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◆◆◆提督
<◆◆人物
<◆ロシア海軍 目次
ロシアFAQ目次


(tumblrより引用)


 【link】

「CRS@空挺軍 in mixi」(2010年02月28日)◆
Сто лет со дня рождения Сергея Горшкова. Юбилей легендарного адмирала
 ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥の生誕100周年式典

「FLOT.com」◆(2010/08/23)Виктор Чирков может стать новым командующим Тихоокеанским флотом
ヴィクトル・チルコフ提督,太平洋艦隊新司令官に就任か?

「FLOT.com」◆(2010/08/23)Командовать Балтийским флотом будет контр-адмирал Сергей Фарков
バルチック艦隊新司令官は,セルゲイ・ファルトフ提督の模様

「FLOT.com」◆(2010/09/16)Начальником штаба ТОФ назначен контр-адмирал Рябухин Андрей Владимирович
Andrei Ryabukhin少将,太平洋艦隊参謀長に任命さる

「六課」ACS◆(2012/12/26) ロシア海軍総司令官は語る

「六課」ACS◆(2013/01/28) 前ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキーは軍務へ復帰する


 【質問】
 セルゲイ・アヴァキャンツとは?

 【回答】
 セルゲイ・ヨシフォヴィッチ・アヴァキャンツは,1957年4月6日,アルメニア共和国首都エレバンに生まれました.
 父(ヨシフ・アヴァキャンツ)もソ連海軍士官でした.

 1980年にP.S.ナヒーモフ記念黒海海軍高等学校を卒業後,北方艦隊の大型対潜艦「アドミラル・ユマシェフ」にて,1980〜1985年まで勤務しました.

 1985〜1996年までロケット巡洋艦「マルシャル・ウスチーノフ」で勤務し,1991年には同艦の艦長に任命されました.
 アヴァキャンツ氏が艦長を務めていた頃,同艦はサンクトペテルブルクでオーバーホール中でした.

 1996年〜1998年に第43ロケット艦師団司令官代理,
1998〜2001年に第43ロケット艦師団参謀長,
2001〜2003年に第43ロケット艦師団司令官,
2003〜2005年に第7大西洋作戦戦隊参謀長を務めた後,
2005〜2007年には参謀本部軍事アカデミーに在学していました.

 アカデミー卒業後の2007年に,黒海艦隊ノヴォロシースク海軍基地参謀長,
2007〜2010年には太平洋艦隊の沿海地方異種兵力連合小艦隊司令官を務めました.
 2009年10〜12月には太平洋艦隊旗艦「ワリャーグ」と支援船を率いて,シンガポールを訪問しています.

 2010年8月25日,太平洋艦隊参謀長に任命されました.

 2010年10月以降,ロシア太平洋艦隊司令官を臨時代行していました.
 以前の太平洋艦隊司令官コンスタンチン・シデンコ大将は,2010年10月29日に,新設の東方軍管区――旧極東軍管区及びシベリア軍管区を統合し,更には海軍の太平洋艦隊と空軍部隊も加えた陸海空統合部隊――司令官に就任していました.
 しかし,後任の太平洋艦隊司令官はすぐには発令されず,参謀長アヴァキャンツ少将が司令官代行を務めていました.

 2012年5月,正式に太平洋艦隊司令官に任命されました.

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 『ロシア通信社ノーボスチ・極東管区ニュース』より.
【アヴァキャンツ少将は太平洋艦隊司令官に任命された】
モスクワ,5月3日-ロシア通信社ノーボスチ

 ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフは,セルゲイ・アヴァキャンツをロシア連邦太平洋艦隊司令官に任命した.
 木曜日,クレムリン広報サービスは発表した.
〔後略〕
(2012年5月3日21時03分配信)

--------------------------------------------------------------------------------

セルゲイ・アヴァキャンツ

新「六課」,2012/5/3
より再構成


 【質問】
 ミハイル・アブラモフ提督について教えられたし.

 【回答】
 ミハイル・アブラモフ提督は,1956年7月6日生まれ.
 2009年現在,52歳の若い海軍大将です.

 主に太平洋艦隊で勤務し,2002年10月の日本海上自衛隊創設50周年国際観艦式の際には,親衛ロケット巡洋艦「ワリャーグ」に乗って横須賀を訪れています.
 この時は,沿海州異種兵力小艦隊司令官でした.

 その後,2003年6月21日,バルト艦隊参謀長に任命,
2004年5月28日,北方艦隊司令官に任命され,
2005年9月4日,ロシア海軍総参謀長に就任しました.

 しかし2009年6月,健康上の理由により,退役する為の辞表を書きました.

 情報筋によると,現在,実際にアブラモフの職務は,ロシア連邦海軍総参謀長第一代理オレグ・ブルツェフ海軍中将によって遂行されています.
 しかし,現在,ロシア連邦海軍総司令官第一代理のポストに在る58歳のアレクサンドル・タタリノフ海軍大将が,後任のロシア連邦海軍総参謀長に任命される見通しです.

 ちなみにロシア軍において,海軍大将(大将)の軍への在籍年齢制限は60年であり,海軍中将および海軍少将(中将および少将)は55年です.

 【参考ページ】
「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」,2009/6/2(火) 午後 7:22


 【質問】
 アレクミンスキー提督について教えてください.

 【回答】
 カスピ小艦隊司令官セルゲイ・ガヴリロヴィチ・アレクミンスキー少将は,1961年9月26日生まれで現在51歳です.

 1983年に太平洋艦隊海軍高等学校を卒業した後,北方艦隊の小型対潜艦で勤務しました.
 1996年に海軍大学校を卒業後,太平洋艦隊へ転属しました.

 その後,太平洋艦隊の北東軍兵力集団参謀長兼司令官第一代理に任命され,2009年にはソマリア海賊対処部隊指揮官としてアデン湾へ行きました.
[ロシア海軍第4次ソマリア遠征]

 アレクミンスキー少将率いる部隊は,アデン湾で海賊と交戦した事は一度も無かったようですが,翌2010年9月5日にカスピ小艦隊司令官へと栄転しました.

新「六課」◆(2012/11/04) カスピ小艦隊は新たなロケット艦を取得する
青文字:加筆改修部分

アレクミンスキイ近影
(こちらより引用)


 【質問】
 ウシャコフ提督について教えられたし.

 【回答】
 フョードル・フョードロヴィッチ・ウシャコフ大将は1744年生まれで1766年海軍入隊,
 1787年に始まったロシア・トルコ戦争(露土戦争)では黒海艦隊司令長官として活躍し,
1788年のフィドニス海戦,
1790年のケルチ海峡海戦,テンドラ海戦,
1791年のカリアクリア岬海戦
のいずれも勝利を収めました.
 1798年には地中海に進出,トルコ軍コルフ島要塞を強襲占領,1799年にはナポリ,ローマなどのイタリア諸都市をフランスから解放するといった具合に連戦連勝,「常勝提督」として勇名を馳せました.
 1817年歿.

 2002年,ロシア正教会は,フョードル・フョードロヴィッチ・ウシャコフを聖人に列し,彼の遺骸(聖人になったから聖骸と言うべきか)はロシア海軍の各方面艦隊に分けられました.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜,
2007/4/3(火) 午後 7:07


 【質問】
 ウラジーミル・ヴィソツキー提督とは?

 【回答】
 ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・ヴィソツキーВладимир Сергеевич Высоцкийは,ロシア連邦の軍人,ロシア海軍総司令官.大将.

==経歴==

http://www.mil.ru/eng/1862/12068/12088/12222/12241/12383/index.shtml
によれば,
1954年8月18日,ウクライナ共和国リボフ州のコマルノ村に生まれる.

1976年に黒海高等海軍学校を卒業した後,彼は太平洋艦隊の大型対潜艦の水雷長や,巡洋艦「アドミラル・セニャーウィン」艦長付き先任副官,ロケット巡洋艦の副長を務めた.

1982年に海軍特殊将校課程を終えた後,重航空巡洋艦「ミンスク」の副長を務める.

1990年に海軍大学校を卒業後,太平洋艦隊へ配備予定の重航空巡洋艦「ワリャーグ」艦長に任命された.
 しかしソヴィエト連邦が解体された為「ワリャーグ」の建造工事は中止された.

1992年,太平洋艦隊の第36ロケット艦師団の副司令官に任命され,1994年,同師団の司令官に昇格した.

1999年にロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミーを修了後,北方艦隊の小艦隊参謀長や小艦隊司令官第一代理を勤めた.

2005年8月20日,ウラジーミル・ヴィソツキーは,バルト艦隊参謀長兼司令官第一代理に任命された.

 それから一ヵ月後の
2005年9月26日,連邦大統領令1108号により,海軍総参謀長に就任するミハイル・アブラモフの後任として,51歳で北方艦隊司令官に任命された.

2006年12月15日,52歳で海軍大将に昇進.

2007年9月11日,連邦大統領令により,ウラジーミル・ヴィソツキーは,定年退職するウラジーミル・マソリン上級大将の後任として,53歳でロシア海軍総司令官に就任した.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/11(日) 午前 10:09

 写真で見ると,タダの冴えないオッサンのようですが,現時点でまだ52歳と若いし,バルト艦隊参謀長からいきなりロシア海軍最大の方面艦隊司令官に抜擢されたくらいですから,只者では無いでしょう.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/15(金) 午後 10:05

▼ 2007/9/21には海軍総司令官に就任.
 以下,ロシア国防省公式サイトより.

ロシア海軍総司令部で任命式が行われ,ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍新総司令官にウラジーミル・ヴィソツキーを任命

 本日(2007年9月21日),ロシア海軍総司令部で任命式が行なわれ,ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍新総司令官にウラジーミル・ヴィソツキーを任命した.
 ロシア海軍総司令部で行なわれた式典において,海軍総司令官にウラジーミル・ヴィソツキー大将が指名された.
 連邦国防相アナトーリー・セルジュコフからウラジーミル・ヴィソツキー大将に授受された海軍総司令官旗(Штандарт)は,海軍を指導する責務を象徴する.

 式典において,ウラジーミル・マソリン海軍上級大将に,ロシア連邦大統領より「第4等"軍における祖国への奉仕に対する"勲章」が授与された.
 連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍総司令官として祖国へ奉仕したウラジーミル・マソリン海軍上級大将に感謝した.

[/quote]

 写真1枚目がロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフ,
 2枚目の画像は,海軍総司令官旗(Штандарт главнокомандующего Военно-Морским Флотом)です.
(2005年9月10日制定)

 〔略〕

 ロシア国防省公式サイト「ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキー」紹介ページ
http://www.mil.ru/eng/1862/12068/12088/12222/12373/index.shtml

「2007年9月11日,大統領令により,彼はロシア海軍総司令官に就任した」
と記述されているので,彼を海軍総司令官に任命したのは,ウラジーミル・プーチン氏という事になります.

 RIAノーボスチでも報道されています.
セルジュコフは,ロシア海軍の新しい総司令官を任命した

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/9/21(金) 午後 9:05

▼ この記事
http://arms-tass.su/?page=article&aid=75464&cid=25
では,海軍総司令官ヴィソツキー氏の階級を「адмирал флота」(海軍上級大将)と記しています.
 昇進したんでしょうか・・・?

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2009/9/13(日) 午前 3:54
より抜粋
青文字:加筆改修部分

 2012年5月6日,バルト艦隊司令官ヴィクトル・チルコフ中将は,ウラジーミル・ヴィソツキー大将に代わる新たなロシア連邦海軍総司令官に任命されました.
[ヴィクトル・チルコフは新たなロシア海軍総司令官に任命された]

 ウラジーミル・ヴィソツキー提督が,海軍総司令官の任を解かれたのは,ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転を,実行に移そうとしなかった為でした.

 以下,『ロシア通信社ノーボスチ』より.

--------------------------------------------------------------------------------
【海軍総司令官辞任の理由はサンクト-ペテルブルクへの司令部移転停滞であった】
モスクワ,5月12日-ロシア通信社ノーボスチ

 ウラジミール・ヴィソツキー大将がロシア連邦海軍総司令官のポストを辞任した理由は,モスクワからサンクト-ペテルブルクへの海軍総司令部移転の必要性に関する,参謀本部及び国防省の指示を無視した為である.
 土曜日,参謀本部の高位の代理人はロシア通信社ノーボスチに伝えた.

 ヴィソツキーは,5月6日の大統領令により任を解かれたが,軍務には留まった.
「ヴィソツキーは,サンクト-ペテルブルクへの移転を実施しておりません.これが辞任の主な理由です」
代理人は述べた.

 同時に彼は,この問題に関するヴィソツキーの確固たるスタンスの維持は,尊敬に値する事を強調したが,新たな海軍総司令官は,サンクト-ペテルブルクへの総司令部移転に関しては,同じ見解を保持する.

 同じ5月6日の大統領令では,新たなロシア海軍総司令官にヴィクトル・チルコフ中将が任命された.
 土曜日,国防省の情報提供者は,モスクワからサンクト-ペテルブルクへのロシア連邦海軍総司令部の移転費用は,専門家の試算によると2008年当時の物価で400〜500億ルーブルになるとロシア通信社ノーボスチに伝えた.
「確かに,機器だけではなく100名の士官や提督も移動させ,北方首都??エリアへの防御された指揮所の建設も考慮に入れて算定しております」
 代理人は,2008年に海軍総司令部では,約1000名が勤務していた事を想起した.

 彼は,総司令部移転に関する参謀本部の指示を,ヴィソツキーが根本的に実施できなかった事を強調した.
「しかし,彼は移転の文書に対し,急がず,よく検討し,基盤を準備する事を主張し,海軍本部の建物だけではなく,美観の修復とロシア連邦海軍総司令部の看板に拘っていました」
 代理人は述べた.
 それは管理システムを作成し,士官及び提督の定住に関する社会問題を解決し,海軍の管理の基本原理を維持する為にも必要だったと彼は付け加えた.

 参謀本部および国防省の主導による,海軍総司令部のモスクワからサンクト-ペテルブルクへの移転構想は,2007年に出てきた.
 それは,クズネツォフ記念海軍アカデミー,設計局「ルビーン」および「マラヒート」,造船工場「セーヴェルナヤ・ヴェルフィ」および「バルチースキー・ザヴォード」を含む,海軍関連の主要教育及び産業の中枢が,北方首都に集約されているという事実に起因する.
(2012年5月12日10時52分配信)
--------------------------------------------------------------------------------

 これまでヴィソツキー提督は,ロシア海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転に関し,明確な反対や批判の意向を示した事は有りませんが,積極的に実施する意向を示した事も有りませんでした.
[ロシア海軍総司令部サンクト・ペテルブルク移転問題]
[ロシア海軍総司令部は,サンクト・ペテルブルク移動についての指示を得ていない]
[予算凍結に伴い,サンクトペテルブルクへのロシア海軍総司令部移転は遅れる]

 ヴィソツキー提督は,移転そのものには反対しないが,それはじっくりと時間を掛けて行なうべきであるというスタンスを持っていたようです.

 しかし国防省サイドにしてみれば,ヴィソツキー提督の手法はじれったく思え,彼が総司令官の地位にある限り,海軍総司令部のサンクト-ペテルブルク移転は実現しないと思われたのでしょう.

ロシア海軍報道・情報管理部機動六課(FC2)
◆(2012/05/13) ヴィソツキー提督は海軍総司令部移転を実施しなかった為に解任された

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アレクサンドル・ヴィトコ提督について教えられたし.

 【回答】
 アレクサンドル・ヴィクトロヴィッチ・ヴィトコ Александр Викторович ВИТКО は,1961年9月13日生まれ.
 ナヒーモフ記念黒海海軍高等学校を卒業後,太平洋艦隊で勤務し,ロケット艇の艇長を務めました.
 2009年,彼は北方艦隊司令官代理に任命されました.
 北方艦隊司令官代理となったヴィトコ中将は,2011年12月-2012年2月の重航空巡洋艦「アドミラル・クズネツォフ」の地中海遠征の際の機動部隊指揮官を務めました.
[アドミラル・クズネツォフ地中海遠征2011-2012]

 2013年4月17日,彼は黒海艦隊司令官に任命されました.

 【参考ページ】
http://rybachii.blog84.fc2.com/blog-entry-779.html
http://www.47br-ovra.com/vitse-admiral-vitko-v
http://rybachii.blog84.fc2.com/blog-entry-838.html

【ぐんじさんぎょう】, 2013/11/27 20:00
を加筆改修


 【質問】
 ウラディーミル・カサトノフ提督について教えられたし.

 【回答】
 ウラジーミル・リヴォヴィチ・カサトノフ少将(写真)は,1962年6月17日生まれで現在50歳です.

▼ ウラジーミル・リヴォヴィチ・カサトノフは,ソヴィエト及びロシア海軍の歴史において最も有名な王朝の一つの代表者である.
 ナヒーモフ海軍学校を卒業し,その後,P.S.ナヒーモフ記念黒海高等海軍学校で金メダルを受けた(1984年).

 学校を卒業した後,北方艦隊の重原子力ロケット巡洋艦「キーロフ」のロケット大隊管理グループのロケット砲戦闘班長に任命された.
 1987年9月には,同艦の大隊長となり,1988年には同艦の艦長補佐官となった.

 1991年7月,駆逐艦「グレミャーシチー」の艦長上級補佐官に任命され,1994年4月には駆逐艦「ラストロープヌイ」の艦長上級補佐官,1994年12月には同艦艦長となった.

 1997年9月,N.G.クズネツォフ記念海軍アカデミー第1学部の聴講生となり,1999年6月,優秀な成績でアカデミーを卒業し,北方艦隊司令部の組織動員管理部の動員課長に任命された.▲

 ウラジーミル・リヴォヴィチは2000年,原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」艦長に任命されました.

▼ 2003年2月21日にはロシア連邦大統領により,海軍少将の階級を授与された.▲

 2004年3月の原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」核爆発騒動の際,同艦の艦長でした.
[ピョートル・ヴェリキー「核爆発」騒動]

 この時には,当時のロシア海軍総司令官から「艦長の責任を問う」などと公言されましたが,結局,カサトノフ艦長の責任とやらは不問にされたようです.
 カサトノフ艦長の叔父であるイーゴリ・カサトノフ退役大将は,1990年代に黒海艦隊司令官やロシア海軍総司令官第一代理を務めており,退役後もロシア海軍には一定の影響力を持っていました.

 彼の祖父ウラジーミル・アファナシエヴィチ・カサトノフ海軍元帥,叔父のイーゴリ・ウラジーミロヴィチ・カサトノフ大将もソ連/ロシア海軍の軍人でした.
(写真:右がウラジーミル・リヴォヴィチ,左はイーゴリ・ウラジーミロヴィチ)

 ウラジーミル・リヴォヴィチが海軍軍人を志したのも,祖父と叔父の影響でした.

 ちなみに,ウラジーミル・リヴォヴィチの父はバイオリニストでした.

 2004年9月の,北大西洋への遠距離航海(同年3月の核爆発騒動の半年後)の時の「ピョートル・ヴェリキー」艦長も,ウラジーミル・リヴォヴィチでした.
[大西洋上のクズネツォフ・その2(機動部隊)]
[大西洋上のクズネツォフ・その3(機動部隊)]

▼ 2005〜2006年には北方艦隊ロケット艦師団参謀長を務めた.

 2006年9月,ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミーの聴講生となった.
 アカデミーでの研究中に修士号論文を発表した.

 2008年8月,北方艦隊ロケット艦師団司令官に任命された.▲

 カサトノフ少将は,2008年9月から翌2009年3月の原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」遠距離航海の際には,航海指揮官を務めました.
[ロシア艦隊の大西洋・カリブ海遠征]

▼ 2008年10月,北方艦隊戦闘艦船支隊の指揮官として大西洋(ベネズエラへの航海),インド洋,更には地中海で一連の任務を完遂した.
 この間,2009年2月にはアデン湾でソマリア海賊10名を拘束した.
[ロシア海軍原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」,3隻の海賊船を拘留]

 2010年4月,赤旗コラ異種戦力小艦隊司令官に任命されました.

 同年,北方艦隊の原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」が極東まで遠征した際,同艦に乗って沿海地方へ来訪しました.

 そして2010年5〜6月に太平洋艦隊のロケット巡洋艦「ワリャーグ」,海洋救助曳船「フォーチィ・クリロフ」,給油船「ボリス・ブートマ」の3隻がアメリカ訪問の為の遠距離航海を行なった際,ウラジーミル・リヴォヴィチが指揮官を務めました.

▼ 2012年,3艦隊-北方艦隊,バルト艦隊,黒海艦隊-合同艦船支隊の指揮官として地中海で任務を遂行した.

 2012年7月から8月には,北方・バルト・黒海艦隊合同艦船グループ指揮官として地中海で行動した.
[北方・バルト・黒海艦隊合同艦船グループの地中海遠征]

 「軍への奉仕」,「海軍への奉仕」勲章を授与され,ソヴィエト連邦,ロシア連邦,その他の国からメダルを授与された.

 2012年9月14日のロシア連邦大統領令・第1290号により,太平洋艦隊司令官第1代理兼参謀長に任命された.

 2012年11月,ロシア太平洋艦隊参謀長兼司令官第1代理に就任した.
 『ロシア連邦国防省公式サイト』より.
 ロシア連邦軍東方軍管区広報サービス発表;
2012年11月6日11時43分配信
[太平洋艦隊は新たな参謀長を紹介した]

 彼の直属上司である太平洋艦隊司令官は,セルゲイ・アヴャキャンツ少将である.
[セルゲイ・アヴァキャンツ少将はロシア太平洋艦隊司令官に任命された]
 アヴァキャンツ少将も,カサトノフ少将と同じ,P.S.ナヒーモフ記念黒海海軍高等学校の卒業生であり,その後,同様に北方艦隊で勤務している.▲

 ロシア連邦軍機関紙『クラースナヤ・ズヴェズダー』より
2012年6月30日02時35分配信
【艦隊の伝統は積み上げられる】
 これはウラジーミル・リヴォヴィチ・カサトノフ少将へのインタビュー記事です.

新「六課」,2012/07/18
新六課,2012/11/06(2013.6.7追記分)
より再構成


 【質問】
 ヴィクトル・クラフチェンコ提督について教えられたし.

 【回答】
 ヴィクトル・アンドレイヴィチ・クラフチェンコは,1943年12月5日に生まれました.
現在,69歳です.
 1968年にフルンゼ海軍高等学校を卒業して海軍士官となり,以後,1991年まで一貫して黒海艦隊でディーゼル潜水艦乗りとして勤務したサブマリナーです.

 1991年にバルト艦隊司令官第1代理に就任,初めて黒海艦隊以外の部隊で勤務した後,1996年には古巣の黒海艦隊へ戻り,同艦隊司令官に就任しました.
 ちょうどロシアとウクライナの黒海艦隊帰属分割問題の真っ最中でした.
 1996年に海軍大将へ昇進し,彼が司令官在任中の1997年には,ロシアとウクライナの黒海艦隊協定が成立し,この問題は一応解決しました.
 黒海艦隊司令官在任中は,大型対潜艦「ケルチ」に将旗を掲げました.

 1998年7月,ロシア連邦海軍総参謀長に栄転し,2005年2月まで務めた後,海軍を去りました.

 今では軍事評論家として,ロシアのメディアに出ています.

「六課」ACS,2013/03/02
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 クズネツォフとゴルシコフとの仲は悪かったの?

 【回答】
 悪かった模様.
 以下引用.

 ニコライ・クズネツォフ氏はセルゲイ・ゴルシコフの前任の海軍総司令官ですが,フルシチョフの意向に逆らって解任,しかも,ソ連邦海軍元帥の称号を剥奪され,海軍中将に降格させられた上で退役した.
 その後,フルシチョフが失脚し,クズネツォフ氏が死亡すると,クズネツォフ氏の名誉回復とソ連邦海軍元帥への再昇格を求める声が各地から上がりました.
 しかし,それを頑なに拒絶したのが,当時の海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフだったのです.

 結局,クズネツォフ氏がソ連邦海軍元帥への再昇格を果たしたのは,ゴルシコフ引退後の1980年代後半の事でした.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/14(土) 午後 8:21


 【質問】
 アレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ提督について教えられたし.

 【回答】
 今年(2007年)7月17日からロシア黒海艦隊司令官を務めているアレクサンドル・ドミトリーエヴィッチ・クレツェコフ中将 Александр Дмитриевич Клецков

1955年8月16日,ブリヤンスク州生まれ.

1978年,カリーニングラード海軍高等学校を卒業した後,タリン海軍基地の沿岸掃海艇「アルタイスキー・コムソモーレッツ」副長を勤め,次いで沿岸掃海艇「コムソモーレッツ・エストーニィ」艇長に任命された.

1983年から1998年に掛けて,バルチースク海軍基地の掃海艇師団の参謀長と師団長,レニングラード海軍基地艦艇部隊の参謀長と司令官代理を歴任した.

1989年,N.G.クズネツォフ名称海軍大学校卒業.

1998〜2001年までバルチースク海軍基地の参謀長.
2001〜2003年,ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミーの学生.
卒業後,バルチースク海軍基地司令官,次いでバルト艦隊参謀長に任命された.

 クレツェコフ中将は,52歳の誕生日を迎えた2007年7月17日付のロシア連邦大統領令第917号及び2007年7月18日付のロシア連邦国防相令第834号により,アレクサンドル・タタリノフ大将の後任として黒海艦隊司令官に任命された.
 アレクサンドル・クレツェコフ海軍中将は「祖国に対する顕著な奉仕」「軍における功績」勲章を授与されている.

 クレツェコフには,妻と息子が居る.

 直属の部下であるノヴォロシースク海軍基地司令官セルゲイ・メニャイロ中将と同様,掃海艦艇での勤務が多いという地味な経歴の提督です.

 上記の経歴を見る限り,海軍高等学校卒業後,黒海艦隊司令官に任命されるまでバルト艦隊だけで勤務していたようです.

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Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 5:40


 【質問】
 ウラジーミル・ペトロヴィチ・コモエドフ提督とは?

 【回答】
 ウラジーミル・ペトロヴィチ・コモエドフ退役大将は,1998〜2002年までロシア黒海艦隊司令官を務めていた提督です.
 1950年8月14日生まれで現在61歳です.
 現在,ロシア海軍総司令官第一代理として現役に留まっているアレクサンドル・タタリノフ大将の「同期生」です.

 2002年10月,当時のロシア海軍総司令官ウラジーミル・クロエドフ上級大将と対立して海軍を追われました.
 その後,2007年にロシア共産党から立候補し,下院議員になりました.

 そして,彼を追放したクロエドフ総司令官は,数年後に新空母建造計画を発表しました.
[ロシアは2015年まで空母を建造しない]

 その後任のウラジーミル・マソリン上級大将も,新空母計画を発表しました.
[ロシアは,2015年以降に新たな航空母艦を建造する]
[ロシア空母は潜水艦と水上艦を保護しなければならない]

 そのまた後任のウラジーミル・ヴィソツキー大将も,空母建造計画について度々表明していました.
[ロシアは,2060年までに5〜6隻の空母を保有する]
[ロシアは,北方艦隊と太平洋艦隊に5〜6隻の空母を配備する]
[ロシア海軍は,海洋航空複合体を構築する]
[ロシア新空母,2020年までに完成?]
[ロシア海軍の新空母は2020年以降に建造を開始する]

 コモエドフ氏は,これらの動きが気に入らなかったようです.
 更に付け加えると,2002年に彼を解任した当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチンにも好意的である筈が無く,それは,プーチンの与党ではなく野党の共産党から立候補している事からも伺えます.

新「六課」,2012/5/6
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ワシーリー・コンダコフ提督とは?

 【回答】
 ロシア海軍黒海艦隊のロケット巡洋艦モスクワに将旗を掲げ,空母アドミラル・クズネツォフ部隊と行動を共にした黒海艦隊司令官代理ワシーリー・ゲオルギエヴィッチ・コンダコフ中将
Заместитель командующего ЧФ
Вице-адмирал Василий Георгиевич Кондаков

 ロシア連邦国防省公式サイトより,彼の略歴.

 ワシーリー・ゲオルギエヴィッチ・コンダコフは,1954年5月30日,ヨーロッパ・ロシア南東部のヴォルゴグラード州ノヴォニコラエフスキー町に生まれる.

1976年,P.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校を卒業後,太平洋艦隊司令部へ配属される.

1976年から1999年までの太平洋艦隊での勤務において,沿岸防衛部隊の幕僚から始まり,最後は原子力潜水艦師団司令官を務めた.

1977〜1978年:原子力潜水艦ロケット戦闘部技術将校
1978〜1982年:原子力潜水艦戦闘部長
1982〜1983年:海軍高等特殊将校クラス聴講生
1983〜1985年:原子力潜水艦先任副艦長
1985〜1988年:原子力潜水艦艦長
1988〜1990年:海軍アカデミー学生
1990〜1992年:潜水艦師団司令官代理
1992〜1994年:太平洋艦隊・カムチャツカ小艦隊司令部作戦部長代理
1994年:太平洋艦隊潜水艦師団司令官
1994〜1996年:連邦軍参謀本部アカデミー学生
1996〜1999年:太平洋艦隊潜水艦師団司令官
1999〜2002年:オブニンスク原子力潜水艦乗組員訓練センター所長
2002〜2005年:海軍総司令部戦闘訓練管理部長
2005年9月,黒海艦隊司令官代理に任命

 ロシア連邦軍当局より勲章を授与されている.

 妻と,娘および息子が居る.

「ロシア空母『アドミラル・クズネツォフ』特設報道部」,2008-05-18


 【質問】
 コンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ提督について教えられたし.

 【回答】
 今月初め,ロシア太平洋艦隊司令官に就任したばかりのコンスタンチン・セメノヴィッチ・シデンコ中将 Константин Семенович Сиденко は,
1953年2月2日,ハバロフスクに生まれる.
1975年,S.O.マカロフ名称太平洋海軍高等学校卒業

 卒業後,まず,太平洋艦隊の巡洋潜水艦の魚雷長として勤務.
 その後,大型潜水艦(BPL)の艦長副官を務める.
 海軍高等特殊将校課程を修了後,大型潜水艦艦長に就任.

1989年に海軍アカデミーを卒業後,彼は太平洋艦隊に戻り,潜水艦師団の司令官代理として勤務.

1994年,ロシア連邦軍参謀本部アカデミーを卒業.

 その後,太平洋艦隊の潜水艦師団の司令官,潜水艦小艦隊の参謀長,戦隊参謀長を務めた.

1999年8月,北東軍集団参謀長・司令官第一代理に任命され,2000年6月,同軍集団司令官に昇格した.

2002年4月,太平洋艦隊の参謀長・司令官第一代理に任命.

2006年5月6日付のロシア連邦大統領令により,バルト艦隊司令官に任命.

2007年12月6日,ロシア連邦大統領令により,60歳の定年を迎えて退職するヴィクトル・フョードロフ大将の後任の太平洋艦隊司令官に任命された.

 というわけで,沿海州生まれで沿海州育ち.
 海軍入隊後も,バルト艦隊司令官に任命されるまでは,ずっと太平洋艦隊で勤務していた潜水艦乗り(サブマリナー)出身の提督です.

 今回,太平洋艦隊司令官に任命された事は,彼にとっては「古巣に戻った」という事になります.
 ただ上記経歴を見る限りでは,カムチャツカ方面での勤務が多かったようですが.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/12/12(水) 午後 4:36

 その後,2010年6月に海軍大将に昇進,
 2010年10月29日,東部軍管区(極東軍管区とシベリア軍管区を統合し,更には海軍の太平洋艦隊と空軍部隊も加えた,陸海空統合部隊)司令官に就任しています.

ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課
2011/11/28(月) 午後 8:02

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 評論専門の高級将校である「スタルヴォ」ソ連海軍中将は,本当は実在しない,というのは本当か?

 【回答】
 スタルヴォ中将は,ソ連海軍機関誌「海軍論集」に寄稿していた人.
 一説によると,ゴルシコフ総司令官の考えを代弁するための架空の人物だったそうだ.

 1970年代には「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったが,1980年代になると各方面からボロクソに叩かれるようになり,
「スタルヴォ中将は,マルクス・レーニン主義というモノが分かっていない」
とまで言われる始末.
(当時のソ連で,こんなコトを言われたらオシマイです.まだゴルバチョフが表舞台に出てきていない時代だし)
 ついには,チェルナーヴィン元帥からも
「海軍だけで戦(いくさ)するわけではない」
などと反論される有様.
 これは同時に,ゴルシコフ連邦海軍元帥の権威の失墜も意味していたようだ.

 ゴルシコフが海軍総司令官を解任されたのはゴルバチョフ登場後だが,それ以前に,すでに共産党及び政府(連邦軍上層部)は,彼を見限っていたのではないか.
 アンドロポフが急死していなければ,彼の在任中に解任されていたかもしれない…….

 ゴルシコフの前任者クズネツォフの名前は新造艦に付けられたのに対し,ゴルシコフの名は,既に就役してから3年以上経ったキエフ級4番艦(バクー)を改名して命名されている.
 なんかゴルシコフの方がぞんざいに扱われているように感じるのは,オレだけかなあ・・・・
(本来ならば,クズネツォフ級2番艦に付けられてもいいはずだが・・・)

スタルヴォ & 夏光華(シア・クァンファ) in FAQ BBS

Сергей Георгиевич Горшков
Gorshkov

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 アレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ提督について教えられたし.

 【回答】
 2005年2月15日から2007年7月17日まで黒海艦隊司令官を務め,現在はロシア海軍総司令官第一代理となっているアレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ大将 Александр Аркадьевич Татаринов は,
1950年10月25日,チタ州に生まれる.
1967年にP.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校へ入学,1972年卒業.
卒業後,バルト艦隊で機雷魚雷兵器・後方装備基地研究室長を務める.

1973年,高射砲中隊長に就任.
1976年,大型対潜艦「スラーヴヌイ」砲術長に任命.

1977年から1979年まで,警備艦「ボードルイ」先任副艦長と警備艦「ネウクロチームイ」先任副艦長を務めた.

1980年に高等海軍将校過程を修了した後,大型対潜艦「オブラズツォーヴイ」艦長に就任.

1988年,ミハイル.G.クトゥーゾフ名称海軍大学校を卒業した後,バルト艦隊対潜艦旅団参謀長に就任.

1990年,バルチースク海軍基地(BNB)司令官第一代理(副司令官)に任命.1996年4月,バルチースク海軍基地司令官に昇格.

1997年9月22日,黒海艦隊参謀長に任命.

2005年2月15日,アレクサンドル・タタリノフは,連邦大統領令第152号及び連邦国防相令第137号により,黒海艦隊司令官に任命された.

2005年12月12日,連邦大統領令第1431号及び連邦国防相令第533号により,海軍大将へ昇進.

2007年7月17日,アレクサンドル・クレツェコフ中将と交代して黒海艦隊司令官を退任.

アレクサンドル・タタリノフは,定年(60歳)を迎えて退職するミハイル・ザハレンコ大将の後任として,ロシア海軍総司令官第一代理に就任した.

第3等「軍における祖国への奉仕に対する」勲章,「武勲に対する」勲章を授与されている.

妻と息子1人,娘1人が居る.

 ウラジーミル・ヴィソツキー海軍総司令官(2006年12月15日,海軍大将昇進)よりも先任の提督であり,海軍総司令部付きの顧問・相談役といったポジションにあるようです.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 5:06

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【ロシア海軍総参謀長の定年は4年間延長される】
モスクワ,1月30日-ロシア通信社ノーボスチ

 ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフは,(ロシア)海軍総参謀長兼総司令官第一代理アレクサンドル・タタリノフ海軍大将の定年を,4年間延長し,65歳までとする.
 月曜日,公式ポータル法令情報サイトにおいて公表された.

 海軍大将および陸空軍大将の定年は60歳である.

 タタリノフ海軍大将は,我が国の軍改革の一環として,海軍の構造改革を行なう為のメインの海軍指揮官である.
 加えてタタリノフは,2012年に海軍へ配備されなければならない弾道ミサイル「ブラヴァー」の,海洋試験に直接参加した.

 同じ大統領令では,軍事検察官副主任ウラジーミル・メルニコフ法務中将と,戦略ロケット軍の軍事検察官ウラジーミル・サムセフ法務少将の定年が1年間延長された.
(モスクワ時間2012年1月30日10時15分)
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 アレクサンドル・アルカジエヴィッチ・タタリノフ大将は1950年10月25日生まれで,現在61歳です.
 ロシア海軍最古参の提督です.
(総司令官ウラジーミル・ヴィソツキー大将よりも年上)
[ロシア海軍総司令官第一代理アレクサンドル・タタリノフ大将]

 タタリノフ大将は2007年に,ロシア海軍総司令官第一代理に任命されましたが,2009年に海軍総参謀長ミハイル・アブラモフ大将が,健康上の理由で辞職すると,海軍総参謀長も兼任し,現在に至っております.
[ロシア海軍総参謀長ミハイル・アブラモフ提督,辞職]

 記事中に書かれているように,大将の定年は60歳であり,タタリノフ氏は本来なら定年退職しなければならないのですが,今回,特例として大統領令により定年が延長されました.
 タタリノフ提督は,ロシア政府から高く評価されているようです.

 更に,この記事によれば,タタリノフ提督は,海洋弾道ミサイル「ブラヴァー」の試験に直接参加したとの事ですから,戦略原潜「ユーリー・ドルゴルーキー」がブラヴァー発射試験を実施した際,同艦に乗り込んでいたようです.

ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課
2012/1/30(月) 午後 5:35


 【質問】
 ヴィクトル・チルコフ提督について教えられたし.

 【回答】
http://arms-tass.su/?page=article&aid=75464&cid=25
によれば,新たなバルト艦隊司令官,海軍中将.

 ヴィクトル・チルコフは50歳.
 彼は,ウラジオストクの海軍学校を卒業し,太平洋艦隊で幾つかの指揮官職を務めた.
 彼は,2007年から2009年までバルト艦隊参謀長だった.
 ヴィクトル・チルコフ海軍中将は,「軍における祖国への奉仕」勲章と第3等「軍における功績」勲章を授与されている.

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2009/9/13(日) 午前 3:54
より抜粋
青文字:加筆改修部分

▼ ヴィクトル・ヴィクトロヴィチ・チルコフは,1959年9月8日にカザフスタン共和国南部のアルマ・アタ(現アルマトイ)で生まれました.

 1982年にウラジオストク海軍高等学校を卒業した後,太平洋艦隊の警備艦で勤務し,1987年には警備艦の艦長に任命されました.
 1990年には,大型対潜艦「アドミラル・スピリドノフ」の艦長に任命されました.

 1993年からは太平洋艦隊の対潜艦部隊の参謀長代理に就任し,その後,司令官代理,そして司令官を務めました.

 1998〜2000年までロシア連邦軍参謀本部アカデミーに在学し,卒業後は北東軍・兵力集団の参謀長兼司令官第一代理に就任.
 2005年には沿海地方異種兵力連合小艦隊司令官に就任しました.
 ここまでチルコフ氏は,一貫して大平洋艦隊のみで勤務していました.

 2007年からはバルト艦隊参謀長兼司令官第一代理を務め,2009年9月8日にバルト艦隊司令官に昇格しました.

 2012年5月6日,ロシア海軍総司令官に任命されました.

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 『ロシア大統領公式サイト』より.
【ヴィクトル・チルコフを海軍総司令官に任命する】

 ドミトリー・メドベージェフは「海軍総司令官に関する」大統領令に署名した.

 1.ウラジーミル・セルゲイヴィチ・ヴィソツキー大将を海軍総司令官の職務から免除する.

 2.ヴィクトル・ヴィクトロヴィチ・チルコフ中将をバルト艦隊司令官の職務から免除し,海軍総司令官に任命する.
(2012年5月6日9時10分配信)

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『ロシア通信社ノーボスチ』より.
【メドベージェフは海軍総司令官を交代させ,ヴィソツキーに代えてチルコフを任命した】
モスクワ,5月6日-ロシア通信社ノーボスチ

 ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフは,ウラジーミル・ヴィソツキー大将を海軍総司令官の職務から免除し,同ポストにヴィクトル・チルコフ中将を任命した.
 国家元首の広報サービスは伝えた.

 チルコフは,以前にバルト艦隊司令官を務めていた.
 彼がこの職務に任命されたのは2009年9月だった.

 ヴィソツキーは,2007年9月から海軍総司令官を務めていた.
(2012年5月6日9時20分配信)

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【新たな海軍総司令官は,ロシア海軍を構築する事の重要性を指摘した】
モスクワ,5月6日-ロシア通信社ノーボスチ

 新たな海軍総司令官ヴィクトル・チルコフは,政府が引き続き海軍の建設を支援する事を期待している.
 日曜日,ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフは,ウラジーミル・ヴィソツキー大将を海軍総司令官の職務から免除し,同ポストにヴィクトル・チルコフ中将を任命した.
 チルコフは,以前にバルト艦隊司令官を務めていた.
 彼が,この職務に任命されたのは2009年9月だった.
 ヴィソツキーは,2007年9月から海軍総司令官を務めていた.

「ロシアの為に最も重要なのは,海軍の建設を大統領が支援し,志を同じくする事であります.
 (僕の)西方海域の境界線上における艦隊司令官の経験の重要性と責任が評価され,この職務に任命されたのでしょう」
 チルコフはロシア通信社ノーボスチへ伝えた.

 彼は,海軍改革の一環として,全ての海上境界線上において我が国の安全保障を提供し,それを守り通す.

 ロシア下院国防委員会の委員長ウラジーミル・コモエドフ大将は,チルコフのロシア連邦海軍総司令官の職務への任命を歓迎した.
「チルコフ君は,総司令官としてのリーダーシップを発揮し,航空母艦などという非現実的な計画を建てることなく,本当に海軍の建設の為に働いてくれるでしょう.
 彼に,キール下の7フィートがあらんことを(幸多からんことを)」
 コモエドフは述べた.

 彼は,総司令官は,ロシア連邦軍の三極構造の原型として保持されなければならない事を確信すると表明した.
(2012年5月6日10時41分配信)
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 ヴィクトル・チルコフ中将は,海軍総司令官に任命される数日前,地方紙のインタビューに応じ,同艦隊の艦船の修理が計画通りに進んでいないと述べています.
 『中央海軍ポータル(フロートコム)』より.
【バルト艦隊司令官は艦船修理問題について述べた】
 チルコフ中将によると,昨年,バルト艦隊の17隻の艦船,9機の航空機,2基の高射ミサイル複合体,10基以上の電波位置特定システムの修理が(計画通りに)完了しなかったとの事です.

新「六課」,2012/5/6
青文字:加筆改修部分

▼ 『ロシア大統領公式サイト』より.
【軍の高級士官への階級付与令】
2012年8月9日19時00分配信
によれば,ロシア連邦海軍総司令官ヴィクトル・ヴィクトロヴィチ・チルコフは、海軍大将(адмирал)に昇進しました.

新「六課」◆(2012/08/10)
青文字:加筆改修部分

ヴィクトル・チルコフ
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(こちらより引用)
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(こちらより引用)


 【質問】
 アレクサンドル・ノサトフ提督とは?

 【回答】
 アレクサンドル・ノサトフはセヴァストーポリで1963年3月27日に生まれた.
 1985年,彼はナヒーモフ記念黒海高等海軍学校を卒業した.

 士官としての勤務は,太平洋艦隊の駆逐艦「ストイーキー」の高射ミサイル大隊指揮官で始まり,その後,駆逐艦「ベズボヤズネンヌイ」ロケット砲戦闘班指揮官,師団旗艦のロケット艦のミサイル兵器専攻,太平洋艦隊の親衛ロケット巡洋艦「ワリャーグ」艦長補佐官および駆逐艦「ブイストルイ」艦長を務めた.

 2000年,彼はクズネツォフ記念海軍大学校を卒業した.
 2009年に参謀本部軍事アカデミーを卒業後,バルチースク海軍基地司令官に任命された.
 2012年1月27日の大統領令により,ノサトフ少将は黒海艦隊司令官代理に任命された.

アレクサンドル・ノサトフ

ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課 on March 29, 2012
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 バルチン提督について教えられたし.

 【回答】
 最近,「黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅可能」と発言し,一部で物議を醸し出したロシア海軍退役大将エドゥアルド・ドミトリーエヴィッチ・バルチン
(Эдуард Дмитриевич Балтин)

は,
1936年12月21日,スモレンスク市生まれ.
1954〜1958年,S.M.キーロフ名称カスピ海高等海軍学校学生
1958年8月〜1960年,警備艦艦長副官
1960年8月〜1967年,警備艦魚雷長
1968年7月〜1969年1月,警備艦副長
1969年1月〜4月,警備艦艦長
1969年4月24日〜1971年6月7日,戦略原子力潜水艦K-249副長
1971年6月7日〜1973年12月21日,戦略原子力潜水艦K-418艦長
1973〜1975年,海軍アカデミー学生
1975年6月24日〜1978年7月20日,第13潜水艦師団首席参謀
1978〜1980年,K.E.ヴォロシーロフ名称参謀本部軍事アカデミー学生
1980年7月〜1982年,第41潜水艦師団司令
1982年〜1983年,北方艦隊の潜水艦戦隊司令官代理
1983年〜1987年,潜水艦戦隊司令官
1987年〜1990年,第2潜水艦小艦隊司令官代理
1990年〜1993年1月15日,太平洋艦隊の海軍アカデミー及び参謀本部軍事アカデミーの戦術教授長
1993年1月15日〜1996年2月21日,黒海艦隊司令官
1993年6月16日,海軍大将昇進
1996年11月,予備役編入

 レーニン勲章,
「勇気に対する」勲章,
「ソヴィエト連邦英雄」(「金星」章)称号,
第3等「ソヴィエト連邦軍における祖国への奉仕に対する」勲章,
「軍における奉仕に対する」勲章
を授与

 というわけで,原子力潜水艦乗り出身の提督です.
 彼が乗務したK-249とK-418は,プロジェクト667A(ヤンキー型)です.

 黒海艦隊司令官を務めたのは,ちょうどソヴィエト連邦解体後の「黒海艦隊帰属問題」で揺れている時期でした.
 バルチン提督は,黒海艦隊旗艦のロケット巡洋艦モスクワ(スラヴァ級)とロケット艇2〜3隻で,黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅出来ると発言しましたが,彼が黒海艦隊司令官だった頃,その「モスクワ」(当時は「スラヴァ」という名前だった)は,長期修理中でした.

 航空評論家・小河正義の『Japan Aviation News』でも紹介されています.
【黒海展開のNATO艦隊を20分で殲滅可能.露海軍提督"恫喝"】

 こちらでは「"前"黒海艦隊司令官」と書かれていますが,むろん正確には,「"元"黒海艦隊司令官」です.
 バルチン提督が黒海艦隊司令官を務めていたのは,12年以上前ですよ(^^;

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/9/4(木) 午後 7:44


 【質問】
 ヴィクトル・ドミトリエヴィッチ・フョードロフ提督について教えられたし.

 【回答】
 太平洋艦隊司令官ヴィクトル・ドミトリエヴィッチ・フョードロフ大将 Виктор Дмитриевич Федоров は1947年11月23日生まれであり,昨日(2007年11月23日),60歳の誕生日を迎えました.
 これは,ロシア海軍軍人の定年に達した事を意味します.

 フョードロフ「中将」が太平洋艦隊司令官に任命されたのは,6年前の2001年12月3日.
 その翌年の2002年9月23日,海軍大将に昇進.

 年齢から言って,前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン提督(1947年8月24日生まれ)と同年代ですが,2005年9月4日,マソリン提督が海軍総司令官に任命された後も太平洋艦隊司令官に留まり続けました.

 フョードロフ氏及びマソリン氏と同年代のウラジーミル・プロコフィエヴィッチ・ワルエフ提督
(1947年7月16日生まれ,1969年海軍高等学校卒業,2001年12月11日大将昇進)
は,2001年4月11日からバルト艦隊司令官を勤めており,彼もマソリン提督の海軍総司令官就任後しばらくはバルト艦隊司令官に留まっていましたが,2006年5月6日,コンスタンチン・シデンコ中将と交代して引退しました.

 しかしフョードロフ提督は,太平洋艦隊司令官に留まり続けました.

 フョードロフ提督は,今年9月,「同期」のマソリン上級大将が海軍総司令官を引退した後も,太平洋艦隊司令官に留まり続けました.

 この為,彼はロシア海軍最先任の提督になってしまいました.
 (マソリン提督の後任のヴィソツキー海軍総司令官は,2006年12月15日に海軍大将に昇進しており,フョードロフ提督より4年も遅い)

 そのフョードロフ提督も,
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/26927919.html
で紹介したように,近い内にコンスタンチン・シデンコ中将と交代して引退する事になりました.

 これほどの長期間,フョードロフ提督が太平洋艦隊司令官に留まり続けた理由は何だったのでしょう?
 他の艦隊では,同じ人が,これほど長く司令官を勤めた事は無いと言うのに・・・・

 フョードロフ提督は,海軍高等学校(士官学校)を卒業しておらず,航海学校を卒業して海軍に召集された人です.
 その経歴を考慮すれば,艦隊司令官にまでなったのは,異例の出世とも言えます.

 しかし同時に,その経歴ゆえ,ここまでが限界だったのでしょう.
 さすがに航海学校卒業者を海軍総司令官にする事は出来なかったようです.

 ただ,フョードロフ提督の前任者ゲンナジー・スーチコフ大将は,北方艦隊司令官に転出したものの,2003年8月の退役原潜K-159沈没事故の責任を問われて罷免.
 その後,軍法会議にかけられ,執行猶予2年付きの懲役4年の判決が下された事
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/2008308.html参照)
に比べれば,6年間,太平洋艦隊司令官を大過無く勤め上げたヴィクトル・フョードロフ提督は,まだしも幸福だったと言えるでしょう.

 ところで,『世界の艦船』2007年6月号に,このような記述があります.
 かのアンドレイ・ポルトフ氏が書いた記事です.
(「再生図るロシア海軍・その現況と今後」より)

「消息筋によると,2008年1月,太平洋"艦隊"は太平洋"小艦隊"となり,沿海地方やカムチャツカの3つの戦隊,2つの旅団,5つの分隊のみを擁する小世帯となり,"司令官は大将から少将職となる"」

 「2008年1月」まで2ヶ月を切ったこの時期,シデンコ「中将」が太平洋「艦隊」の新司令官に任命される事からも,これはガセ情報でしょう(^^;

写真は,2004年2月,大韓民国を訪問し,韓国海軍提督と会見するフョードロフ大将
(3枚とも左側がフョードロフ大将)
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Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/24(土) 午後 7:59


 【質問】
 ニコライ・ミハイロヴィッチ・マクシーモフ提督について教えられたし.

 【回答】
 ニコライ・ミハイロヴィッチ・マクシーモフ Николай Михайлович Максимовは,1956年5月15日,ウクライナ共和国オデッサ州ボルグラード市に生まれる.

 1978年,レニンスキー・コムソモール名称海軍高等学校を卒業.
 卒業後は北方艦隊で勤務し,潜水巡洋艦戦隊司令部の副官,潜水巡洋艦の乗員,潜水巡洋艦の艦長,潜水艦戦隊の副司令官を務めた.

 1986年,海軍将校要員高等特殊学校を卒業
 1995年,N.クズネツォフ名称記念海軍大学校を卒業.

 2000年,連邦軍参謀本部アカデミーを卒業.
 その後,北方艦隊で第7大西洋作戦戦隊の副司令官,小艦隊参謀長,原子力潜水戦隊司令官を務めた.

 2005年,北方艦隊の司令官代理(副司令官)に任命.

 ニコライ・マクシーモフは,2007年11月19日付のロシア連邦大統領令・第1527号により,海軍総司令官に転出したウラジーミル・ヴィソツキー大将の後任の北方艦隊司令官に任命された.

 「第3等"ソビエト連邦軍における祖国への奉仕に対する"勲章」「武勲に対する勲章」を授与されている.

 妻と2人の息子が居る.

 というわけで,ソ連・ロシア海軍では「エリート・コース」の原子力潜水艦乗り(サブマリナー)出身の提督です.
 上記の経歴を見る限り,北方艦隊でしか勤務した事がないようです.

 ウラジーミル・ヴィソツキー海軍総司令官と同じウクライナ生まれであり,彼が北方艦隊司令官だった時,副司令官として「女房役」をつとめておりました.
 ヴィソツキー海軍総司令官とはツーカーの間柄だと思われます.

 写真では制帽をかぶっていますが,この人,禿げています(^^;

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/30(金) 午後 6:50


 【質問】
 ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン大将ってどんな人?

 【回答】
 ウラジーミル・ワシーリエヴィチ・マソリン Владимир Васильевич Масорин は,
ロシア国防省公式サイト
によれば1947年8月24日,カリーニン(現トヴェリ)市のポロフカで生まれた.

 黒海海軍兵学校を卒業した後,対潜艦の砲・ロケット射撃指揮官および戦闘指揮官として北方艦隊で勤務.
 1977年に海軍高等特殊士官過程を修了後,ウラジーミル・マソリンは大型ロケット艦の艦長代理,大型対潜艦の艦長,駆逐艦の艦長として勤務した.
 1983年には,北方艦隊の駆逐艦旅団の参謀長(旅団長代理)に就任した.

 ウラジーミル・マソリンは,1986年に通信教育の校外生として海軍大学校を卒業し,1987年に北方艦隊の駆逐艦旅団の旅団長に任命された.

 その後,彼は,北方艦隊の作戦戦隊の司令官となった.

 1993年,ウラジーミル・マソリンは参謀大学校を卒業し,北方艦隊の小艦隊司令官第一代理に任命された.

 1996年にはカスピ小艦隊司令官に任命され,2002年10月には黒海艦隊の司令官となった.

 ウラジーミル・マソリンは2005年に海軍総司令官第一代理(第一副総司令官)に任命された.

 2005年9月4日,大統領法令により,彼はロシア海軍の総司令官となった.

 ロシア国防省サイトには,ここまでしか書かれていませんが,2006年12月17日,Адмирал флота (アドミラル・フロータ,上級大将)に昇進しました.

 上記の経歴を見る限り,駆逐艦乗り出身で,艦隊勤務経験が豊富な海将と言えるでしょう.
 旧日本海軍風に言えば,「水雷屋」というコトになるかな.

 前任者ウラジーミル・クロエドフ上級大将は,どちらかと言えば「口八丁」で,「原子力巡洋艦ピョートル・ヴェリキー核爆発騒動」とか「新空母建造計画」など,たびたび物議を醸し出していた「お騒がせ男」でしたが,マソリン氏は対照的に,堅実というか地味な性格の人のようです.

中央のマイク前に立っているのがマソリン

左端がマソリン

中央がマソリン
(うそ)

夏光華(シア・クァンファ) in Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/29(火) 午後 7:18

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/15(日) 午後 2:39

in FAQ BBS

▼ なお,2007年9月にマソリン提督は引退しました.

ロシア海軍総司令官マソリンは,定年に達した為に退職した
モスクワ,9月13日(RIAノーボスチ)


 木曜日,軍当局は,RIAノーボスチ(ロシア国営通信社)に対し,ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン提督は,定年を迎えた為に引退すると伝えた.
「海軍総司令官ウラジーミル・マソリンは,定年に達した為に辞職する」
と軍当局は言った.

 マソリンは,8月24日に60歳の誕生日を迎えた.

[/quote]

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/9/13(木) 午後 8:14

▼ 9月に退職した前ロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将ですが,国防相顧問として現役復帰するようです.

――――――
前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将は,ロシア連邦国防相の顧問に任命される


 ロシア連邦国防相アナトーリー・セルジュコフは,前海軍総司令官ウラジーミル・マソリン上級大将を軍事組織に戻す事を決定した.
 彼は派遣将校として,軍の海洋兵器開発に関してアドバイザーの役割を果たす事になる.

 2007年9月13日,彼は8月24日に60歳を迎えて年齢制限に達した為,ロシア海軍総司令官を名誉退職,年金生活に入ると公式発表された.

 ウラジーミル・マソリンは,教育学博士の候補者でもあり,2001年に教育学位を取得した時の論文のテーマは,「北カフカス地方の実例に基づく"武力紛争という条件下における兵士の戦闘即応性"」だった.
 彼は「軍における功績」,第3等「祖国に対する顕著な奉仕」,「赤い旗」 勲章を授与されている.

 彼には,妻と2人の息子が居る.

 次の事が認められ,定年退職は数か月延長された.
 アナトーリー・セルジュコフは,ロシア海軍再生の為の提督の遠慮なき意思を見出し,彼に,この重要な役割を任せる事にしたのである.
(2007年12月26日)

――――――

 そう言えば,あのアンドレイ・ポルトフは,『世界の艦船』2007年6月号で
「マソリン大将は,極めて影の薄い人物」
などと書いておりましたが・・・・・

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/12/26(水) 午後 4:53


 【質問】
 マルドゥシン提督について教えられたし.

 【回答】 バルト艦隊司令官ヴィクトル・ニコラエヴィッチ・マルドゥシン中将
Командующий Балтийским флотом Вице-адмирал Виктор Николаевич Мардусин

(ちなみに,2008年5月18日の今日,バルト艦隊は創設305周年を迎えました)

1958年3月18日,ブリャンスクに生まれる.

1980年,P.S.ナヒモフ名称黒海海軍高等学校を卒業後,バルト艦隊の小型ロケット艦艦長補佐として赴任.

1986年,高等特殊将校課程を終了後,小型ロケット艦艦長補佐,大型ロケット艦艦長補佐,大型ロケット艦艦長,駆逐艦艦長を歴任.

1991年,海軍アカデミーを卒業後,バルト艦隊の小型ロケット艦大隊司令,ロケット艦旅団司令代理,,ロケット艦旅団司令,バルチースク海軍基地参謀長,バルチースク海軍基地司令官代理を歴任.

2001年,バルチースク海軍基地司令官に任命.

2003年,太平洋艦隊司令官代理に任命.
2005年3月9日,黒海艦隊司令官第一代理に任命.

2006年5月から,太平洋艦隊参謀長・太平洋艦隊司令官第一代理を務める.

2007年12月6日,49歳のマルドゥシンは,ロシア連邦大統領令により,バルト艦隊司令官に任命された.

 ヴィクトル・マルドゥシンは,「ロシア連邦における祖国に対する顕著な奉仕」「軍における功績」勲章を授与されている.

 マルドゥシンには,妻と,娘および息子が居る.

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/18(日) 午後 2:08

http://arms-tass.su/?page=article&aid=75464&cid=25
によれば2009年9月,バルト艦隊司令官が交代しました.

――――――
 ロシア海軍総司令官ウラジーミル・ヴィソツキー海軍上級大将は,バルト艦隊司令官ヴィクトル・マルドゥシン海軍中将は,このポストを去り,参謀本部アカデミー校長代理に任命されたと伝えた.
「マルドゥシン海軍中将は,2年間に渡り,このポストを充分に務めました.
 異動する事に,他の特別な理由は有りません」
と,海軍総司令官は語った.
――――――

「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2009/9/13(日) 午前 3:54

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロ提督について教えられたし.

 【回答】
 ノヴォロシースク海軍基地司令官セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロ中将
Командир Новороссийской Военно-Морской Базы
Вице-Адмирал Сергей Иванович Меняйло
は,現在47歳の若い提督です.

 2枚目の写真は,ノヴォロシースク海軍基地に保存されている巡洋艦「ミハイル・クトゥゾフ」艦上で撮影されたものですが,手前の右端に写っている人(やや下を向いている人)がメニャイロ中将です.

 セルゲイ・イワノヴィッチ・メニャイロは,1960年8月22日,北オセチア共和国のアラギル市に生まれる.

1983年,S.M.キーロフ名称赤旗カスピ海軍高等学校を卒業.

 指揮・航海部門を選択後,北方艦隊のコラ小艦隊所属の海岸掃海艇の航海長に任命された.

1986年,最初の指揮官職として,海岸掃海艇BT-22の艇長に任命された.

 それから5年後,海洋掃海艦「コントル・アドミラル・ウラソフ」の艦長に任命.

1990年,ムルマンスク州議会の代議員に選出された.

1995年にソ連邦海軍元帥N.G.クズネツォフ名称海軍大学校を卒業.

1998年,カスピ小艦隊の海域警備部隊の参謀長・司令官代理に任命.

2002年,ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー卒業.

2004年6月22日,ロシア連邦大統領令により,44歳でノヴォロシースク海軍基地参謀長に就任.
2005年,ノヴォロシースク海軍基地司令官に昇格.

2007年6月6日付のロシア連邦大統領令第717号及び翌6月7日付の連邦国防相令第212号により,46歳で海軍中将へ昇進した.

 海軍在職中,「武勲に対する」勲章を国防相から授与されている.

 掃海艦艇での勤務が多いという地味な経歴の提督ですが,近い将来,黒海艦隊主要基地となるノヴォロシースク海軍基地の司令官に任命され,46歳で中将に昇進するくらいですから,ロシア海軍部内では高く評価されていると思われます.
 いずれは黒海艦隊か,他の方面艦隊の司令官に任命されるでしょう.

faq39m04mn.jpg
faq39m04mn02.jpg

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/23(金) 午後 8:16

▼ 2011年末に退役した前黒海艦隊司令官代理セルゲイ・メニャイロ中将は,2009年7月に黒海艦隊司令官代理に任命されました.
[メニャイロ中将は黒海艦隊副司令官に就任する]
[セルゲイ・メニャイロ]

 メニャイロ中将は,2008年8月の南オセチア紛争において,アブハジア方面のロシア海軍部隊を統括指揮していました.
[アブハジア沖の海上戦闘(2008年8月9〜10日)とセルゲイ・メニャイロ中将]

 メニャイロ提督は北オセチア共和国出身ですが,彼の故郷では,彼を北オセチア共和国大統領に押す人々が少なからず居るようで,それに応えて政界進出すべく,2011年に海軍を辞めたようです.

ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課 on March 29, 2012
青文字:加筆改修部分

 【関連リンク】
「六課」:メニャイロ中将は黒海艦隊副司令官に就任する


 【質問】
 ヴィクトル・リーン提督について教えられたし.

 【回答】
 1968年6月19日,プスコフ州ペチョーラ生まれ.
 レニンスキー・コムソモール記念海軍高等学校の水中航海部門卒業.

 北方艦隊の白海海軍基地(セヴェロドヴィンスク)司令官を務めており,インドの航空母艦「ヴィクラマーディティヤ」が修理の為セヴェロドヴィンスクへ入港した際にも出迎えています.
 2012年8月9日のロシア連邦大統領令により,少将の階級を与えられました.

 2012年10月14日,ロシア連邦大統領令第1366号により,北東軍集団司令官に任命されました.
 北東軍集団は,カムチャツカ半島に駐留するロシア海軍の各種部隊(原子力潜水艦戦隊,水上艦艇部隊,海軍歩兵連隊,海軍航空隊,沿岸ミサイル部隊など)を統合したものです.
 更には,カムチャツカ半島に駐留するロシア陸軍とロシア空軍の各部隊も,指揮下に置いています.

 【参考ページ】
新六課,2012/12/14 20:36

太平洋艦隊司令官セルゲイ・アヴァキャンツ少将(左)と北東軍集団司令官ヴィクトル・リーン少将(右)
(こちらより引用)


 【質問】
 現在のロシア太平洋艦隊司令官って,どんな人?

 【回答】
 ヴィクトル・ドミートリエヴィッチ・ヒョードロフ大将.

 新任の海軍総司令官マソリン大将と同い年だが,中国生まれ.
(つーか1947年って,まだ国共内戦の真っ最中だったよね)

「1968年,極東航海学校を卒業し,海軍の現役軍務に召集された」
と有るので,正規の海軍兵学校出身では無いようだ.
 旧日本海軍で言えば,高等商船学校を卒業して海軍士官に任用された人々に相当する.

「1993年,諸兵科連合部隊司令官に任命」
 「諸兵科連合部隊」というのは,太平洋艦隊の主力水上艦艇部隊の事で,原子力巡洋艦アドミラル・ラーザレフ(旧フルンゼ)やスラヴァ級巡洋艦,ソブレメンヌイ級駆逐艦などで構成される.
 1993年当時なら,この他に,カーラ型,クレスタII型,カシン型も少数が残っていたし,
 キエフ級航空巡洋艦ミンスク,ノヴォロシースクも,書類の上では指揮下に有ったコトになる.
(この2隻が正式に除籍されたのは1994年なので)

 この経歴を見ると,海軍に召集されて以来,ほとんど太平洋艦隊でのみ勤務していたようだ.

夏光華(シア・クァンファ) in FAQ BBS


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