち,太平洋艦隊司令部のマルトフ1佐は,政治士官上がりです.
ロシア連邦国防省公式サイトには,ロシア海軍総司令部および各艦隊のニュースのページが有りますが,
これらのニュースは,彼ら報道官が「編集長」的立場となって配信しているようです.
ロシア海軍総司令部ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/vmf/index.shtml
北方艦隊ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/8948/8949/sf/index.shtml
太平洋艦隊ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/8948/8950/tof/index.shtml
黒海艦隊ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/8948/8951/chflot/index.shtml
バルト艦隊ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/8948/8952/bf/index.shtml
カスピ海艦隊ニュース
http://www.mil.ru/848/1045/1274/8948/8953/kfl/index.shtml





Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/7/5(土) 午後 10:41
【質問】
イーゴリィ・ディガロ・ロシア海軍主席報道官について教えられたし.
【回答】
ロシア海軍に関連するニュースで,よく名前が出てくるロシア海軍総司令部主席報道官(副官)イーゴリィ・ヴィクトロヴィッチ・ディガロ一等海佐
(Капитан 1 ранга"Игорь
Викторович Дыгало")
は,いわばロシア海軍のスポークスマンです.
イーゴリィ・ディガロ氏は1964年生まれ,今年で43歳になります.
レニングラード海軍高等学校を卒業して海軍少尉に任官されました.
その後,北方艦隊の大型対潜艦の副長や水上艦艇部隊の参謀などを務めた後,
1996年,ロシア海軍総司令部の首席報道官に任命され,
1998年からは,ロシア海軍総司令部の副官を兼任しております.
つまり,今年(2007年)で,首席報道官を11年も務めている事になります.
ロシアには「重原子力ロケット巡洋艦"アドミラル・ウシャコフ"の修理と復帰の為の慈善基金」
(Благотворительного фонда
по восстановлению и модернизации
тяжелого атомного ракетного
крейсера "Адмирал Ушаков")
という団体が有るそうですが,イーゴリィ・ディガロ氏は,同基金の創設者の一人でもあります.
イーゴリィ・ディガロ氏は,ラジオ放送局「モスクワの声」Эхо
Москвыで
「アンドレイ旗の下に」Под Андреевским
флагом
という番組を作っております.
彼には妻と息子と娘が居ます.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/12/29(土) 午後 9:58
【質問】
バルチン提督について教えられたし.
【回答】
最近,「黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅可能」と発言し,一部で物議を醸し出したロシア海軍退役大将エドゥアルド・ドミトリーエヴィッチ・バルチン
(Эдуард Дмитриевич Балтин)
は,
1936年12月21日,スモレンスク市生まれ.
1954〜1958年,S.M.キーロフ名称カスピ海高等海軍学校学生
1958年8月〜1960年,警備艦艦長副官
1960年8月〜1967年,警備艦魚雷長
1968年7月〜1969年1月,警備艦副長
1969年1月〜4月,警備艦艦長
1969年4月24日〜1971年6月7日,戦略原子力潜水艦K-249副長
1971年6月7日〜1973年12月21日,戦略原子力潜水艦K-418艦長
1973〜1975年,海軍アカデミー学生
1975年6月24日〜1978年7月20日,第13潜水艦師団首席参謀
1978〜1980年,K.E.ヴォロシーロフ名称参謀本部軍事アカデミー学生
1980年7月〜1982年,第41潜水艦師団司令
1982年〜1983年,北方艦隊の潜水艦戦隊司令官代理
1983年〜1987年,潜水艦戦隊司令官
1987年〜1990年,第2潜水艦小艦隊司令官代理
1990年〜1993年1月15日,太平洋艦隊の海軍アカデミー及び参謀本部軍事アカデミーの戦術教授長
1993年1月15日〜1996年2月21日,黒海艦隊司令官
1993年6月16日,海軍大将昇進
1996年11月,予備役編入
レーニン勲章,
「勇気に対する」勲章,
「ソヴィエト連邦英雄」(「金星」章)称号,
第3等「ソヴィエト連邦軍における祖国への奉仕に対する」勲章,
「軍における奉仕に対する」勲章
を授与
というわけで,原子力潜水艦乗り出身の提督です.
彼が乗務したK-249とK-418は,プロジェクト667A(ヤンキー型)です.
黒海艦隊司令官を務めたのは,ちょうどソヴィエト連邦解体後の「黒海艦隊帰属問題」で揺れている時期でした.
バルチン提督は,黒海艦隊旗艦のロケット巡洋艦モスクワ(スラヴァ級)とロケット艇2〜3隻で,黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅出来ると発言しましたが,彼が黒海艦隊司令官だった頃,その「モスクワ」(当時は「スラヴァ」という名前だった)は,長期修理中でした.
航空評論家・小河正義の『Japan Aviation
News』でも紹介されています.
【黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅可能.露海軍提督"恫喝"】
こちらでは「"前"黒海艦隊司令官」と書かれていますが,むろん正確には,「"元"黒海艦隊司令官」です.
バルチン提督が黒海艦隊司令官を務めていたのは,12年以上前ですよ(^^;
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/9/4(木) 午後 7:44
【質問】
ヴィクトル・ドミトリエヴィッチ・フョードロフ提督について教えられたし.
【回答】
太平洋艦隊司令官ヴィクトル・ドミトリエヴィッチ・フョードロフ大将 Виктор
Дмитриевич Федоров は1947年11月23日生まれであり,昨日(2007年11月23日),60歳の誕生日を迎えました.
これは,ロシア海軍軍人の定年に達した事を意味します.
フョードロフ「中将」が太平洋艦隊司令官に任命されたのは,6年前の2001年12月3日.
その翌年の2002年9月23日,海軍大将に昇進.
年齢から言って,前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン提督(1947年8月24日生まれ)と同年代ですが,2005年9月4日,マソリン提督が海軍総司令官に任命された後も太平洋艦隊司令官に留まり続けました.
フョードロフ氏及びマソリン氏と同年代のウラジーミル・プロコフィエヴィッチ・ワルエフ提督
(1947年7月16日生まれ,1969年海軍高等学校卒業,2001年12月11日大将昇進)
は,2001年4月11日からバルト艦隊司令官を勤めており,彼もマソリン提督の海軍総司令官就任後しばらくはバルト艦隊司令官に留まっていましたが,2006年5月6日,コンスタンチン・シデンコ中将と交代して引退しました.
しかしフョードロフ提督は,太平洋艦隊司令官に留まり続けました.
フョードロフ提督は,今年9月,「同期」のマソリン上級大将が海軍総司令官を引退した後も,太平洋艦隊司令官に留まり続けました.
この為,彼はロシア海軍最先任の提督になってしまいました.
(マソリン提督の後任のヴィソツキー海軍総司令官は,2006年12月15日に海軍大将に昇進しており,フョードロフ提督より4年も遅い)
そのフョードロフ提督も,
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/26927919.html
で紹介したように,近い内にコンスタンチン・シデンコ中将と交代して引退する事になりました.
これほどの長期間,フョードロフ提督が太平洋艦隊司令官に留まり続けた理由は何だったのでしょう?
他の艦隊では,同じ人が,これほど長く司令官を勤めた事は無いと言うのに・・・・
フョードロフ提督は,海軍高等学校(士官学校)を卒業しておらず,航海学校を卒業して海軍に召集された人です.
その経歴を考慮すれば,艦隊司令官にまでなったのは,異例の出世とも言えます.
しかし同時に,その経歴ゆえ,ここまでが限界だったのでしょう.
さすがに航海学校卒業者を海軍総司令官にする事は出来なかったようです.
ただ,フョードロフ提督の前任者ゲンナジー・スーチコフ大将は,北方艦隊司令官に転出したものの,2003年8月の退役原潜K-159沈没事故の責任を問われて罷免.
その後,軍法会議にかけられ,執行猶予2年付きの懲役4年の判決が下された事
(http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/2008308.html参照)
に比べれば,6年間,太平洋艦隊司令官を大過無く勤め上げたヴィクトル・フョードロフ提督は,まだしも幸福だったと言えるでしょう.
ところで,『世界の艦船』2007年6月号に,このような記述があります.
かのアンドレイ・ポルトフ氏が書いた記事です.
(「再生図るロシア海軍・その現況と今後」より)
「消息筋によると,2008年1月,太平洋"艦隊"は太平洋"小艦隊"となり,沿海地方やカムチャツカの3つの戦隊,2つの旅団,5つの分隊のみを擁する小世帯となり,"司令官は大将から少将職となる"」
「2008年1月」まで2ヶ月を切ったこの時期,シデンコ「中将」が太平洋「艦隊」の新司令官に任命される事からも,これはガセ情報でしょう(^^;
写真は,2004年2月,大韓民国を訪問し,韓国海軍提督と会見するフョードロフ大将
(3枚とも左側がフョードロフ大将)



Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/24(土) 午後 7:59
【質問】
ニコライ・ミハイロヴィッチ・マクシーモフ提督について教えられたし.
【回答】
ニコライ・ミハイロヴィッチ・マクシーモフ Николай
Михайлович Максимовは,1956年5月15日,ウクライナ共和国オデッサ州ボルグラード市に生まれる.
1978年,レニンスキー・コムソモール名称海軍高等学校を卒業.
卒業後は北方艦隊で勤務し,潜水巡洋艦戦隊司令部の副官,潜水巡洋艦の乗員,潜水巡洋艦の艦長,潜水艦戦隊の副司令官を務めた.
1986年,海軍将校要員高等特殊学校を卒業
1995年,N.クズネツォフ名称記念海軍大学校を卒業.
2000年,連邦軍参謀本部アカデミーを卒業.
その後,北方艦隊で第7大西洋作戦戦隊の副司令官,小艦隊参謀長,原子力潜水戦隊司令官を務めた.
2005年,北方艦隊の司令官代理(副司令官)に任命.
ニコライ・マクシーモフは,2007年11月19日付のロシア連邦大統領令・第1527号により,海軍総司令官に転出したウラジーミル・ヴィソツキー大将の後任の北方艦隊司令官に任命された.
「第3等"ソビエト連邦軍における祖国への奉仕に対する"勲章」「武勲に対する勲章」を授与されている.
妻と2人の息子が居る.
というわけで,ソ連・ロシア海軍では「エリート・コース」の原子力潜水艦乗り(サブマリナー)出身の提督です.
上記の経歴を見る限り,北方艦隊でしか勤務した事がないようです.
ウラジーミル・ヴィソツキー海軍総司令官と同じウクライナ生まれであり,彼が北方艦隊司令官だった時,副司令官として「女房役」をつとめておりました.
ヴィソツキー海軍総司令官とはツーカーの間柄だと思われます.
写真では制帽をかぶっていますが,この人,禿げています(^^;

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 6:50
【質問】
ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン大将ってどんな人?
【回答】
ウラジーミル・ワシーリエヴィチ・マソリン Владимир
Васильевич Масорин は,
ロシア国防省公式サイト
によれば1947年8月24日,カリーニン(現トヴェリ)市のポロフカで生まれた.
黒海海軍兵学校を卒業した後,対潜艦の砲・ロケット射撃指揮官および戦闘指揮官として北方艦隊で勤務.
1977年に海軍高等特殊士官過程を修了後,ウラジーミル・マソリンは大型ロケット艦の艦長代理,大型対潜艦の艦長,駆逐艦の艦長として勤務した.
1983年には,北方艦隊の駆逐艦旅団の参謀長(旅団長代理)に就任した.
ウラジーミル・マソリンは,1986年に通信教育の校外生として海軍大学校を卒業し,1987年に北方艦隊の駆逐艦旅団の旅団長に任命された.
その後,彼は,北方艦隊の作戦戦隊の司令官となった.
1993年,ウラジーミル・マソリンは参謀大学校を卒業し,北方艦隊の小艦隊司令官第一代理に任命された.
1996年にはカスピ小艦隊司令官に任命され,2002年10月には黒海艦隊の司令官となった.
ウラジーミル・マソリンは2005年に海軍総司令官第一代理(第一副総司令官)に任命された.
2005年9月4日,大統領法令により,彼はロシア海軍の総司令官となった.
ロシア国防省サイトには,ここまでしか書かれていませんが,2006年12月17日,Адмирал
флота (アドミラル・フロータ,上級大将)に昇進しました.
上記の経歴を見る限り,駆逐艦乗り出身で,艦隊勤務経験が豊富な海将と言えるでしょう.
旧日本海軍風に言えば,「水雷屋」というコトになるかな.
前任者ウラジーミル・クロエドフ上級大将は,どちらかと言えば「口八丁」で,「原子力巡洋艦ピョートル・ヴェリキー核爆発騒動」とか「新空母建造計画」など,たびたび物議を醸し出していた「お騒がせ男」でしたが,マソリン氏は対照的に,堅実というか地味な性格の人のようです.
中央のマイク前に立っているのがマソリン

左端がマソリン

中央がマソリン

(うそ)
夏光華(シア・クァンファ) in Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/29(火) 午後 7:18,
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/15(日) 午後 2:39
& in FAQ BBS
▼ なお,2007年9月にマソリン提督は引退しました.
ロシア海軍総司令官マソリンは,定年に達した為に退職した
モスクワ,9月13日(RIAノーボスチ)
木曜日,軍当局は,RIAノーボスチ(ロシア国営通信社)に対し,ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン提督は,定年を迎えた為に引退すると伝えた.
「海軍総司令官ウラジーミル・マソリンは,定年に達した為に辞職する」
と軍当局は言った.
マソリンは,8月24日に60歳の誕生日を迎えた.
新しいロシア海軍総司令官には,北方艦隊司令官ウラジーミル・ヴィソツキー大将が任命されると見られている.
[/quote]
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/9/13(木) 午後 8:14▲
▼ 9月に退職した前ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将ですが,国防相顧問として現役復帰するようです.
――――――
前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将は,ロシア連邦国防相の顧問に任命される
ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将を軍事組織に戻す事を決定した.
彼は派遣将校として,軍の海洋兵器開発に関してアドバイザーの役割を果たす事になる.
2007年9月13日,彼は8月24日に60歳を迎えて年齢制限に達した為,ロシア海軍総司令官を名誉退職,年金生活に入ると公式発表された.
ウラジーミル・マソリンは,教育学博士の候補者でもあり,2001年に教育学位を取得した時の論文のテーマは,「北カフカス地方の実例に基づく"武力紛争という条件下における兵士の戦闘即応性"」だった.
彼は「軍における功績」,第3等「祖国に対する顕著な奉仕」,「赤い旗」 勲章を授与されている.
彼には,妻と2人の息子が居る.
次の事が認められ,定年退職は数か月延長された.
アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍再生の為の提督の遠慮なき意思を見出し,彼に,この重要な役割を任せる事にしたのである.
(2007年12月26日)
――――――
そう言えば,あのアンドレイ・ポルトフは,『世界の艦船』2007年6月号で
「マソリン大将は,極めて影の薄い人物」
などと書いておりましたが・・・・・
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/12/26(水) 午後 4:53
▲
【質問】
マルドゥシン提督について教えられたし.
【回答】 バルト艦隊司令官ヴィクトル・ニコラエヴィッチ・マルドゥシン中将
Командующий Балтийским
флотом Вице-адмирал Виктор
Николаевич Мардусин
(ちなみに,2008年5月18日の今日,バルト艦隊は創設305周年を迎えました)
1958年3月18日,ブリャンスクに生まれる.
1980年,P.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校を卒業後,バルト艦隊の小型ロケット艦艦長補佐として赴任.
1986年,高等特殊将校課程を終了後,小型ロケット艦艦長補佐,大型ロケット艦艦長補佐,大型ロケット艦艦長,駆逐艦艦長を歴任.
1991年,海軍アカデミーを卒業後,バルト艦隊の小型ロケット艦大隊司令,ロケット艦旅団司令代理,,ロケット艦旅団司令,バルチースク海軍基地参謀長,バルチースク海軍基地司令官代理を歴任.
2001年,バルチースク海軍基地司令官に任命.
2003年,太平洋艦隊司令官代理に任命.
2005年3月9日,黒海艦隊司令官第一代理に任命.
2006年5月から,太平洋艦隊参謀長・太平洋艦隊司令官第一代理を務める.
2007年12月6日,49歳のマルドゥシンは,ロシア連邦大統領令により,バルト艦隊司令官に任命された.
ヴィクトル・マルドゥシンは,「ロシア連邦における祖国に対する顕著な奉仕」「軍における功績」勲章を授与されている.
マルドゥシンには,妻と,娘および息子が居る.

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/18(日) 午後 2:08
【質問】
セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロ提督について教えられたし.
【回答】
ノヴォロシースク海軍基地司令官セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロ中将
Командир Новороссийской
Военно-Морской Базы
Вице-Адмирал Сергей Иванович
Меняйло
は,現在47歳の若い提督です.
2枚目の写真は,ノヴォロシースク海軍基地に保存されている巡洋艦「ミハイル・クトゥゾフ」艦上で撮影されたものですが,手前の右端に写っている人(やや下を向いている人)がメニャイロ中将です.
セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロは,1960年8月22日,北オセチア共和国のアラギル市に生まれる.
1983年,S.M.キーロフ名称赤旗カスピ海軍高等学校を卒業.
指揮・航海部門を選択後,北方艦隊のコラ小艦隊所属の海岸掃海艇の航海長に任命された.
1986年,最初の指揮官職として,海岸掃海艇BT-22の艇長に任命された.
それから5年後,海洋掃海艦「コントル・アドミラル・ウラソフ」の艦長に任命.
1990年,ムルマンスク州議会の代議員に選出された.
1995年にソ連邦海軍元帥N.G.クズネツォフ名称海軍大学校を卒業.
1998年,カスピ小艦隊の海域警備部隊の参謀長・司令官代理に任命.
2002年,ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー卒業.
2004年6月22日,ロシア連邦大統領令により,44歳でノヴォロシースク海軍基地参謀長に就任.
2005年,ノヴォロシースク海軍基地司令官に昇格.
2007年6月6日付のロシア連邦大統領令第717号及び翌6月7日付の連邦国防相令第212号により,46歳で海軍中将へ昇進した.
海軍在職中,「武勲に対する」勲章を国防相から授与されている.
掃海艦艇での勤務が多いという地味な経歴の提督ですが,近い将来,黒海艦隊主要基地となるノヴォロシースク海軍基地の司令官に任命され,46歳で中将に昇進するくらいですから,ロシア海軍部内では高く評価されていると思われます.
いずれは黒海艦隊か,他の方面艦隊の司令官に任命されるでしょう.


Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/23(金) 午後 8:16
【質問】
現在のロシア太平洋艦隊司令官って,どんな人?
【回答】
ヴィクトル・ドミートリエヴィッチ・ヒョードロフ大将.
新任の海軍総司令官マソリン大将と同い年だが,中国生まれ.
(つーか1947年って,まだ国共内戦の真っ最中だったよね)
「1968年,極東航海学校を卒業し,海軍の現役軍務に召集された」
と有るので,正規の海軍兵学校出身では無いようだ.
旧日本海軍で言えば,高等商船学校を卒業して海軍士官に任用された人々に相当する.
「1993年,諸兵科連合部隊司令官に任命」
「諸兵科連合部隊」というのは,太平洋艦隊の主力水上艦艇部隊の事で,原子力巡洋艦アドミラル・ラーザレフ(旧フルンゼ)やスラヴァ級巡洋艦,ソブレメンヌイ級駆逐艦などで構成される.
1993年当時なら,この他に,カーラ型,クレスタII型,カシン型も少数が残っていたし,
キエフ級航空巡洋艦ミンスク,ノヴォロシースクも,書類の上では指揮下に有ったコトになる.
(この2隻が正式に除籍されたのは1994年なので)
この経歴を見ると,海軍に召集されて以来,ほとんど太平洋艦隊でのみ勤務していたようだ.